風呂場で
女が三人寄れば、恋愛話になると言う。
だがそれは、女に限った話ではない。男が三人集まっても、恋愛話に発展することはある。
合言葉は、これだ。
「最近どーよ」
露天風呂の中で、その言葉を発したのはレックだ。と言うよりも、こういう話をしようとするのは、レックくらいしかいない。
アレフは、持ち込んだ日本酒を片手に、始まったな、他人事のように眺めていた。盆に乗せて湯に浮かべているのは徳利と猪口。温泉と言えば日本酒だ。温泉で日本酒と言えば燗だ。源泉で温めた酒を徳利に注ぎ、アレフはくいっと一口で飲み干す。
「そう言うお前はどうなんだ」
言いだしっぺに聞き返すのもお約束。
「俺か? 俺は相変わらずラブラブだぞ!」
彼の発言に、湯船全体がどよめく。まさかレックが、リア充宣言をするとは思わなかったのだ。
「レックって、彼女いたんだ!?」
ロレックスが驚きの声を上げる。アレフも驚いた。こんな猪突猛進の単細胞の辞書に、彼女と言う言葉が載っているとは。
「何だお前ら一々失礼だぞ! 俺に彼女がいておかしいか!?」
「予想外ではあったな」
「色恋沙汰に興味があると思わなかったよ」
「音楽バカだし」
「いや、バカだし」
容赦がない言葉が飛ぶ。しかし、前向きに進むことしか知らないこの男が、この程度でへこむわけがない。
「ふはははは……!! 彼女がいない悲しい男どもよ! 我を崇め奉るのだ」
立ち上がって、レックは高笑いを始める。なんとなく魔王の風格を感じないわけでもない。
そんなレックを冷めた目で見ているのが半数以上。密かにダメージを受けている様子の者が数名――わかりやすい。
「で、誰?」
ティアの質問に、高笑いをしていたレックは、よくぞ聞いてくれたと嬉しそうに叫ぶ。
「俺のバンド仲間だ。名前も知りたいか? 出会いから知りたいか? 告白の時の話を語ろうか?」
成程。あのキーワードを自ら言ったのはそういう事か。
アレフは手酌で酒を汲みつつ、心の中で頷いた。レックは語りたいのだ、自慢したいのだ、惚気たいのだ、この慰安旅行と言う集団旅行の場で。
「知らない人なら、いいや」
しかし、仲間が彼の思い通りになることはまずない。
「は?」
全く乗って来ない仲間達に、レックは仁王立ちのまま固まる。
「ノアはどうなんだ? ナナさん、彼女だよね」
アドルがにやりと笑って、隣にいたノアに尋ねる。周りの耳がダンボになったのを、アレフははっきりと目にした。
「あ……う、うん……いや、違う……ことは無いのか」
ノアは、面白いくらい動揺し始めた。
「聞けよ! 俺の充実した青い春を!!」
好奇の視線がノアに集中する中、レックの声が響く。残念ながら、もう誰もレックに興味を抱いていない。
男のコイバナは、惚気を必要としていない。惚気は徹底的に排除される、シビアな世界なのだ。
多少の憐憫を覚えながらも、アレフはレックの叫びを肴に熱燗を喉に流し込んだ。鼻孔に触れる香りが心地よい。
「真面目な話、こんな調子では、君たちは手をつなぐことすらできていないのでは?」
真顔でアレフレッドがノアに尋ねる。ノアの顔が、のぼせたのではないかと心配になるくらい、真っ赤になった。
「な、なんでそんな事を答えなきゃいけないんだよ!」
「純粋な好奇心だ」
アレフレッドの答えは、身も蓋もない。
「しかしこの様子だと、キスをするまでに三年くらいかかりそうだな」
「しかもその場所も、口ではなく、頬とか額だったりしてな」
「!! ……!? っ!」
もう一人のブラック代理も参戦した。大人二人の言葉に、ノアは口をパクパクと動かすが、言葉が発せられていない。
「そのペースでいくと、プロポーズは、十年後か? 三十年後か?」
「女性はそこまで待ってくれないぞ」
本当に真面目な表情で、既婚者と婚約者持ちが、初心な大学生に助言する――助言と言う名のおせっかいとしか思えないが。
「女性は感情の生き物と言うが、こういう所は野郎よりも遥かに理性的だぞ」
「いつまでも煮え切らないと、別の将来性のある男にコロッと乗り換える事もある」
「ナナはそんなことない!」
遂にノアが、顔を真っ赤にして叫んだ。
「「はい。ご馳走様」」
全員が声を揃えて言う。合掌をしている者までいた。
彼女持ちの癖に惚気ない奴は、力ずくで惚気さす。
男のコイバナは、容赦がない。
「オ、オレの事より、他の奴はどうなんだよ!」
自棄になったノアが、自分を囲む男達を見回しながら怒鳴る。
「そうだな、アレンはどうなんだ、思春期」
嫌らしさ直前の笑みを浮かべて、レックが勤労中学生をつつく。
気が付けば、レックもその輪に加わっていた。彼の切り替えの速さと、単純さは、尊敬に値すべきものだろう。自分が惚気られないと判断した瞬間、他人を弄る方向へギアを切り替えたのだ。
「一番微笑ましいのが、思春期のあまーい恋物語だよなっ!」
矛先が自分から移動したことを察したノアが、レックの言葉を必死になって後押しした。その努力の成果と言うわけではなかろうが、風呂の中の連中の視線は、最年少の少年へと移る。
「はぁ!?」
いきなり振られたアレンは、口と目を大きく開けて、素っ頓狂な声を出した。
「クラスメイトか? 部活の子か? 幼馴染か?」
「意外と先生とか?」
「おおっ! 叶わない切ない恋物語!」
「ていうか、初恋は誰なの?」
ティアの質問に、わいわいと騒いでいた男たちは、ぴたりと言葉を止める。
そして、全員が好奇に目を輝かせて、にやりと笑った。アレンは湯船の中で思わず後退り、露天風呂の岩に阻まれる。源泉の流入口近くにいたアレンに、逃げ場はない。
「い、いねーよ」
「まさか、中学生にもなって、初恋もまだなの?」
のんびりとした口調の癖に、ティアはしっかりとアレンを挑発している。これは、狙ってか、天然か……
「俺はそんなにガキじゃねーよ!」
「じゃ、誰だ?」
「もしかして、今好きな子が初恋?」
「アレンはこれでもマセているからな……幼稚園の頃かもしれないぞ」
「アレンの『赤い実はじけた』かぁ……気になるな」
「うるせー! ぜってー言わねー!!」
にやにやと笑いながら『口』撃してくる年上の仲間達に、アレンは必死になって抵抗する。
まぁ、あの性格なら、いてもいなくても、素直に答えはしないだろう。年長者たちは、そのアレンの性格を知って、からかっているのだ。
男――いや、大人は、性質が悪い。
「俺は、アドルの女性関係に興味があるぞ」
傍から見ていて、どうも弱い者いじめに見えてきたので、アレフは猪口をひっくり返しながら口を開いた。
アレフの低くよく通る声が、満点の空へととける湯気の中に響くと、辺りはしんと静まり返える。
「は? 私?」
静かになった風呂場で、アドルの間の抜けた声を発する。おお、こいつもこういう表情をするのか。アレフは心の中でほくそ笑えんだ。
外側から彼らのやり取りを見ていたのだが、アドルはなるべく目立たないように会話に参加していた。あの悪戯好きの切れ者がこんなに大人しいのには、つつかれたくない事情があると読んだのだ。
「アレフはどう思う?」
我に返ったアドルは、女性も逃げ出す可憐な笑顔で尋ねる。開き直ったと見た。
「それが見当つかないから、聞いている」
アレフレッドは既婚、サルムは婚約者がいる。自社の面子の女性事情は、はっきり聞いた事ないが、なんとなく察する事は出来る――こいつらは枯れている、自分も含め。ティアに彼女がいるか否かは知らないが、健全な恋愛感情を持っているような気がしていた。彼が女性と並んで歩いていても、不自然に思えない、と言うのが根拠だ。
だが、アドル――これに、彼女、と言うのが、どうも想像できない。
「紹介してほしいね」
笑顔を消して、溜息と共に吐き出された答えは、彼女も出会いもない、という答え。
「私は中学からずっと男子校だということを、忘れていないか。おかげでここ数年、ずっと女の子と出会う機会が無い」
まぁ、高校生だと合コンする資金もないか。電車で偶然出会う女の子に一目ぼれ……と言うのも、理性が服を着て歩いているようなアドルにはなさそうだ。
「いや、私チャリ通だし」
予選落ちだった。
「市民合唱団に入っていなかったか? あそこ、混声だろ」
音楽で意気投合したレックの言葉に、アドルは思いっきり渋い顔をする。
「ああいう合唱団の平均年齢を知らないのか、レックは。殆どが、オジ様オバ様以上なんだぞ! 半数が還暦越えだ。うちも例外じゃないっ!!」
「おば様方に『娘はどうだ』とか紹介されないのか?」
「…………ない」
悔しそうにアドルは呟く。
「エドはしょっちゅうなのに」
エドが何者か知らないが、アドルに紹介されない、と言うのには、誰もがなんとなく納得した。
普通の女の子よりも可愛いアドルを紹介できる女性など、限られる。彼の可愛さは、女のコンプレックスを大いに刺激する。だからだろう。アドルの横に立つ女性が想像できないのは。
「しつもーん」
先ほど散々突かれたアレンが、ここぞとばかりに元気よく手を上げた。
「ラブレター貰った事とか、告られた事もねーの?」
「女の子からは無いよ、悪かったね!」
……ん?
何かが引っかかった。
引っかかったのは、アレフだけではないらしい。
「『女の子からは』?」
こういう所で鋭いのは、ティアだ。
「男からはあるとか?」
「……ありそう」
「いや、想像でき過ぎて、逆に笑えないぞ、これ」
ざわざわと広がる声に対し、アドルは貝のように口を閉じている。それが、答えだろう。
今までの会話で、あんな容姿でも、アドルの恋愛対象は女性だという事がわかった。あとは、お察しください、と言ったところか。
「……同情するぞ」
「同情するなら女くれ!」
ぽん、と肩を叩いて呟いたアレフレッドに、アドルは驚くほど男らしい叫びをあげた。更に彼は、他の達達に反応する時間を与えずに口を開く。
「それより! 干乾びている私より、アレフはどうなんだ!」
「………………俺?」
やけくそになったアドルが向けた矛が自分だったことに、アレフは驚き、なみなみと注いでいた日本酒を少し湯船にこぼしてしまった。
アレフには理解できない。
適当に茶々入れしたりはしたが、自分が仕事人間だという事を、誰もが知っている筈だ。色恋沙汰をアレフに振って、面白い話が聞けると期待するとは思えない。
しかも、振ってきたのが、アドルだ。苦し紛れでも、自分に矛先を向けたのがアレフだとしても、盛り上がっている話題を断ち切ってしまうレベルに縁のない男に、矛先を向けるような愚をするとは思えなかったのだ。
「アレフは仕事が恋人だろ」
案の定、アレンがつまらなさそうに言う。
「いや、そうでもないぞ……」
アレフレッドが、深刻な表情を浮かべて中学生の言葉を否定する。口元が緩んでいるから、深刻さに全然説得力がないが。
「確かに、オレも気になっていた」
「あぁ、あれな!」
ノアとレックも、うんうん、とブラック代理の連中と共に頷く。
何が気になっているのか、アレフには全く理解が出来ない。目の前で展開されている、本人を置いてきぼりにしての会話が不愉快で、酒を注ぐ気にすらなれない。
そんなアレフを、ハラハラとした表情でロレックスが見ているのも、気に入らない。
「なんなんだ?」
眉間にいつも以上のしわを寄せ、アレフが聞くと、大人どもどころか、高校生二人までが、え、と言う表情を浮かべた。
「ロト」
そして、口を揃えて、一人の女性の名を呼ぶ。
「は? ロト?」
「あぁ、成程!」
おい、そこの中防。なんでそこで理解する。
「いっつも二人の世界に浸っているもんな、二人」
納得したアレンが、嬉しそうに言う。二人の世界?
「たまに基地に来たと思ったら、一番最初に探すのは博士の姿」
「ロトも、アレフが来るとすっごく喜ぶよな!」
「舞っている花の量が十倍くらいになるね」
「……で、どうなの? 実際の二人の関係は?」
おい、ティア。なんでそれを、ロレックスに聞く。
「え、えーと……社長と副社長であり、家族であり」
「ロトはアレフの母であり妻であり」
「アレフはロトの父であり夫であり兄であり」
「くぉら、そこぉっ! 勝手にいろいろ付け加えんな!」
根も葉もないことを!
「じゃ、なんなのさ?」
改めて聞かれても、答えなど一つしかない。
「会社の社長で、家族のようなもので、大切なパートナー」
「人生の?」
「仕事のっ!」
断言すると、未成年連中が興ざめ、と言う表情を浮かべる。
が、そこに口達者な野郎共が追い打ちをかけた。アレフレッドとアドルである。
「アレフの人生とはすなわち仕事だな」
「つまり、仕事のパートナーと、人生のパートナーとは、同意という事だね」
「貴様等ぁっ!」
「――と言うのは、冗談として」
アレフをなだめるようにアレフレッドは微笑む。
「でも、それって本音か?」
意外にも女性との駆け引きが出来ていたレックが、首を傾げた。
「それともアレフは、アレン並のツンデレなのか?」
「俺はツンデレじゃねーよ!」
「思春期反抗期は黙ってろ」
アレフレッドに一蹴されて、アレンがしゅんとする。
「でもさ、もしその発言が素で、日頃の行動も素だとしたら……」
「あぁ、相当のアレだな」
アドルとノアがちらちらとこちらを見ながら、言う。
「あれ?」
レックの問いに、うん、と頷いたのは、ノアとティアとアドル。大人たちは、にやにやとアレフと学生たちを見て笑っている。
「史上最強のへっぽこにぶにぶ!!」
アレフは、裸になっても常に持ち歩いているヒーロースーツのグローブを、そっと装備した。すっかり冷めてしまった熱燗を温泉の外に出して。酒に罪はない。
「ジゴスパーク」
この後起こったことは、それぞれの想像力にお任せしよう。