アメノウズメ
あの岩戸を開くことは、誰にもできない。
ロトがまた引き籠った。
引き籠ったという表現は正しくない。ヒーローズ事務所の研究室の扉は常に開いているし、彼女の居室の鍵も掛かっていたことは無い。
しかし彼女は引き籠っていた。
扉の開いている研究室から、彼女は出てこない。心配したヒーローズが声をかけても反応しない。ずっと机に向かって何かをしていて、こちらの存在に気付いていない。
彼女は、一つの事に集中し始めると、周りの声が全く聞こえなくなる悪癖がある。良く言えば、凄まじい集中力を持っている。
おそらく、ヒーローズの為になにか研究しているのだろう。
それはありがたいのだが、いつ来ても常に研究室にロトがいるのは、少々心配になる。彼女は、ちゃんと家に帰っているのだろうか。ちゃんと食事をしているのだろうか。余計なおせっかいではあるが、本業は大丈夫なのだろうか。
「あの強固な天岩戸をを開くのは誰か」
ノアが事務所のソファに深く座って、唸る。
「レックが大音響でライブ始めても、気付かないよ」
向かいのソファに座って腕を組むアドルが、ため息交じりに応える。
ロトが引き籠ってから五日たった。
ヒーローズは常に事務所に居るわけではないから、彼女がずっと研究室に居続けているかどうかは知らない。誰もいない間に帰って、来ているだけかもしれないし、寝食だってしているかもしれない。
だが、誰が来ても常に研究室にいるのは確かだ。寝食忘れて研究室に引き籠っていると思っても不自然じゃない。扉を開けば、ちゃんと動いているロトが確認できるので、干乾びていると言う最悪の事態になっていないことは分かるが、だからと言って、心配じゃないわけではない。
ロトが心配だから、ヒーローズは暇があれば事務所に集まるようになった。今日も、ティアが学校が終わって直行したら、既にレックとノアが居たし、間もなくしてアドルとアレンも制服姿のままやってきた。
だからと言って、何が出来るわけでもないが……
時計の下にある光の珠が、来訪を告げる。客の訪問ではない、身内がやってきたのだ。
無力な五人のヒーローズは、一斉に扉の方へと視線を向けた。今ここにいない仲間と言えば――
「おう、相変わらず暇そうだな」
眉間にしわを寄せた男が、ふらりと現れた。
「アレフー!!」
宿題をやっていたアレンが、鉛筆を放り出してアレフに飛びつく。
「は? へ!?」
六人目のヒーローズは、目を白黒させて、飛びついたてきたアレンをラリアットで撃墜した。反射だろうが、酷い。
「おおアレフ! そなたのくるのをまっておったぞ!」
アレンと同時に立ち上がったレックが、両手を広げてどこかで聞いたような台詞を吐く。
「………………何が起きた?」
レックの台詞にではない。アレンの態度や、他のメンバーの眼差しで感づいたのだろう。アレフは眉間のしわを深くした。
「あぁ、やっぱりここにいたか」
ヒーローズの話を聞いて、テーブルに浅く腰かけたアレフは、眉間のしわに手を当て溜息を吐いた。
「今週一度も顔を出さないから、心配性の社員の心配が振り切れてな。泣き付かれたから様子を見に来たんだが……」
その姿勢のまま、しばらく何かを考える。間もなく、彼は顔を上げて、立ち上がった。その視線が少し彷徨い、ノアへと固定される。
「ノア、手伝え」
「オレ?」
突然の指名に、アレンの隣でレポートを広げ他状態で様子を見ていたノアが、目を見開く。
そうだ、とアレフは眉間にしわを刻んだまま、頷いた。
「ロトを引っ張り出すアイテムを作る」
そんな表情のまま言われて、ノアが一瞬凍りつく。なにか、大層なことに手を貸さなくてはいけない、と思ったのだろう。
そのくらい、彼の表情はいつも深刻だが、内容はその表情にそぐわないものだった。
「菓子を作るぞ」
そして――
無力なヒーローズは、研究室の手前の物陰で様子をうかがっていた。下からアドル、アレン、ノア、レックとトーテムポール状態で。
研究室の前には、アレフ。背を向けているから、表情は分からない。
アレフはノックもせずに、いきなり研究室のドアを開いた。
「ロト」
低くよく通る声が、研究室の住人の名を呼ぶ。
「ん?」
決して開かない天の岩戸が、開く音を彼らは聞いた。
誰がどんなに話しかけても、一顧だにしなかったロトが、何の抵抗もなく振り返ったのだ。
ロトは、無防備な表情で声の主を見上げる。
その正体を認めてたロトは、たちまち笑顔になった。その笑顔は、野原の草々が一気に花開いたかのようだ。
「アレフさんだぁ……」
研究室どころか、事務所全体に花が咲くような声。それに、様子を見ていたヒーローズは、例外なく崩れ落ちた。
気が抜けて。
「珍しいね。アレフさんがここに来るなんて」
「ロレックスに泣き付かれた」
「あ……あたし、またやっちゃった?」
「やった」
「あっちゃー」
「ケーキ焼いた。食うだろ?」
「うん!」
もう見ているのも馬鹿らしくなったヒーローズの耳に、椅子が動く音と、ぱたぱたとスリッパの音が聞こえてきた。ロトが、アレフと彼作のケーキにつられて、研究室から出てきたのだ。
最凶のアメノウズメによって、あっさりと天の岩戸は開いた。
「……帰るか」
明後日の方向を向いたレックが、力なく呟く。
「勉強する気も起きねえ」
アレンの意見に激しく賛成したティアは、三回頷いた。アドルもそうだね、と答えている。
「ナナに会いたくなった」
とノアは口には出さないが、おそらくそう思っているだろう。
「ご馳走様」
五人は、台所ではしゃいでいるロトとアレフに向かって小声で言って、そっと事務所を後にした。
アレフの眉間のしわが消えていることに、ティアは気付いた。