やった側が忘れる事も、やられた側は忘れられない。
それを知っている。だから、俺は、忘れない。
彼は、そう言った。
奇麗事なんかじゃない。忘れない為に、記すと。
そう、言った。
散々考えた末の結果だった。
この世は所謂乱世で、何所を見ても誰かの仇がいる、そう言う状態。
僕にも当然いる。
父と、僕の一族を殺したこの国の王……正確に言うと、この国の先代王。
この国の王は乱世でのし上がった2代目だ。先代の王、今の王の父親と、僕の父は隣同士の領地を所有していた。
そう、一領主だったんだ。
この乱世、伸し上がろうとした隣の領主は、今まで友好関係にあった父の領へと攻め入った。だまし討ちのような形で。
……正確には、違う。
父を暗殺して、動揺している一族の隙を狙って攻めて来たのだ。
父の後を継ぐべき僕はまだ小さくて、混乱の中で命からがら逃げ出すだけで精一杯だった。
沢山の一族郎党が殺された。生まれた地を追い出された。降伏するものは許すと言うことで、向こうへと降ったものも少なくなかった。
それから数年。僕が一族を引き入れるくらいにまで育つまでに、その隣の領主は一国の主となっていた。
そして、散々恨みを買うような方法をしたのだろう。あっさりと暗殺された。
漸く振り上げれるようになった拳を下ろす場所を、僕は、失った。
国が僕の仇だとも言えるここに、僕は、仕えることにした。
復興を願い、あえてここに降ったかつての部下……正確に言えば、父の部下達に推されての事だった。
今の王は乱世に向かないと言う。のんきすぎるのだ、王の器に非ず、と。
寝首をかくまでも無い。中に入り、暫く使え信頼を得て、時を待って反乱を起こせば簡単に成功する。僕なら出来ると彼らは言う。
前王の強攻な統治はかつて敵だったものどころか、味方にも不興を買っていたらしい。ただ、圧倒的な強さで、誰も手を出せなかったのだと。因みに、前王を倒した暗殺者は相討ちだったらしい。
恨みが溜まったこの国で、のんきな、頼りにならない新王。人の心は離れていると彼らは言う。
本当かどうかは、わからない。
まだ、前王を失った事による動揺が去っていないから。
だが、こういうときだから、取り入るチャンスはあると言うもの。どのような王かを見極める為に、我が父を殺してまで手にした国をどうする気なのかを見るためにも……結果、蜂起するとしても、しないとしても、仕えることは悪くないと思った。
そして、僕はここにいる。
ここで、頭を下げている。数年前は同等の存在だった男に。
「ありがたく、思う」
彼は、噂よりも堂々とした態度で、僕にそういった。
「いま、この国が動揺しているときに仕えてくれるというのは、本当なら嬉しい事この上ないな」
揶揄するように言った。
「かつては隣同士、同じ立場にいた人間だ。再び仲良く出来るのであれば俺も嬉しいし、ここにいる、お前の一族やかつての臣下達も、安心する事だろう」
僕は、下げていた頭を上げる。
出自など、僕は言っていない。言ったのは、名だけだ。そして、彼とは元々隣同士だったとしても、あまりにも小さい頃で覚えてなどいない。
目の前の王は、僕より年下だから、なおさらの事だ。多分物心付いた頃には僕の地はなくなっていたのではないか?
疑問と驚きを表して王を眺めていたら、ふっと彼は笑った。
「姓と、推薦元を見ればお前の出自など簡単に分かる」
「はぁ、成る程」
素直にそう声に出した。
山ほどある姓と、山ほどいる臣下。その両方を把握しているらしい王……もしかしたらその側近かもしれない……の有能ぶりに驚く。想像外だった。
「よろしく、頼む」
ふっ、と微笑んで、彼は退出を命じた。謁見はこれで終わり、と言う事だ。
一礼して去ろうとしたその背中に、仕えることとなった王の声が当たる。
「あとで俺の私室に来い。話をしたい」
はぁ!?
僕は思わず声を上げる。ぎろりと詰めている兵士がにらんだから、慌てて謁見の間から退出したが、心の中では何を考えているんだと叫んでいた。
私室だと!?
自分が僕の敵だと、わかっていないのか、あの王は?
それともそれを想定して、僕を試しているのか!?
ぎろりと近衛にひと睨みされてから、僕は王の私室へ入った。
そこで再び絶句する。
私室と言うが、あったばかりの人を入れるだけに、それなりの外向けの部屋だと想像していた。それなりに護衛もいると……
まるっきり私室ではないか!?
しかも、王一人。無用心にも程がある!
思わず怒鳴った僕に、王は豪快な笑みを浮かべて席を勧めた。
呆然としながら席に着く僕を、彼は面白そうに見詰める。
「想像したとおりだ」
彼は、嬉しそうにそういった。
「父は……まぁ、身内に殺されても仕方が無いようなことしていたけど、俺はそうする気が無かった。どんなに気を配っても、お前の一族郎党は懐いてくれない」
「懐いてって……」
表現が、なんか変じゃないか?
「ずっと、一族復興を夢見ているようにしか見えなかった。それだけの人物がまだ、残っているんだろうなって思っていたけど、それがお前だろ?」
「……」
答えれるわけが無い。答えれば、すなわちずっと苦汁を飲んで使えている者たちの謀反を認めるものだし、僕だって、無事でいられるわけが無い。
「まぁ、答えれるわけ無いから、答えなくてよろしい」
簡単に答えられても困ると、さらりと言った。
「ただ、聞いておきたいんだ」
彼は、豪華な机にひじをついてあごを乗せる。
「君は、俺と友好関係を築こうとは、思っているか?」
一瞬言葉を失う。それはすなわち、元から僕を疑ってかかっていると言う事ではないのか。
自ら膝を折った男に、それは失礼ではないかと思ったら、怒りがこみ上げてきた。
「あ、いや、ちょっと言葉間違えた……」
顔に出ていたのだろう。慌てて王はフォローに回った。
「俺が、この国が、お前の父、一族、国の敵だと、百歩譲って敵の子供だということを、俺は知っている。お前も、分かっているはずだ。それでも、お前は……」
ええと、と少し口篭る。
「その、つまり。俺と、この国を許し仕えてくれるのか、と聞きたいんだ」
成る程。
僕は納得した。
この王は、かなりの暢気者だ。
腹に何を抱えているのかわからない新参者。それに、こうもあっさりと自分を見せて、本当に大丈夫なのだろうか。
「君は、文を読み書きする事が好きだそうだね」
いきなり言われて、戸惑う。当然、図星を突かれたからだ。
「歴史を、綴る気はないかい?」
「歴史書をかけ、と?」
ちょっと違うな……と彼は考える。
「後の世に歴史となる今を書く、と言う事だが……」
「はぁ」
僕は曖昧に返事を返した。
どうも、この君主といると調子が狂う。テンポが、違う。
ただ、文を書くことも読むことも好きだった。歴史書も、過去のものは大体読んでいる。僕に出来たのはそのくらいだったから。
後の世に歴史となる今……それを綴る。それ自体は心沸き躍るような事だ。
いきなり、今、しかも、この男に言われなければ、喜んで引き受けただろう。
彼は、暢気だが、得体が知れない。そう思った。
「なぜ、私に?」
「君が、俺に対して疑念を持っているから」
さらりと言われたその言葉に、さらに僕は言葉を失った。
「加害者が忘れる事も、被害者は忘れられない。それを知っている。だから、俺は、忘れない。」
彼は、いきなりそう言った。
「君は、俺の一族行った行為の被害者だ。それは認める。被った事を忘れないだろう……父も殺されているし、一族離散の憂き目にも会っている」
それは、確かだ……
「それを、忘れない為の記録だ。被害者が忘れられない限り、俺も忘れない。その為のもの」
彼は言った。
沢山の人を殺している、と。
それが、国を成り立たせる為のものだとしても、政治だとしても、失った個人には何の言い訳にもならない。なくされた遺族には何の言い訳にもならない。
田畑が荒らされた民は、その恨みを忘れない。
滅ぼされた国は、それを忘れられない。
父を殺された悲しみ、痛み、恨みを忘れられないから、わかる、と。
でも父はそれ以上の命を、幸せを奪っていた。
そして、忘れていた。
忘れて、それで臣従させようと、友好関係を築こうとしていた。
加害者とは、そう言うものだと彼は苦い笑みを浮かべていた。
「本当の友好関係は、その確執をも超えなくてはいけない。越える為にはどうすれば良い? ……越えるべき壁の高さをお互い認識しなくてはいけないんだ」
だから、自分は忘れないのだ、と。
乱世には優しすぎる言い分だった。
「歴史書を紐解いてみるとさ、勝った国の視点じゃないか」
彼は続けた。
「忘れているんだよね……敗れた国が忘れられない事を。だから俺は嫌いだ」
資料としては役に立つけど、呼んでいて虫唾が走ると彼は言った。
同じ書を読んで、そんな事を考えもしなかった自分に思わず恥じてしまう。
「だから、忘れられない思いを、君に書いてほしい」
歴史書は、敗者にだって、書く権利があるのだ。
「……貴方は」
僕は思わず問い詰めていた。
「今までそうやって、自分を恨みに思う人に書を書かせていたのですか? それに、その人は同意したのですか? 本当に、ずっと忘れないでいるのですか? これからも、そんな面倒くさい事をずっとやっていくのですか!?」
「それが、恨みを抱かせたものの、勝った者の義務だ」
忘れない事。
忘れられない痛み恨みを忘れずに、それを供に抱いて越えていく事。
その先にあるものを、供に見つけていくこと。
それが、俺の作る国だ。
外交だ。
かれの、毅然とした言葉に。
優しく、世の中に合わない優しすぎる理想に、僕は自然と頭が下がった。
こき下ろすものが沢山いても、この国は優しい理想に包まれている限り、強いのではないか。
なら、その理想を続けているかぎり、僕は、彼と友好関係を抱こう。
かれが、僕の恨みを忘れない限り……