勇者のための四重唱


小さな大平原 11

 衝動のままに走り出してしまったが、ここはどこだろう。

 エドは石組みの壁を見上げながら首を傾げた。

 塔の階段を下りると、外に出る扉がある。そこから外へと飛び出した。

 城の外見から考えて、そこは城の屋上に出ると予測していたのだが、違った。そこは石畳の細長い廊下だった。構うものか、と、エドはそこを進んだ。

 廊下は一本道で、エドはその道に沿って駆けた。目に見える場所に、扉や窓はない。それなのに、場所を見失った。

「魔法か?」

 エドは足を止める。

 この感覚に覚えがあった。魔法の掛かった遺跡に足を踏み入れた時の感覚だ。方向と距離の感覚があやふやになる。日頃しっかりと把握しているだけに、このあやふやな感覚は気持ちが悪い。

 魔法の回廊なら、変に進むのは危険だ。エドには魔法の仕組みに対しての無力だから。

 とりあえず、塔まで戻ろう。そう決めて踵を返したところに、彼女はいた。

「こんにちは」

 くすんだ緑の髪を綺麗に結い上げた女性だ。シリィよりも遥かに年上だが、浮かべる笑みに、少女のようなあどけなさが残っていた。

「……こんにちは」

 こんな場所で会う人だ。エドは警戒心を顕にする。その様子に、女性は笑みを深くした。

「警戒しないで。わたくしは、貴方の味方」

「味方?」

 そう言われて、はいそうですかと言えるほど、エドはお人好しではない。警戒を解かないエドを一瞥して、彼女は言葉を続けた。

「可哀想なエド。あんな奴に騙され、良い様に利用されて……」

「あんな奴?」

 頭に浮かぶのはただ一人。いや、今のエドの頭には彼――彼女か?――しかいない。

「アドルのこ――」

「奴をその名で呼ぶなっ!」

「――っ!?」

 いきなりの激高に、エドは息を飲む。

 激したのは一瞬。彼女は嘘のように穏やかで無邪気な笑みを浮かべた。

「わかっているわ。貴方も、大切な人を奴に殺されたのよね」

「……は?」

 殺された?

 ずっと信じていたアドルが偽物だった、という意味なら、確かにさっき、アドルは殺されたと言ってもいいだろうが。

 そんな遠回しな話なのだろうか。

 女性の意図を掴みかねて怪訝な表情を浮かべていると、女性は勝手に何かを察したようだ。

「ああ、そうだったわ。可哀想な子。その事すら消されていたんだわ」

「申し訳ないが、何を言いたいのか……」

「よく思い出しなさい」

 彼女はぐいっとエドに近づいて、囁く。その身体から発される甘ったるい香りに、エドは顔をしかめた。

「奴は自分の罪をすべて封じ込めて勇者面しようとしている。絶対許しては駄目よ」

 罪? 身代わりである『アドル』がいないことが?

 勇者面? 誰が?

 言われたことが理解できなくて棒立ちになっているエドから、彼女はドレスの裾を翻して距離を取る。

「罪は、全て貴方の記憶の中にある――惑わされないで、思い出すのよ」

 俺の、記憶?

 彼女は一体何をエドに言いたいのだ?

 アドルであった彼女を糾弾したいのはわかるが、中身がまるでわからない。

「わたくしは、クリス。クリスティーネ。また会いましょう、エドマンド・ヴィリ――」

「呼ぶなっ!」

 その姓は、エドのものではない。

 クリスの言葉を遮るエドの叫びに、彼女は満足げに微笑んで――消えた。


 気が付いたら、塔にある扉の前で、エドは立ち尽くしていた。


「な、なんだったんだ?」

 呆然とエドは呟く。

 目の前の扉を開けると、冷たい風が吹き込んできた。エドの予想通り、城の屋上である。

「夢?」

 口に出すが、決してそうは思っていない。クリスと名乗った女性の、甘ったるい香りが、鼻の奥に残っている。

 北の山から吹き下ろす風に髪を弄ばれながら、エドは屋上に出た。真冬だからか、人はいない。

 アドルの正体が分かった時に爆発した感情はもう収まっている。不気味な、白昼夢のような出来事が、彼の頭を冷やした。

「答えは全て俺の中、か」

 屋上の縁に立ち、エドは空を見上げた。明確な蒼が果てしない。


 幼い日のエドの記憶は、この空のように明快でない。古過ぎて、色々なところが曖昧だ。

 アドルとフィーネ。二人の友人。初めての友達。

 エドと一緒に外で遊んだのが、同性のアドル。家の中で遊んだのが、女の子のフィーネ。確かにいた二人。気が付いたら、記憶のなかで混じっていた二人。それは、呪の所為だと思っていた。

 それが勘違いだったとしたら?

 混じったのは、二人が一人になってしまったからだとしたら? 一人で二人を演じていたからだとしたら?

「――あ」

 思い出した。あの時だ。

「エド!」

 ちょうどその時、モーラがやって来た。

「どこに行っていたんだ?」

「俺が九歳、アドル達が八歳の夏――二人は今までに無く長く寝込んでいた」

 その時なんだな、と、エドはやって来たモーラに問い掛けた。

「その時、アドルは死んだんだ」

 あれ以来、エドの記憶の中で、二人の区別が曖昧になった。違う。曖昧になったのではなく、一人になったのだ。

 そう認識して記憶を呼び起こせば、そこにいるのは、確かに一人だけだった。

 アドル、一人だけだった。

「そう」

 モーラは頷く。

「『アドル』は、八年前に死んでいる。でも、フィーネは彼を死なせてまで生きたいとは、思ってはいなかった」

 だから彼女は『アドル』となったのだと言う説明は、納得できた。

「俺は、ずっとアドルだと信じて疑っていなかった」

 一緒にいたのに、気付いていなかった。区別がついていなかった。

「そりゃ、君のせいじゃない。彼女の演技がうますぎたんだ」

「八歳で、人を完全に騙す程の?」

「相手も九歳だ」

 確かに彼女なら、子供のエド程度簡単にだますだろう。フィーネは、三人の中で一番賢かった。

「大人達は?」

「彼の死に立ち合った者は、知っていた。君のお母さんも」

 あの時看病していたのは、二人の世話役の中でも、特に親しい者だけだった。他の者は、城に仕えていても、引き篭もりがちな二人をよく知らない。近しい者の協力さえ得られれば、子供騙し程度の演技力で十分だったのだろう。

「母さんも知っていた――俺だけ騙されていたのか」

「彼女は、申し訳ないとずっと思っているよ。同時に君が、彼女を疑わず『アドル』として接し続けている事を、喜んでいる」

「あいつらしい」

 エドは思わず微笑んだ。複雑な感情を複雑なまま理解して抱え込むところが、エドの知っている幼馴染だ。彼は、笑いながら悲しむことが、自然に出来る。

「フィーネはね、『アドル』を演じているうちに、そちらが地になってしまった。逆にフィーネを『演じ』なければならなくなったんだ」

 空気と水の美味しい山奥で、アドルとしてエドと遊び、学んでいるうちに。

「君の知っている、今まで一緒にいた『アドル』は、変わらない」

 その正体が分かっただけで。彼女は彼女のまま、『アドル』として冒険を続ける。

 モーラがそう説明した時、エドはほっとした。

 ほっとした事で、気付く。

 自分が一番ショックだったのは、彼らの正体が知れることで、昨日まで知っていた『アドル』が消えてしまうかもしれない事だったのだ、と。

 薄情だ。

 本当のアドルの死に八年間も気付かないで、他人をアドルと信じていたのに、本当のアドルを悼むよりも、偽物のアドルが健在なことを願うとは。

 フィーネが本来あるべき姿で生きずに、アドルとして生きていることを喜ぶとは。

「戻ろうか」

 モーラが優しい声で聞く。

 エドは頷いて、背を向けて歩きだしたモーラに従った。


 エドがきまりが悪くのこのこと仲間達がいる部屋に戻ってくると、フィーネにすっかり納得させられてしまったフェイス達が、彼女と談笑していた。

 その光景は、見慣れたものだった。アドルとフェイスの長ったらしい話。それを飽きる事なく聞くシリィ。エドには理解できない学問や魔法の話から、真面目に聞くのも馬鹿らしい話まで。今は、なぜかフラビスの名物料理の話をしている。

「エド」

 扉の正面に座るフィーネが、一番最初にエドに気付く。

「……女どもの下らない談笑って思っただろ?」

「ま、まさか」

 しっかり思っていたから、声が上擦ってしまった。その様子を見て、女三人が楽しそうに笑う。

 女性三人――そう思って改めて見ると、違和感がある。『アドル』の格好をしたフィーネを、女性としてカウントするのに、抵抗があるのだ。8年かけた刷り込みの結果だろうか。

「エドにも言っておくけど」

 エドの後にやって来たモーラが、彼の背を押して、座れと言う。それにしたがって席に着いたら、フィーネが再び口を開いた。

「これからも、私は『アドル』だから」

「ああ」

 エドは頷いた。

 彼女の望みは理解した。エドは、それを尊重したいと思った――エドも、哀れな名もなき子供の存在を、世に残したいと思う。

「今後姫や女として私を扱ったら、物理的手段で抗議するから」

「…………一つ聞いてもいいか?」

「何?」

「今まで、そうじゃなかった事ってあるか?」

 問い返せば、フィーネ――ではない。アドルは、しばらく考える。答えたのは、他の仲間達だ。

「確かに、前からそうでしたね」

「女扱いされたら、凶暴化したね」

「そうだっけ?」

 珍しい。自覚が無いとは。

 エド達は、揃って頷いた。それをみて、そうだったかな、と彼は首を傾げる。

「なら、それはそれでいいや」

 何が良いのかわからないが、彼は強引に腑に落としたらしい。

 そして、アドルは仲間達へと視線を向けた。

「改めて、よろしくお願いします?」

「なんでそこで疑問系なんだ?」

「いや……これで見放されてもしょうがないとは思っていたから」

 確かに、それだけ重要なことを隠していた。でも、アドルも、エド達も冒険者だ。冒険者には不文律がある、必要以上仲間の事情に踏み込まないと言う。

 だからなのか、それとも別の原因があるのか。不思議とエドは、彼を見放す気にはなれなかった。

「今回話したのは、アンタなりの誠意なんだろう? なら、それでいいじゃないか」

「目的は変わらないのでしょう?」

「そうだね」

「なら、いいです。勇者を探す、勇者の物語を紡ぐ。そして、皆で歌う。それが出来るのであれば」

「――うん」

 ありがとう。アドルは仲間達に柔らかな笑みを浮かべる。

 驚くぐらい安らいだ表情だった。



 アドルフィーネは、仲間と一緒に何食わぬ顔で城から出ていった。

 この後、彼らは一旦ギルドに戻り、翌日の朝旅立つ。

「いいのか?」

 城のベランダから去る姫君を見送っていたモーラに声をかけてきたのは、ヒルトルートだ。

「なにが?」

「あの人、王女だろう?」

「違うよ」

 モーラは平然と否定する。もう、慣れたやり取りだ。

「あれは従弟。英雄ガイアの息子だ――驚くぐらいそっくりだろ」

「――驚くぐらい」

 ヒルトルートはあっさりと納得する。アドルとフィーネ、両方に会った人間に対し、その説明で納得されなかったことは無い。

 彼女は、良く演じ分けていた。モーラもたまに、別人ではないかと思う時があるくらいだ。

「アドルには話を通してある」

「なら、俺も出るよ」

 今のヒルトルートの格好は、領主の息子のそれではない。汚れた旅装を纏った、冒険者だ。

 モーラは彼に、アドル達のガイドを頼んでいた。先日までフラビスに居たヒルトルートは、国境付近の状況に詳しい。アドル達を無事にフラビスへ渡らせるために雇ったのだ。

「有名な『勇者のための四重唱』と旅が出来るんだ。楽しみだよ」

 彼は笑い、片手に持っていた荷物を背負う。じゃ、と手を上げて、セルペン領主の放蕩息子は去って行った。

「真の冒険はこれからだぞ」

 再び一人になったモーラは、呟く。


 今までアドル達は、自国の庇護の中で動いていた。しかし、国を出ればその庇護はなくなる。

 彼らの冒険者としての真価を問われるのは、これからだ。

 そして、彼らが進む道の険しさを知るのも。

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