カウンターの奥から
シリィはカウンターの奥から店を眺めるのが好きだ。
この位置から見える人の動きは、ひどく興味深い。
今も、ほら。
シリィのいる場所から遠い、出入り口から二番目のテーブルで、屈強な男がいきり立っている。それを左右にいる男達が必死で宥めていた。しかし、怒っている男の真正面にいる女は、悠然としている。両側の男を吹き飛ばす勢いで怒鳴っている男に、周囲にいた冒険者も注目を始めた。それでも、女はどこ吹く風だ。
息をつくのも忘れて怒鳴っていた男は、じきに言葉を止め、怒鳴るのに使っていた口の使用用途を変更した。本人の意識が忘れていても、体が空気を欲したのだ。男は、大きく口で息をついた。
その黙り込んだすきに、正面の女が口を開く。何かを話したようだが、この喧騒の中、距離の離れているシリィにまでその言葉は届かなかった。彼女は出入り口に向かって座っているから、口の動きも読むことはできない。しかし、頭や肩の動きで、何かをしゃべっているのはわかった。
いきり立っていた男の逆立った眉が、ゆっくりと降りていく。しかし、眉間のしわは深くなり、口はへの字に閉じられた。
「――――」
聴こえなかったが、何かを女が話したようだ。それに男は、口をへの字に曲げたまま頷いて、ゆっくりと席に着いた。両側にいた男たちがほっと息をつく。
落着したようだ。
様子を見ていた周りの冒険者も、晴れやかな顔や、ほっとした顔、ちょっと残念そうな顔をして各々の話題へと戻った。
あの冒険者パーティの主導権は、一番小さくて細い女性にあるようだ。
シリィはそう思って、心の中で笑う。
一番小さいのが軸であるパーティには、親近感を抱く。シリィのところもそうだからだ。
「なぁ、姐さん」
カウンターに座っていた男が、シリィに声をかけてきた。どう考えても、男のほうがシリィより年上なのに、なぜか彼はシリィの事を『姐さん』と呼ぶ。男だけじゃない。年に関係なく、多くの冒険者が、シリィをそう呼ぶ。
シリィはそれが不思議でたまらない。そして、自分をそう呼ぶ人に興味を抱く。なんでだろう、と。
「何があったんだろうな?」
「さぁ。わからないよ」
互いに近くにいて、同じ情報を得ていたのだから、シリィは男と同程度の情報しか得ていないはずだ。男にわからないことが、シリィにわかるわけがない。
「おいおい」
男がおどけた様子でシリィを見る。
「従業員がそれでいいのか?」
「あの様子だと、解決したんだろう? なら、問題ないんじゃないのか?」
「そういう意味じゃなくてなぁ……」
男は眉を八の字にして溜息をつく。では、どういう意味なのだろうか?
「姐さんは、達観しているよな」
「そうかい?」
達観しているとか、動じないとか、たまに冷静、冷淡だとか言われるが、シリィにそんな自覚はない。なぜ、そう思うのか、やはり不思議だし、そう思う人に興味も抱く。
「気にならないのか、人間として」
「人間として?」
「野次馬根性ってものがないのか?」
「失礼だね」
本気でそう思ったから、言った。
「アタシにだって、好奇心はあるよ」
「へぇ……」
どうも、信用していない顔だ。失礼な。
「姐さんは感性が独特だからね」
「……いらっしゃい」
話を面白おかしく、ややこしくする天才が来た。
一応、今のシリィはギルドの従業員。相手は所属している冒険者――つまり客だから、挨拶をする。現れた少年は、足の届かないカウンター席に飛び乗った。
「お疲れ様です、シリィ」
「飽きないな」
残りの二人も来た。一緒に行動していたのだろうか?
「暇だから、寝ていたらアドルが叩き起こしに来た」
「昼ご飯を食べよう、と誘いに来ました」
「そうかい」
二人の説明で、シリィは納得する。確かに、店内に人が増えてきた。昼時なのだ。
最初にカウンターの席をとったアドルは、机上に置いてあったメニューをすでに見ている。シェフ崩れの冒険者が料理人をやっている子のギルドのご飯は美味しい部類に入る。アドルは結構お気に入りなのだ。
「そういえば、さ」
アドルに続いて、エドとフェイスも昼食を注文する。早さと手軽さがウリのギルドの食事は、質が良くても出てくるのが早い。待ってましたとばかりに、アドルが舌鼓を打ち始めた。エドが淡々と食べ始める。フェイスも、両手を胸の前で組み、食物に感謝の祈りをささげてから食べ始めた。
シリィは出入り口の近くを一瞥してから、ゆったりと食事を楽しんでいるフェイスに話しかけた。
「さっき、面白いやり取りがあったよ」
「なんですか?」
フェイスの大きい目が、きらきらと光っている。
「もう、いないけどね……さっき、向こうのテーブルでちょっと騒ぎがあってね。身内のいざこざだろうけど」
シリィは、先ほどの騒ぎを、フェイスに説明した。当然、背を向けたままの女が何を言ったのかわからない、という事も。
すでに、その席には別の冒険者パーティが座っている。あの段階で既に食事がほとんど終わっていた彼らは、アドル達が現れてから間もなく、ギルドから出ている。
「大きな男の方の怒りを、女性が一言で鎮静化?」
話を聞いて、フェイスの手が止まった。
「男の怒鳴り声はただうるさいだけで、聞き取れなかったし、女の声は小さかったし方向が逆だったから、聴こえなかったけどね」
「十分です」
はぁ、とため息をついて、フェイスがスプーンを置いた。大きな輝く琥珀色の瞳が、遠くを見ている。カウンターの奥にある壁よりも、さらに遠くだ。手が、食事前と同じ位置にいた。
その姿を見て、シリィは心の中でガッツポーズを作る。
始まった。
「きっと、普段はその男の人が強いんでしょうね。両側にいた人は?」
「怒っていた男ほど大柄じゃなかったね」
「十分です」
その答えは、フェイスにとって満足できるものだったようだ。
「では、リーダーは彼なのでしょう。とっても熱い方なのでしょうね。猪突猛進、思い込んだら即実行――いや、思う前に実行しているかもしれません。でも、その行動力と熱さが、彼らのリーダーたる資質」
「わかるのか?」
エドが、不思議そうにフェイスを覗き込む。アドルが、面白そうににやにやと笑っている。
そんな男二人など、フェイスはもう見ていない。
「でも、そんなに熱い男では、大変だね」
「だから、女性がいるのでしょうね」
うんうん、とフェイスは一人で納得して頷く。
「鎮静剤?」
「そうです」
フェイスはシリィを見て微笑んだ。上品な笑みだが、上辺に騙されてはいけない典型例だと、アドルが言う笑みだ。彼にそう言われるのは、フェイスにとって不本意だろう。アドルこそが、上辺に騙されてはいけない典型例が服を着て歩いているような者のなのに。
「力だと絶対敵わない。でも、彼の突進を止めることができる唯一の人こそが、彼女――二人はどういう関係? 幼馴染? 偶然会った気の合う男女? 進んで恋人? それとも夫婦? 性を越えた友人?」
ねぇ、シリィ。と彼女はシリィに問いかける。
「どれが、素敵?」
「恋人じゃありきたりで面白くないね」
「そうですか?」
「実は、女性はそこそこの貴族の娘で、男はその家の傭兵だとか……」
「あぁっ!」
フェイスが声を上げる。席を立たないのは、これがカウンター席だからだ。カウンター席は、実は座りにくくて、立ちにくい。
「それ、素敵です! 興味本位で冒険者と言うものに首を突っ込んだお嬢様の子守を任された、傭兵。家ではお嬢様は俺の雇い主だが、冒険者だと違う。俺とおまえは同等の関係だ――いや、俺の方が経験がある。先輩冒険者だとか言って……」
「……長くなりそう?」
こそっとアドルがシリィに聞く。
せっかくフェイスの面白い話を聞いていたのに。シリィは少し不機嫌になりなって、さっさと行け、と手を振った。
「じゃ、エド。先に行こう」
シリィの許可を得たアドルが、ぴょんとカウンターの席から飛び降りる。
「あ、あぁ」
エドは、ちらりとフェイスを見てから、席を立つ。
「じゃ、お先にっ!」
「すまないな、先に行くぞ……」
ピシッと手を挙げたアドルと、申し訳なさそうに言うエドに、シリィはおざなりに手を振って、男どもを追い出した。
その間も、フェイスの漏れ出す空想――妄想か?――は止まらない。
少し聞き逃した。
シリィは眉をひそめてから、カウンターにある席を引っ張り出して、そこに座った。
フェイスの話は、両側にいた二人の男との関係になっている。
フェイスの話は面白い。
シリィも、あの四人の関係を、考えたりするが、フェイスの話はもっと豊かだ。その物語ともいえる空想を聞いていると、自分の中でもいろいろ広がる。それを口にすると、フェイスの空想も広がる。
そのやり取りは面白い。
よく、二人の気が合うのが不思議だ、と言われるが、そう思う人がシリィにとっては不思議だ。そうしてそう思うのだろうか、興味がある。
シリィはカウンターの向こうから店内を眺めるのが好きだ。
そこであった出来事を、フェイスと話すのが好きだ。
人に興味がある。
物語を考えるのも、嫌いじゃない。
……誰も信じてくれないけど。
そして、今日もシリィはカウンターの向こう側で、冒険者たちを見る。
何の興味もないかのような、顔をして。
彼女は知らない。
自分が、フェイスほど素直に感情を表面に出すタイプではないことを。