序曲
吟遊詩人が、古ぼけた木の竪琴をつま弾いている。
騒々しい酒場の片隅で。全ての音が周囲の騒音でかき消されていることを気にもせずに。
「おう、詩人!」
彼の存在に気づいた男が、声をかけた。詩人は手を止め、男を見上げる。
「何か歌えや」
酒で赤ら顔になった男は、床に座った詩人を見下ろし、居丈高に命じる。詩人は深い青の瞳を和ませ、微笑んだ。
「喜んで」
ぽろろん、と琴が鳴く。
「どのような歌を歌いましょう?」
「当然、英雄譚に決まっている」
「英雄譚……勇者の物語、ですか?」
分かりました、と言って、詩人はぽろぽろと竪琴を鳴らし始めた。
「一つ、お聞きしてもよろしいでしょうか?」
単調な曲を弾きながら、詩人は自らの歌を聞くためにしゃがみ込んだ男に問いかける。
「あなたの言う『勇者』とは、なんでょう?」
「勇者ぁ?」
男は怪訝そうな声をあげる。
「そりゃ、あんた、勇者と言えば勇者だろう?」
勇者は勇者、か。これ以上に分かりやすく、分かりにくい表現はない。詩人は苦笑を浮かべた。それを、嘲笑と受け取った男は、赤い顔をさらに赤くする。
「何がおかしい!?」
「いえいえ」
詩人は慌てて首を振る。下手に客の機嫌を損ねる気など、彼にはなかった。
「……ただ、ちょっと抽象的過ぎて。非才な私は、どれを歌えばあなたが喜んでくれるか分からない」
「む……」
男は黙り込む。
酒を飲んでいて、何となく目をやった酒場の片隅にいた吟遊詩人。たまたま目に入ったから、軽い気持ちで自分が好きな勇者の話を所望しただけなのだが……
男の困惑を察したのか詩人は、曲を変えた。
「では、私の知っている『勇者』の物語をいくつか歌いましょう。その間に、あなたにとっての『勇者』を見つけて、私に教えてください」
「ん、わかった」
男の答えに、吟遊詩人は満足そうに頷く。そして彼は、ゆっくりと口を開いた。
なめらかな曲の中に、詩人の声が入ってきた。
男声よりも高く澄んだ声だった。
女声よりも低く伸びる声だった。
声変わり前の少年のような声が、その歌を紡ぎ始めた。
それは、出ることも入ることも適わない、孤立した大陸での物語。
それは、たくさんの勇者が生まれた時代の物語。
それは、魔王が人の敵として存在している物語。
彼は歌う。
勇者のための……