勇者と40人の盗賊 2
エドが冒険者の団体『勇者の四重奏』に加入して、季節が一巡した。
ギルドに登録する冒険者の団体をパーティと言う。そういう意味では、この団体は一つのパーティだが、そう呼ぶには規模が大きすぎた。
大体、一般的なパーティは5~8人だ。このパーティは、多すぎる人数を一般的なパーティの人数に小分けして、実際に仕事を行っている。小分けされたグループを班と呼んだ。おおよそ六、七人で一班となり、それが六つある。実務に駆り出される、いわゆる『冒険者』がそのいずれかに割り振られている。
各班は、単体で動けるように、実にバランスよく人が配置されていた。それでも、班ごとに特徴がある。それは、リーダーに因るものが多い。例えば、遺跡に結界を張っていた気弱そうな男の班は、他の班より魔法使いが多い。女性がリーダーの班は、班員も女性が多かった。
エドの属する、マテーウスが率いる班には、戦士が多い。マテーウス自身は、武器を使って力で戦うよりも、身軽さを生かした情報収集や、撹乱を得意とした。が、他の4人は、それぞれ自分の得意な獲物を手に、正面から魔物と戦うことを得手とする戦士だ。
リーダーと他の面子の得意分野が違い過ぎる気がしたが、彼らは、だからこそ、うまくまとまっていた。マテーウスが情報を得、そこから作戦を立てる。それを過不足なく実行するのが残りのメンバーだ。
そんな中に入ったエドの仕事は、主にマテーウスの補佐と、他のメンバーの補助だった。
つまり、雑用係だ。
一応、この集団の頭にスカウトされた身だが、中に入れば、完璧な下端扱いである。
別に、それに対する不満はない。
どうでもいいからだ。
誘われたから入ってみたが、ここでも興味をそそられるものに出会わない。それは既にエドにとって当たり前のことだから、それに関して何かを思う事すらない。
ただ、唯一不満があるとすれば、歌が無いことだ。
彼らが噂の冒険者なら、沢山の歌となる物語を紡いでいるはずなのだ。物語を紡ぐために勇者を仕立て上げているはずなのだ。なのに、この遺跡の中に、歌は無い。たまに聴こえる旋律は、エドには聞き取ることも発声することもできない、呪文だけだった。
彼らは本当に、あのパーティなのだろうか?
そんな疑問が浮かぶ時もあるが、違ったからどうしようとも思っていない。
微睡みの中の世界では、なにが真実でも、エドにとってはどうでも良いのだ。
「いい加減、女の子が欲しいよな」
部屋の隅で、頼まれた剣を磨いていたエドの耳に、仲間の声が届いた。
部屋では、エドのほかに、30歳程度のがっちりとした男と、ひょろりとしたキツネ顔の男、そして禿頭の大男がジョッキを片手にくつろいでいた。遺跡の中に外から光が入ってくることはないから分かりにくいが、まだ真っ昼間である。さすがにジョッキの中は酒ではない。
「毎回言っていますね」
薄い水色の髪を持つナータンの言葉に、キツネ顔のアヒムが応じた。
「当然だろう? 女の子、出来れば僧侶! 俺はずっと言う!」
「回復呪文の得意な僧侶は欲しいですが、神殿に属していない野良僧侶は稀ですよ」
僧侶とは、神々に仕える神官の中でも、特に呪文によって神々の奇跡を行使する者達である。彼らの呪文は、人に恩恵を与える物が多い。一番直観的なのが、傷や病を癒す力だろうか。
別に神職にある者でなくても、回復の呪文を使うことはできる。しかし、その種類と質は、圧倒的に違った。
荒事が多い冒険者に、傷を癒す力をもつ者は貴重である。だから、僧侶は望まれるが、残念なことに冒険者の僧侶は、絶対数が少なすぎた。彼らは仕える神の神殿に属している。属す神殿から、各地にある教会へ派遣される。神殿という組織に守られていると言ってもよい。
そんな彼らは、冒険者と協力することはあっても、自身が冒険者になる必要などないのだ。あるとすれば『冒険者』の初心である魔王を倒す事を、志している者くらいである。
「そんなことは、わかっている。でも、欲しいものは、欲しい」
アヒムは深く頷いた。
「それは、わかります……で、女性である必要がどこに?」
「俺の嗜好の問題」
「…………」
アヒムが呆れて黙り込む。それを肯定と捉えることが出来なかったナータンは、同意者を求めて、禿頭のソールへと視線を移した。
「……」
しかし、無口な斧使いは、無表情で沈黙したままだ。ナータンは一瞬情けない表情になったが、すぐに眉を上げて勢いよく首を回す。剣を磨きながら彼らの様子を見ていたエドと、目が合った。
「どうだ、少年。お前は?」
彼らは、まだ20に満たないエドのことを少年と呼ぶ。
「女性が来ても……困る」
エドは正直に答えて視線を剣に戻した。表情のない緑の瞳が、よく磨かれた刀身に映る。面白味のない顔だ。
「困るって……」
エドとは逆に、表情豊かなナータンの瞳が、困惑に染まった。
エドは剣を鞘に収め、再び顔を上げる。
「こんな男所帯に女性が来られて、困らないか?」
ここでの生活場所は、良い。困っても、外の班の女性がいるから。だが、外に出ている時は? 女性の事情を把握して、気を配ることが、果たしてできるのか? 鞘に収まった剣をナータンへ差し出しながら、エドは問う。困った表情のまま、ナータンは剣を受け取り、鞘から半分抜いた。一つも曇りのない刀身に映った顔が、一瞬にして喜びに変わる。
嫌なことを、長く抱えていることが出来ないのが、ナータンの長所であり、短所だ。
「さんきゅな、少年。やっぱお前凄いわ」
「……どうも」
お前の剣の扱いが杜撰すぎるんだ、とは、たとえ先輩でなくても、年配の人には言えない。
「ナータン、お前の手入れが杜撰すぎるんだよ」
しかし、エドの心情を代弁するものが現れた。
「マテーウス……」
水色の髪の剣士が、情け無さそうに眉を下げる。部屋に現れたマテーウスはにやりと笑って、彼の剣を奪った。鞘から剣を抜き放ち、きらめく刀身を見て、ほう、と息を吐く。
「しかし、見事だな」
「……どうも」
エドはひょっこりと首を竦めるようにして下げる。正直、剣の手入れが良いと褒められても嬉しくない。エドは剣士ではないし、研ぎ屋でも無いのだ。鉄の武器の手入れは、矢尻や短剣を何度でも利用するために身につけた技術なだけで。
「で、ナータン、朗報だ」
マテーウスがにやりと笑う。
「え!?」
ナータンが、彼の言葉に目を輝かして、身を乗り出した。無関心そうに瞳を閉じていたアヒムも、薄く目を開けて、班長へ視線を向ける。
「秋の新規採用試験に合格した、俺らの新しい仲間だ!」
そう言って、マテーウスは半歩動いた。
彼の影から、金の光が覗き込む――
エドのような突発的に仲間に入る者とは別に、このパーティは定期的に仲間を入れている。
入れ替わりの激しい冒険者の世界で、一定の規模を保つための方法だ。エドがここに入ってから、知っているだけでも、『勇者の四重奏』から、5人の仲間が抜けた。年齢による引退、ケガによる離脱。そして、危険な仕事に殉じて。その穴を埋める為に、ここでは仲間を公募する。集まった希望者から選りすぐり、仲間に迎える。
この夏に、この班でも、一人欠員が出た。山道に出る魔物退治の仕事中だった。
エドはその時の状況をよく知らない。ちょうど、周囲を探りに出ている間のことだった。討伐対象だった魔物に、逆に襲われ、揉み合っているうちに、魔物諸共、谷へ転落したらしい。
遺体は見つからなかった。
魔物も、仲間のも、だ。
エドの次に新参だった彼の代わりに入る人を、秋の定期採用でマテーウスが選んだ。
そして、待機する仲間の元へ連れてきたのだ。
マテーウスが譲った半歩からちょこんと姿を現したのは、エドと同年代の少女だった。少女にしか見えない少年というのも、世の中にいることをエドは知っているが、彼女は間違いなく少女だ。
女性を望んでいたナータンが、小さく口笛を吹く。
彼女は白い清潔なブラウスに、深い青のジャンパースカートを着ていた。この服は、見たことがある。教会にいる若い女性の神官が着ている服だ。彼女にコスプレ趣味が無ければ、待望の僧侶である。背中に流れる砂色の髪は癖が無く、彼女の動作に合わせてさらりと揺れる。大きな垂れ気味の瞳は、好奇心に満ちた琥珀色。編み上げブーツの踵をお行儀よく揃え、彼女はぺこりと頭を下げた。
「フェイスと申します。僧侶の雛です。未熟者ですが、よろしくお願い致します」
春風のような――
朗らかな春の日に穏やかに吹く風を思い出す。陽光に温められた風は、心地良さしか人に与えない。心地良すぎて、眠くなるのが珠に傷だ。
そんな声だと、思った。
初めての後輩なんだから、おまえが世話をしろ、と半ば押し付けられるようにして、エドは新参者の面倒を見ることになった。
単に新参者の相手が面倒なのか、本当に女性が入って来て狼狽えているのか。あれだけ僧侶の女性が欲しいと騒いでいたナータンが、率先してその役を買って出なかったところを見ると、なんとなく後者な気がする。彼にはそういうところがあった。我が儘や無茶を言うが、それが実現すると狼狽えるのだ。
マテーウスと、彼と同年代のナータンが言うことに、アヒムとソールは従う。よって、エドが彼女の面倒を見ることになった。あの二人の場合、面倒だから、上二人の意見が変わらないうちにエドに押し付けようとも、思っていたのかもしれない。
エドは、とりあえず、と言って、アジト内の案内をすることにした。
山に穴を掘って作られた遺跡は、太古の文明の高さを容易に想像できる。土砂によって塞がれた入り口から続く廊下には、等間隔に意匠を凝らした柱が立っていた。何百年前に打ち捨てられた遺跡なのかは知らないが、その彫刻は未だ褪せる事を知らない。壊れた箇所があるのは、現世の住人である荒くれ冒険者達が、修行、または喧嘩で壊したものだ。
「ここが、修練場だ」
二人は広い廊下を閉じた入り口側へと歩く。入り口に最も近い壁にある大きな扉の先が、修練場だ。だだっ広い部屋に、今日も暇を持て余した仲間が集まり、腕を磨いている。
「すごいですね」
フェイスはエドの横に立ち感嘆の声を上げる。
荒くれ共が真面目に修行している風景が凄いと言っているのかと思い、視線を横に向けると、彼女は全然違うところを見ていた。
修練場の壁に刻まれたモチーフ。高い天井に掘られた彫刻。色あせた天井画――彼女の視線は、それら古人の残した物へと注がれていた。
「こういうの、好きなのか?」
「こういうの?」
エドの声に視線を戻したフェイスが、小首をかしげる。さらりと砂色の髪が揺れた。その仕草に、エドはなぜかドキリとする。
「ちょ……彫刻とか、壁画とか」
「綺麗な物を見るのが嫌な方って、いないと思いますが」
「確かに」
エドは納得してうなずいた。
しかし、無骨な冒険者は、ここにある物が『綺麗な物』と認識すらしていない。だから、かつて華やかな行事が行われていたのであろう大広間を、土臭い習練の場としてしまうのだ。
「行こう」
美しかった広間の無残な光景を見ていられなくなって、エドは修練場を後にした。
今の人が住み易いように変えられた古人の遺産を、エドは案内する。炊事場として使っている、美しい女性像の噴水がある泉。各班への挨拶がてら寄った居室は、それぞれテーマをもって作られている。手前から、水、火、土、木、金、光、そして闇。
「なぜ、これらをモチーフに?」
フェイスの疑問は尤もである。どうも、これらは世界を成すモノをモチーフにしているようだが、それにしては、そのモノがおかしい。
全てのモノは水、火、土、風によって成る。それらは光と闇から生まれ、また光や闇となる。水、火、土、風が世界の横軸を、光と闇が世界の縦軸を構成する。それが、今の常識だ。
なのに、この部屋には風がない。風がないのに木と金があるのが謎だ。更に、水、火、土の3つと、光と闇の二つが並んでいる事に、違和感を覚える。
しかしそれは、エド達、今を生きる人間の常識で見ているからに過ぎない。
「古人は、この七つが、世界を織り成す物としていたんじゃないか?」
世界は人が理解するには大きすぎる。人の数だけ、歴史の数だけ解釈があってもおかしくないのではないか。
エドが何気なく答えたら、フェイスはパッと顔を上げた。両手を胸の前で組み、大きな目を輝かしている。
「その考え、素敵ですね。凄いです」
「そうでもない」
エドは無愛想に答えた。これはエドの考えではない。完璧な受け売りである。発想を褒められてもバツが悪いだけだ――誰が言ったのかは、覚えていないが。
「あーっ! エド」
水、火と向かい合う部屋を覗いて、再び広い廊下に出た時、高い声とともに、ドンという衝撃が、エドを背後から襲った。きゃっ、とフェイスが小さく可愛らしい悲鳴を上げる。
「……」
エドは、むっと眉をひそめ、無言で、腰の位置にある、衝突物を掴んだ。エドに片手で掴まれたそれは、じたばたと暴れる。エドは溜息を吐いて、それから手を放した。
「乱暴だぞ、エド!」
文句を言う高い声は、ここに引き取られた孤児の一人だった。
エドは、最初に彼らと仲良くなった。
一般的な冒険者の中でも若い方になるエドは、このパーティでは最年少だった。まだ大人未満のエドは、子供たちにとって打ち解け易かったのだろう。彼らはすぐに懐いてきた――と言うよりも、挑んできた。彼らにとって年の近いエドは、自分の力を試すのにちょうど良い標的なのだ。遺跡内を歩いていると、このように突っ込んでこられる。
「いきなり人に頭突きをかますのは、乱暴じゃないのか?」
「オレはまだ大人しい方だぞ! 呪文も武器も使わないもん!」
「使う奴がいるのかよ!?」
エドは愕然として叫ぶ。武器ならともかく、魔法は流石に止めていただきたい。どうしてくれようと本気で悩み始めそうになったエドの耳に、噛み殺した笑い声が聞こえて、我に返った。
フェイスが、申し訳なさそうに笑っている。
「姉ちゃん、だれ?」
すみませんと言いながらも笑いを抑えることができないフェイスを、少年が怪訝な表情で見る。同時に、エドを狙って潜んでいたらしい子供たちの気配が、あちこちから、はっきりと感じられるようになった。エドを待ち伏せする事よりも、新参者の少女に興味が移ったのだ。
「エドの彼女?」
……
…………
………………はっ?
エドの顔が、かーっと熱くなる。
「かっ……! かのっ……かのっ!?」
「……動揺し過ぎだよ」
顔を真っ赤にして、かのかの……と意味にならない言葉を繰り返すエドに、姿を現した子供の一人が、溜息を吐いた。
一方、彼女扱いされたフェイスは、顔色ひとつ変えずに、膝を折って子供達と視線を合わせる。
「新しく仲間になった、フェイスです」
「シンザンモノか」
小さな、生意気そうな子供が、言う。意味はよくわからないが、大人が使うから使っている、といった口調で。そんな背伸びをする子供にも、フェイスは丁寧に答えた。
「はい、新参者です。不束者ですが、よろしくおねがいします、先輩方」
子供に対しても丁寧で謙虚な姿勢に、子供たちは驚きと、感動の声を上げた。年上の、しかも冒険者に丁寧な口調で『先輩』と呼ばれ、しかも頭を下げられたのだ。
「よ、よろしくしてやるのも、ヤブサカではない」
大人の言葉を真似する子供が、興奮で顔を赤くして胸を張る。よろしくと彼に向かって改めて頭を下げたフェイスの両腕を、少女たちが引いた。
「わたしが案内してあげる!」
「わたしも! いいでしょ、エド?」
「……まぁ、フェイスがよければ」
エドの答えに、少女の目が期待に輝きフェイスを見上げる。彼女は大きな目を細めて頷いた。
「みなさんに、お願いしてもいいですか?」
「もちろん!」
「まかせて、エドより古株なんだから」
女の子たちが、きゃっきゃと騒ぎながら、フェイスを引っ張る。残された形になったエドの背中に、ぽん、と小さな手が置かれた。振り返ると、一番エドと年が近い子供が、年齢以上に大人びた表情で彼を見ていた。
「……頑張れ」
「?」
なにをだ?
謙虚な態度と控えめな明るさが受けたのか、フェイスは遺跡の住人に、すぐに受け入れられた。
年若く、決して子供を侮らない態度が良いのか、特に子供に慕われている。子供の扱いが上手いな、と言ったら、教会にいたころの主な仕事が、子供の相手だったのだと、教えてくれた。教会には、孤児院や託児所が付属していることが多い。
「わたくし、末っ子でしたから。自分より小さい子が懐いてくれると、妹や弟が出来たみたいで嬉しいんです」
「へぇ……」
本当に嬉しそうに語るフェイスに、エドは曖昧な返事をする。
広い廊下の柱背を預け、エドとフェイスは座って子供たちの様子を見ていた。最近、彼の主な仕事は、フェイスと一緒に子守をすることだった。
「それにしても、慌ただしいですね……」
「子供ってのは、そういうもんだろう?」
「いえ、大人たちが」
フェイスの視線は、子供達の遊び場の、更に奥にある。あぁ、とエドはフェイスの言いたいことを理解した。
「近々、大きな作戦が実行されるらしい」
その準備で、誰もが忙しいため、下端のエド達が子守を頼まれるのだ。
「わたくしたちは、何もしなくても?」
「現段階の準備は、上がするものだ。下端は、上の指示に従えば良い」
「……そういうものなのですか?」
フェイスが、不思議そうに首をかしげる。
なんで、彼女はそんな表情をするのだろう?
理解できないエドは、そんなものだと答えて、再び子供達へ視線を戻した。大人たちが慌ただしいことを理解している子供達は、悪戯する事なく、良い子で遊んでいる。そんな分別をつけなくてはいけなかった子供達が、ここに引き取られているのだ。
それは、悲しい事だ。
子供は、大人に迷惑をかけ過ぎるくらいでちょうどいいと言うのに……そこから、加減を学ぶべきだと言うのに。彼らは、すでに加減を知っている。大人に迷惑をかけて怒られる事で知ったのではなく、歳に似合わぬ凄惨な過去によって。
「……魔王を倒せば、こういう子供はいなくなるんだろうか」
彼らが不必要な不幸を得たのは、全て魔物からだと聞いている。魔物がいなくなれば……魔物を統べる魔王を倒せば、彼らのような子供たちは、いなくなるのだろうか。
「!?」
ぽそりと呟いた独り言に、フェイスがはっと顔をあげた。
「エドは、そのために冒険者に?」
「あ、いや! 違う違う!」
エドは慌てて否定する。そんな崇高な目的ではない。なんとなくふらふらと放浪して、放浪するのに便利なギルドにふらりと立ち寄って、ギルドに足を運んだり、日銭を稼いだりするのに便利な冒険者として登録をしただけだ。
「……こういう子供が沢山いる事を、ここに来て知った」
「魔王を倒す勇者が現れると良いですよね」
ふぅとフェイスが両手に顎を乗せて溜息をつく。
「本当に……」
エドは相槌を打って、正面の柱へ目を向けた。
そこには、剣を掲げた勇者の像が彫られている。古い彫像だが、勇者の精悍さは失われていない。今も昔も、描く勇者像というものは変わらない、と言うことなのだろう。
エドは、世界で『勇者』と呼ばれる人物を思い浮かべる。あの中に、魔王を倒す勇者がいるのだろうか。
ウーヴェは、この巨大な組織を率いる、勇者とも呼べる人物だが、彼は違うだろう。足を悪くした彼には魔王を倒す力などない。この集団も、魔王に目標を置いているようには見えなかった。
エドが勇者と言われて真っ先に思い出すのは、この国で英雄と言われた男だ。だが彼は、数年前に、魔物との戦いで、既に果てている。隣国フラビスには、聖槍を国王より賜る聖騎士と呼ばれる者がいるようだが、その者に対する噂を、エドは聞いたことがない。現在カルーラとフラビスは戦争状態だから、情報が入ってこないのだろうか? エドはそうとは思えない。敵国だからこそ、脅威となる聖騎士の情報が入ってくるべきなのではないのか? それがないということは、聖騎士は現在、不在なのかもしれない。
逆隣りのビリディスは、望み薄だ。帝王絶対主義のあの国に、そんな者がいるとは思えない。オストルムはよく知らない。情報がやってくるには、遠すぎる。分かることは、距離を越えて名が届く程の者はいない、と言うことだ。ただ、あの国は一番人の種類が豊富だ。もしかしたら、魔王を打ち倒す勇者はそこから生まれるかもしれない。
他にもいるだろうか? ……誰か忘れているような気がする。そう、エド自身がこいつについて行けば絶対だと思った人が。誰だったのだろう。いつ、その存在を知ったのだろう……
思い出せなかった。
にわかに廊下が騒然としだす。パーティの半数以上が出席した会議が終わったようだ。
「エド、フェイス! ありがとね」
年嵩の女性が二人、エド達の前にやってきた。
彼女たちは現役冒険者であると同時に、子供たちの世話をしている。
「お疲れ様です」
フェイスが立ち上がった。エドも立ち上がる。
「悪いんだけどさ、あの子達、もう少し見ていてくれないかな。用事があれば、そっちを優先していいけど」
「別に構わないが……」
何故だ? とエドが首をかしげたら、欠食児童どものご飯を急いで作るんだよ、と怒鳴られた。
「わ、分かっ……」
「分かりましたが……一つだけ聞いてもよろしいですか?」
フェイスがエドの言葉を遮る。エドは驚いて彼女を見た。声が、心なしか硬い。垂れ気味の大きな瞳が、真っすぐ二人の女性を見ている。
「大きくなった子供は、どこに行ったのです?」
「な、なにをいきなり」
女性たちは、驚いて問い返した。
「様々な不幸によって孤児になった子供を引き取り、育てるのは、素晴らしいことだと思います」
彼らが、自分を救った冒険者に憧れ、それを目指すことも。それがいつから始まったかを、それとなく色々な人に聞いたが、明確な答えはなかった。だが、きちんと孤児達を受け入れる態勢がこの組織にあると言うことは、ここ数年ということではあるまい。きちんと育て上げた実績と、ノウハウがあるのだ。
「そうだね。私がここに入った時には、もうああ言う子達はいたよ」
「こらっ」
答えた年若い方の女性を、年配の女性がたしなめる。何故だ? とエドは首をかしげた。同様に、たしなめられた女性も、理由が分からなかったのだろう。きょとんとしている。
二人の様子に、苦虫を噛み潰したような顔をして、年嵩の女性は、フェイスへ視線を移した。
「で?」
「なんで、ここには若い冒険者がいないのです?」
「若い冒険者……あんたらは違うの?」
「あそこで遊んでいる子の、最年長は12歳です。外から最近入った私達を除いた仲間で、最も年若いのは20歳――あの中に、ここで育った冒険者はいません」
フェイスは断言した。女性たちは、根拠を問うことをしなかった。
「貴方が育てた子もいますよね。その子たちは、どこへ?」
「……ぷっ!」
年嵩の女性が、吹き出した。彼女は、けたたましい笑い声を上げる。おかしくてたまらない、と言うよりも、自棄になっているように見えた。
「大きくなった子は独立するのよ。大きくなる前に、引き取られる子も多い。ここは、生涯居るべき場所じゃないの。私達の役目は、面倒を見ながら、あの子達の新しい居場所を探す事。そこは、あんたら教会もそうでしょう?」
「そうですね。同じです」
フェイスはあっさりと頷いた。
「冒険者になった子も居たよ。でも、ここには入れない。そういう方針なの――なぜか分かる?」
一つの組織にずっと居ると、視野が狭まるからだろうか。それとも、仲間が身内贔屓を始めるからだろうか?
「優秀な新参者よりも、自分が育てた子が、可愛いですよね。意識しなくても、贔屓してしまいます。あと、その子にとって、組織の外を見る機会を失ってしまいます」
エドが考えた答えと同じことを、フェイスは言った。
「そういう事だよ」
「安心しました」
硬い琥珀色の瞳が、ふっと和んだ。フェイスは悲しいことも、辛いことも知らないような笑顔を浮かべる。
「安心……って」
女性たちは怪訝な顔をした。
「最近、孤児を売り飛ばすという悪辣な商売があると聞きましたので」
「……うちらを信用していないの? 仲間だよ?」
「仲間だからこそ、確認しなくてはいけない事もあると思うのです」
疑われたと不機嫌になる二人に対し、彼女は悪びれない。自分の信念があるのだ。
逆に、エドには、信用を強要する彼女たちが、うさん臭く感じられる。「仲間だから信じろ」と言う言葉は、信じるに値しない者が吐く、常套句だ。
「あの子達も……」
フェイスは琥珀色の瞳を遠くへと移す。大人たちの様子を伺いながらも、無邪気そうに遊んでいる子供たちを。
「素敵な居場所が見つかって、これまでの分を清算できるくらい、幸せになるといいですね」
「私も、それを願うよ」
始めて、彼女たちは母親の表情を浮かべた。
彼女たちがあの子供たちを愛しく思っているのは、確かなようだ。