勇者と40人の盗賊-3
良い子にしていなさいよ、と言う保護者に、はーいと元気な返事をして、彼らは再び遊び始めた。遊び場の通路に人が増えたので、子供たちは通路一杯使った鬼ごっこをやめ、小さなグループごとに、おとなしい遊びを始める。年長の子供がいるとは言え、やはり分別がつき過ぎていると、エドは切なくなった。
彼らは、ここの大人たちに、出て行けと言われたら、本心はどうであれ、素直に頷くだろう。そうやって、何人もの子供が、ここを巣立って行った。彼らは今、何をやっているのか……何事にも興味を抱かないエドは、それを知りたいと思った。知りたいと思う自分に、驚く。
いい子で遊んでいる子供たちを眺めながら、フェイスが口を開いた。
「エドは『大きな作戦』について、何かご存じなのですか?」
「興味あるのか?」
エドの問いに、そりゃもちろん、とフェイスは答える。そういうもんなのか、とエドは思いながら、口を開く。
「……遺跡の発掘だって聞いたが」
「ここの?」
と、フェイスは広い廊下の先へ、視線を向ける。エドはさぁ? と首を傾げた。
「――そうかもしれないし、違うかもしれん」
「きゃっ!?」
突然割り込んできた小さいが重厚な声に、フェイスは驚いて悲鳴を上げた。
「ソール……」
禿頭のソールの接近に気づいていたエドは、眉をひそめて首をぐるりと回す。彼のことだ、意図してのことではないと思うが、フェイスを驚かすのはいただけない。
「すまん」
「いいえ」
彼も、そう思ったのだろう。大きな体を小さくして、フェイスに謝る。彼女は花が咲いたような笑顔で応えた。
「わたくしが未熟なのですわ。エドはソールさんがいらしていたことに、気付いていましたから」
「……なら、いい」
「素敵な声ですね」
「?」
フェイスの言葉の意図を掴みかねたのだろう。ソールは、口を「へ」の字に曲げて、フェイスを見る。
「ささやかなのに、よく通る声」
「…………」
無口なソールは、ぴったりと口を閉じた。きれいに剃った頭が、面白いほど真っ赤に染まる。怒ったような表情と、堅く閉ざされた口。そして、真っ赤な顔は、まるで激怒しているようだが、彼に限ってそうではない。照れているのだ。
「……何の用だ?」
なんとなく、そのやり取りがおもしろくなくて、エドは強引に話題を戻した。エドの問いに、ソールの頭から赤が引く。しかし、相変わらず口は閉じられたままだ。元々、声を聞くこと自体が珍しい男である。
彼は、首をくいっと動かして、来い、と合図をする。噂をすればなんとやら。どうやら、例の『作戦』とやらの話がマテーウスからあるようだ。新参者のエドやフェイスにまで話が出来ると言うことは、作戦がようやく実行段階に移ったということだろう。
エドはフェイスと顔を見合わせてから、用事は終わったとばかりにさっさと去って行ったソールの後を追った。
この遺跡のある低い山には、遺跡への入り口が幾つもあるという。領主が招いた学者達によって、それらの入り口には共通点がある、と言う事がわかった。おそらく、その全てが、一つの大きな遺跡の入り口であろう。それが、彼らの見解である。
学者達は、更に奥を見たがった。当然だ。稀に見る大遺跡である可能性が高いのだから。しかし、領主はそれを許可せず、学者たちへ金を渡して、帰らせた。当然学者たちは納得しない。だが、領主はどれだけ訴えても、考えを覆さなかった。解雇された学者たちは、不満を抱えたまま、それぞれに動くことにした。帰った者。諦められず、宿を取って居着いている者。冒険者を雇い、独力で遺跡に入った者。今のところ、彼らの行動を、領主は無視している。
そして、次に領主が雇ったのが、高名な大冒険者パーティ『勇者の四重奏』である。
「依頼は、この遺跡の全貌を知ること」
マテーウス班の仲間が揃うと、彼は今回の仕事を一言で説明した。
「宝は?」
真っ先に物欲に満ちた疑問を投げたのは、ナータンだ。マテーウスは、ニヤリと唇の端を持ち上げた。
「交渉次第。だが、あの方だからな」
「期待できますね」
「なんでです?」
新参者のフェイスが素直に疑問を発する。
「縁が深いんですよ。うちと、彼とは――いや、彼は私達に恩があると言うべきでしょうか」
アヒムがちらりとマテーウスを窺う。彼は軽くあごを引いた。話してもよい、と言う事だ。
「あくどい商人がいてな、領主はその対応に頭を痛めていた」
「うまく立ち回る人でしてね、領主は彼の罪を明らかにして、追放したかったのです。が、理由が見つからない」
「証拠がなかったんだ」
アヒムとナータンが交互に説明を始めた。
その商人は、あらゆるものの売買をしていたらしい。有形無形、合法、非合法問わず。人の売買もしていると、まことしやかに言われていた。どこかの盗賊団と手を組んでいたとも言う。
しかし、抜け目のない彼は、尻尾を決して出さなかった。街の一等地を、詐欺まがいの手段を使い安く買い上げ、屋敷を立てた。貴族真っ青の豪華な屋敷で、彼は仕事をする。違法な売買も堂々とやっていた。それでも捕まえられないのは、決め手となる証拠が無く、彼自身一筋縄でいくような人間ではないからだ。流石商人というべき論法で、皆を煙に巻く――それが、彼の最大の武器だった。
「例えば、人身売買」
ぴくりと、フェイスの肩が動いた。
「子供が屋敷に連れてこられる。そして、連れて行かれる。そこには明らかに金銭のやり取りがあると、分かっているが、それでも捕まらない」
「何故です?」
簡単さ。ナータンが肩をすくめた。
「やってくる子供はみそぼらしい格好をしている。だが、屋敷から出てくる子供は、きれいな身なりをしていたんだ」
「あぁ……」
フェイスはため息をつく。エドにもそのカラクリが分かった。
「貧しい孤児が屋敷に引き取られて、金持ちの家へ引き取られる――善意の塊である教会でもやっている事だろう?」
「表向きには、ですね?」
「ご名答」
話の分かる奴は好きだ。と、ナータンは相好を崩す。
「問い詰めれば、貧しい子供を引き取って、里親に出しただけと答える。どこへ出したかと聞いても、里親の情報は他人へ出さないと契約したと言って、教えない」
「教会でも、教えません」
「そう」
アヒムが、頷く。
「教えないのが『当然』なんです。だから、子供が本当に孤児だったか、本当に里親に引き取られたのか、確認する術がないんです。ただ、訴えと証言がありました。子供が消えたという訴え。そして、消えた子供が貧しい格好で彼の屋敷に引きずり込まれるのを見たと言う証言」
着飾った子供が笑顔だったのを見たことがない……これは、屋敷の近所に住んでいる人達が、皆言っていた。
状況を見れば、明らかなのだろう。だが、目撃証言は決定的な証拠にならない。誰某の子が連れて行かれるのを見た。と証言を受けて屋敷へ行っても、その子供が見つかった試しはなかった。子供が来たはずだが誰だと問い詰めても、彼はのらりくらりと、こう答えるのだ。孤児を拾ってきた。優しい人が里親となって、引き取ってくれた、と。
証拠の子供がいない状態で、そう言われてしまえば、領主は、もう手が出せない。
子供の不幸を分かっていて見過ごすのは、どれほど心痛むものなのだろうか……
「そして、領主は数年前、ようやく重い腰を上げました」
自分たちでは解決できないと悟った領主は、山の屋敷にいる、大人数の冒険者を頼ることにしたのだ。
「それで、どうしたのです?」
フェイスが両手を胸の前で組んで、身を乗り出した。物語をせがむ、子供に似た瞳の輝きだ。フェイスの表情に、エドは驚く。今までの憂いはどこへ行った?
「奴とつるんでいた盗賊団を捕まえ、証拠見つけた。領主は商人の全財産を没収。悪行が国全体に及んでいたんだ商人と、共犯者の盗賊団は、ここではなく、聖都へ罪人として連行された」
めでたし。めでたし。
ナータンは、これで話は終わりとばかりに、手をぽん、と打つ。フェイスが、身を乗り出したままの姿勢で、固まった。
「終わり、ですか?」
不満な様子を隠さずに、彼女はたずねる。
「どうやって盗賊団を見つけたのかとか、盗賊団を捕らえる時の死闘とか、悪徳商人へ罪を突き付けた時の事とか、子供たちがどうなったかとか……ないんですか?」
どこまで壮大な物語を、彼女は期待していたのだろう。語り手だったナータンとアヒムは、顔を見合わせて苦笑を浮かべた。
「死闘は……なかったなぁ。あとは、あまり語りたくない」
語れないような事があったのだろうか? エドは怪しく思ったが、実際はそうではなかった。
「自分たちの業績を誇らしげに語るのは、ちょっと恥ずかしいです」
あぁ、それは分かる気がする。エドが思わず頷いたら、ナータンが、だろっ? と、なぜか嬉しげに聞いてくる。
「そうなんですか……」
しかし、フェイスは納得していないようだ。彼女は柔らかな雰囲気でごまかされそうだが、意外と頑固で、物怖じしない。理解できないことは、とことん突き詰めようとする。
どうしようか、と語り部二人が困って顔を見合わせた時、パンパン! と、手を叩く音が部屋に響いた。
音の方へ、皆が一世に振り向くと、ずっと黙っていたマテーウスが、灰褐色の瞳に苦笑を浮かべている。
「まぁ、そこはおいおい、な」
そうだった。そもそもこれは、本題ではなかったのだ。
「すみません。話の腰を折りました」
フェイスもそれは思い出したのだろう。少し小さくなって頭を下げる。
「なぁに、長い付き合いになれば、いろいろ聞けるさ。うちの奴らはこうだけど、なかには自分語り大好き! ってのもいるからな」
「わかりました」
フェイスは、さっきまでの不満顔が嘘のような、笑顔で答える。エドはその笑顔を驚き混じりで眺めた。
彼女の笑顔は不思議だ。なんで、こんなに交じり気がないのだろう……
マテーウスは、ナータン達が語っていた間に、壁に地図を張り付けていた。それは、この山と一帯の盆地を記したものだった。
山の数カ所に、丸がついている。
「学者が調べた、遺跡の入り口だ」
全部で6箇所。この団体の班数と同じである。おあつらえ向きすぎて、却ってうさん臭い。
「各班が割り当てられるのか」
ナータンの言葉に、そう言う事だとマテーウスは頷く。
「俺らは、ここから入る」
そこらへんに落ちていた、練習用の模擬剣を拾って、マテーウスは丸の付いている一カ所を指し示した。運よくなのか、敢えてなのか、この遺跡から最も近い箇所にある印だ。
「遺跡突入は同時に行う」
時期は? と問う声に、霜降だとはっきりとした答えが返ってきた。今は、寒露が過ぎて2週目だ。突入は2週間後――1週は月の数と同じ4日だから、あと、10日もない。
「各自準備は怠るなよ」
マテーウスの言葉に、当然だ、と答えたのは、ナータン。ソールは無言で頷く。アヒムは、ふっと笑って傍らにある剣を手に取った。すぐ隣で、ゴクリと唾を飲み下した音が聞こえる。視線だけを音のした方へ向けると、緊張で強ばったフェイスの顔があった。
このパーティに入って1年強。細々とした仕事は無数にあった。他の班と一緒に行動するような大きめな仕事も、一カ月ほど出っぱなしの長く時間を必要とする仕事もやった。だが、パーティ全員が携わるような大規模な仕事は、初めてだ。
そのため、自分でも気づかないうちに、気が高ぶっていたのだろうか。エドは、夜遅くに、ふと目が覚めた。
仕事自体は、たいして興味を抱くようなものではなかった。大きそうな未知の遺跡の探検と言っても、所詮盗掘でしかない。確かに、知らない場所を知りたいとは思う。だがそれは、興味というよりも、習慣のようなものだった。知らない場所は、まず知ることから始める。何も知らなければ、何があっても対処できないからだ。それはすなわち、死へと繋がる――そう教え込まれたエドは、知らない場所があることを知ると、そこを調べないと落ち着かなくなっていた。
―― その習慣は良い事かもしれないけど、悲しいことだよね。
遠い記憶から、声がする。彼の声だ。
―― 私は、幸せ者だ。未知に対しては、好奇心しかもてないからね。
彼は、だから探検しようと、エドを強引に引っ張り出した。どこへ行ったか、それが誰だったのかは、良く覚えていない。
「駄目だな……」
めったに思い出す事がない、遠い記憶が蘇ってしまった。そうなると、眠る事が出来ない事を、エドは知っていた。エドは早々に眠る努力を放棄して、そっと部屋を抜け出す。
誰もいない大廊下は、廃墟のようだ。こうしていると、本当にここは古代の遺跡なのだと実感する。この砦を、遺跡ではなく人の住処のように見せているのは、結局は人の活気なのだと思い知らされる。
エドは、静まり返った廊下を、音も無く歩いた。
延々と続く廊下を曲がると、土が剥き出しになった通路に入る。その道を進むと、現代風の扉があった。現代の住人がつけた扉だ。エドは外に出ようと考えていた。眠れない夜は、夜風に当たりたくなるものだ。その理由はわからない。
エドは扉の前で立ち止まった。一点を見つめ、眉をひそめる。侵入者通知用の罠が取り外されていた。
侵入してくる時にだけ音の鳴る便利な罠は、夜中にそっと遺跡から抜け出す人間にとって、都合が悪い。出る時は問題ないが、帰ってきた時にけたたましい音が鳴ってしまうからだ。折角誰も起こさないよう静かに出られても、帰りに起こしてしまえば意味が無い。なので、眠れない者が夜風に当たろうとしたり、夜中に帰還する類の仕事があったりした時には、この罠は外されていた。これでは折角の罠も無意味だと思うが、そもそも、ここに忍び込むこそ泥がいるとは思えない。冒険者の住処など、得るものの割に、リスクが高すぎる。
エドは扉をそっと開けた。腕の良い職人が作ったのだろう。立て付けの良い扉は、音も無く開く。
ふわりと湿り気のない風が、エドの頬をなで、垂らしたままの長い髪を掻き上げる。エドは風に遊ばれる髪に、結わえてこなかった事を後悔した。邪魔な髪を手で押さえて、外に出る。扉から手を離すと、音も無く扉は閉じた。優秀な技術者の作った現在の出入り口は、開けたら自然に閉じる仕組みになっていた。
カルーラは、湖の向こう岸にある砂漠の国オストルムに匹敵するほど、湿度が低い。湿気を含んだ風は、全てルクシスに遮られ、国内にはからっ風ばかりが吹いてくるのだ。特に、冬の北風は。湿気った風を受ける山には雪が多いが、里にほとんど雪が降ることは無い。ただ、底冷えする。特に、天気の良い夜の冷え込みは格別だ。
秋半ばのこの季節、すでに外は冷え初めていた。霜降は霜が降り始める季節だ。この国の北、ルクシス山脈沿いは、もっと早いだろう。もうそろそろ初霜かもしれない。
エドはふっと空を見上げた。山頂まで木々に覆われた山だが、この入り口の周りだけ木は無く、ちょっとした広場になっている。見上げれば、木々に遮られる事なく星空が見えた。空が全体的に青白いのは、蒼満月が過ぎて間もないからだ。しかし、その月自身は視界にない。いくら見えるとは言え、草原に比べたら、空の見える範囲は微々たるものなのだ。
リーリーと、虫の音が聞こえる。この季節は、世界中が、虫たちの演奏会の舞台である。エドは一本の大きな木に背を預けて、瞳を閉じる。が、すぐに眉をひそめて薄く目を開けた。
誰かの、話し声が聞こえる。
言葉まではっきりと聞こえないが、確かに人のしゃべり声が、虫の音に紛れてエドの耳に届いた。声は一種類。誰だ? 何を、している?
エドは気配を殺して声のする方へ忍び寄った。
「……だそうです。――六つ」
木立の影と一体化している人物の声が、とぎれとぎれに聞こえてくる。その声に、エドは聞き覚えがあった。その声は、普段の声からすると、驚くほど響かなかった。
「だと、思います。――あぁ、わたくしたちは…………。――はい。います」
誰かと話しているようだ。だが、相手は見えない。遠隔の通話だろうか? そういう不思議な道具があることを、エドは知っている。音を伝え、蓄える不思議な石がある。それを二つに割る。それを持てば、遠くにいても会話ができるのだ。さらに魔法道具の職人に石を加工させれば、すぐ隣にいるかのように、明確な会話ができる。冒険者にとって、珍しい道具でもない。
しかし、誰と会話をしている? エドは声の主から死角になる木の影へ潜んだ。純粋に、知りたい。エドは会話を聞くために、集中する。
「では、おやすみなさい。ちゃんと寝て下さいよ。倒れられたら困ります」
しかし、残念な事に、必要な会話はすべて終わったのだろう。声は最後にそう言って、沈黙した。
虫の音が、再び森を支配する。エドはこの先にいる人物に、声をかけるべきかどうか悩んだ。普段だったら、迷わず声をかけただろう。しかし、あの密談を聞いた後だ。肝心なところは何も聞こえていなかったとは言え、何も知らない顔で声をかける事はできなさそうだ。エドは、しらばっくれるのが苦手である。
相手は自分の存在に気付いていない。このまま、そっと立ち去ることも出来るだろう。だが、エドの中に、その選択肢はなぜかなかった。
エドは、自分の行動を決めかねて、木陰に立ち尽くす。
そのまま、どれくらい悩んだだろう。
エドの耳に、虫の音と違う音が再び届いた。
これは、秋の音色を阻害する、無粋な会話ではない。森の虫たちを伴奏とした、細い歌声だった。
―― 春だ
秋と、春による、奇跡の共演だ。
何かの歌、という訳ではない。恐らく、呪文でもないだろう。口から出てくるに任せて、音を奏でているだけのようだ。
意味をなさない歌は、しかし、心地よくエドの耳に入ってくる。エドは瞳を閉じて、歌に聞き入った。
天に吸い込まれるような音で、観客が盗み聞きの男一人だけの演奏会が終わった。エドは、感嘆の息を吐いてから、月明かりに姿を曝す。
「フェイス――」
そして、演奏会の主役の名を呼んだ。
聴衆がいることに、全く気付かなかったのだろう。低いエドの声に、フェイスは驚いて肩を震わせた。琥珀色の瞳を見開いて、きょときょとと首を巡らす。すぐに月光に輝くエドの髪を見つけ、彼女は破顔した。
「エド。どうしたんです、こんな時間に?」
「目が覚めたから、夜風に当たろうかと。そうしたら、歌が聞こえて……」
声が聞こえた、とは言えなかった。事実を知ることよりも、彼女の笑みがくずれる瞬間を見たくなかったからだ。それでも、あの会話がやましいものなら、彼女はエドの言葉に、笑みを消して詮索してくるだろう。
「わたくしも、眠れなかったんです」
彼女の笑みが崩れないことに、エドはほっとする。
「初のお仕事が、大きなものでしたから、ちょっと興奮してしまって。それで、ちょっとした縁で一緒に仕事をした方と通話していたんです」
フェイスは、懐にしまっていた通話機を取り出して、エドに見せた。これで、エドは完全に安心した。ここまであけっぴろに語れるのなら、人に聞かれて困るような会話ではなかったのだ。こそこそしているように見えたのは、夜中に大声を出す事を、ためらったからであろう。常識的なことである。一瞬でも、彼女を疑った自分が恥ずかしい。
「そうしたら、なんだか歌いたくなってしまって……」
「昔の仲間?」
「良き友人です」
「へぇ……」
フェイスの友人とは、どんな人なのだろう。エドは興味を抱く。こんなことに、自身が興味を抱けた事に、内心驚きながら。
「ちょっとした、悪友ですね」
フェイスは何かを思い出したらしく、くすくすと笑い出した。
「悪戯っ子なんです。悪戯は人を悲しませてはいけない、笑う者がいなければ悪戯する意味がない、という信念を元に、簡単なものから、手の込んだことまで」
「たちが悪いな」
フェイスの友人としては意外な人物である。
「あとは、歌を歌ったり、作ったりもしました」
「歌――好きなのか?」
あんなに楽しそうに虫の音と合唱できる人が、歌嫌いな訳がない。無粋だと思いつつ、エドは聞いた。フェイスは、ふわりと笑って頷く。
「大好きです」
「もしかして、ここに入った動機って……」
「はいっ!」
フェイスは目を輝かして頷いた。
「麓の町で歌を聞きました。その歌は吟遊詩人に伝わっている新しい歌で、作ったのは、冒険者だと。その名前が」
「勇者の四重唱だか四重奏とか言う名前」
「……エドも?」
フェイスが大きい瞳でエドをのぞき込む。エドはわずかに顔を赤らめて、うなずいた。
「酒場で聞いて、感動した。すごく、好きな歌だった」
春がまた、訪れた。
フェイスが、この上なく幸せそうな表情で、ほほ笑んだのだ。
フェイスは彼らが作ったらしい歌を、沢山知っていた。この歌は聞いたことありますか? この歌は? と言って、彼女は歌を歌い出す。春風を感じる彼女のソプラノは、聴いていて暖かい。
知っている歌は、一緒に歌った。ソプラノの下に、そっとバスをいれると、フェイスの声は、喜びで弾む。それがまた、エドは楽しかった。
夜空の下、散々歌って、歌い疲れた二人は、一本の大きな木を背に並んで座った。色が変わり始めた木の葉はまだ密で、星空を伺うことはできない。
「実は、ちょっとがっかりしているんです」
フェイスは小さな声で打ち明けた。がっかりした理由は、エドにも推測できる。
「歌がなくて?」
「そうです!」
エドの問いに、フェイスは首を大きく上下に動かした。
エドも、そうだ。
勇者を仕立て、歌を作りだす冒険者パーティ。なら、そのパーティ内は、さぞ歌で溢れているだろう。そういう期待がなかった訳ではない。
だが、エドがこの砦に住むようになって1年とちょっと経つが、呪文以外の歌を聞いた事がない。子供たちの遊びにすら、歌はなかった。決して恵まれていたとは言えないエドの幼少期の中でも、歌はあったと言うのに。
「……わたくしは、間違えたのでしょうか?」
フェイスの声が、不安で曇った。
「間違えた?」
「だって、うろ覚えだったんです。『勇者』の『四重唱』だか『四重奏』ってくらいしか覚えていなくて……」
「それで『勇者の四重奏』と言う名前を聞いて、ここだ、と応募した?」
「はい。名前は覚えられなかったのですが、憧れでしたので」
「いざ入ってみたら、求めるパーティであると思える要素が――歌がなかった?」
「はい」
「同じだ」
エドは呟く。
入る動機がフェイスと同じであった。肝心の、パーティ名がうろ覚えのまま、確証も持たずに飛び込んだあたりまで。ただ、違うのは、エドは別にこのパーティに望んで入ろうと思わなかったところだ。たまたま声をかけられたパーティの名前が、エドの好きな歌を作る冒険者パーティらしいパーティだっただけで。別に『勇者の四重奏』ではなくても、このパーティに入っていただろう。なぜなら、断る理由がなかったからだ。だから、ここが自分の思っていたパーティと違っていたからと言って、どうする気もない。エドが勝手に勘違いして、勝手にがっかりしただけの話だ。
だが、フェイスは違う。彼女はそのパーティを探していた。自分の好きな歌を作るパーティだと信じて、ここに入った。確証を取らずに突っ込んだあたりが早計であり、この世界では自業自得とも言えるのは確かだが。
しかし、かわいそうではある。それに、違うと判断して、去って行かれても、寂しい。
「う、歌を作る班が、別にいるのかもしれない」
「歌を作る、班?」
そう、とエドは頷く。
「全員が、勇者を助け、歌を作っている訳では無くて、一つ、そう言う班があるだけなのかもしれない。その班が、このパーティの名を名乗って歌を広めている――別に、嘘じゃない」
そして、急激にその名が広がったのは、このパーティが大規模だからだ。依頼をこなし、活躍している人と、歌を作る人は別でも、おかしくない。
「……なるほど」
フェイスは顔をあげた。
「そう言う考えもありますね」
「だろ?」
エドは、満足そうにうなずいた。しかしフェイスはすぐに表情を暗くして俯く。
「もうひとつ、不思議な事があるんです。エド、聞いてくれますか?」
「あ、ああ」
エドは頷く。
「このパーティは、歴史が長そうです」
「だな」
少なくとも、子供を育て、独立させるだけの時間、このパーティは存在していることになる。
「でも、ギルド名簿を見ると、『勇者の四重奏』と言うパーティが登録されたのは、昨年の立秋なんです」
「え!」
エドは声をあげた。
昨年の秋と言えば、エドがここに入った頃だ。
「ありえない」
断言できる。この冒険者集団は、昨年の秋に設立するような新しい団体ではない。『勇者の四重奏』が登録された頃に加入したエドは、1年経った今でも新参者扱いだ。つまり、それだけ長い年月をこの団体で過ごしてきたものが沢山いるということだ。
ありえない話だが、ギルドの名簿は嘘をつかない。一般の冒険者が閲覧できる箇所がごく一部だとしても、改竄したものを渡すことを、事務員はしない。『勇者の四重奏』と言うパーティは、エドがここに来た頃に、ギルドに登録されたパーティである、と言うことは信じていいだろう――ギルドの書面上で、と言う話だが。
「だが、それはあくまで事務的な話だ。登録していないパーティはごまんといる」
「パーティ登録するメリットは大きいですが、必須ではありませんからね」
「もしかしたら、以前は班ごとにパーティとして登録していたのかもしれない。それを一年前に、まとめて再登録したとか」
「そうですね……」
必死で言いながら、エドは頭の片隅で、なんでこんなにこの団体を擁護しようと必死なのかと、疑問に思う。エドは今、フェイスの疑問に対し、必死で言い訳を考えて、取り繕っているような気がしてならない。
「でも、どちらにしろ、なぜこの時期に? と言う疑問があります」
「……うっ」
エドは言葉に詰まった。
「そうする必要があったのでしょうか。それともなにか目的が?」
フェイスは首をひねる。
三回、左右にゆっくりと捻った後に、ふぅと溜息をついた。
「考えても出てくるものではありませんね」
「まぁ、そうだな」
この手の問題の答えは、知っている人に聞く、またはそれが分かる何かを調べだす事でしか、出てこないであろう。秋の夜空の下で、頭を捻らせて出てくる類の答えではない。
「そろそろ、戻りますか」
フェイスは、立ち上がって、大きく伸びをした。高く上げた両手をふわりと落とし、エドへ笑顔を向けた。
「ありがとうございます」
「な、何が?」
ぺこりと下げられた頭に、エドは驚く。
「歌いたくてうずうずしていたんです。エドと歌えて、良かった」
「それなら、俺も」
フェイスの笑みに、エドは柔らかに答えた。
エドも歌いたかった。フェイスがどうだったか知らないが、エドはずっと歌いたかったが、歌う機会がなかった。なぜなら、彼の求める歌が、独唱ではないからだ。エドは、合唱を好む。一人で歌えない訳でもないが、エドの声は、一人で歌うのには向かないと思っている。低すぎるのだ。だが、それが嫌だと思った事はない。エドはこの重低音で他の人の歌を支える事に、誇りと楽しみを持っていた。
「やっと、歌えた。楽しかった」
思わず、笑みが漏れる。
こんな穏やかで、満たされた気持は、久しぶりだ。
「やだ、エド!」
フェイスが、琥珀色の瞳を潤ませて、両手で口を押さえて叫んだ。
「何だ?」
何が起きたのかと、エドは腰を半ば浮かして警戒をする。碧の瞳を鋭く周囲へ向けた。
しかし――
「エド……可愛いです」
「………………は?」
その姿勢のまま、エドは固まる。何が、なんだって?
茫然とフェイスを見ていると、口にあてたフェイスの手がずるずると胸元まで落ちて、そこでしっかりと組まれた。
「絶対、笑ったほうが良いです! 表情の変化が少なくて、騎士然としているいつもの様子も格好良くて良いですが、だから素敵。それだからこそ、笑った時の幼さが……もう、すっごく良いですっ!」
胸元で手を組んで、目を潤ませてフェイスは一気に言い切った。
「えっと……」
かわいい? 騎士? 幼い?
どう反応すればいいのか、エドには分からない。
「あぁ、でも、笑顔の安売りも勿体ないですよね。やっぱり、意外さは貴重さを持ってないと。なら、このくらいたまに笑うくらいが、良いのかもしれません」
「はぁ、どうも」
彼女は空を仰いだ。
どうやら、もうすでにエドなど眼中にないらしい。
「並べてみたい。一刻も早く、二人を並べてみたいです」
……誰と、誰を?
エドは疑問を飲み込んだ。陶然と空を見上げるフェイスには、その問いを許さない独特の迫力があったからだ。