勇者のための四重唱


少年剣士と貴族の坊ちゃん 1

 うららかな初秋の朝。山間の街にあるギルドでちょっとした騒ぎがあった。


 本人としては重大だが、傍観者にとっては微笑ましいその騒ぎの中心人物は、二つの冒険者パーティと、その依頼者だ。両者とも街の冒険者ではなく、カルーラ内を巡る冒険者だった。片方は、仕事のためにこの街にいて、もう一方は仕事のために、今朝、この街に来た。

「君が、アドルだね?」

 人気のない朝の酒場のテーブル一つを、アドルは占領して、本を開いていた。彼の前に立ったのは、くすんだ藤色の髪をもつ、20代前半の青年だった。

「貴方は?」

 初対面である。

 アドルは本にしおりをしてから綴じ、青年を見上げる。アドルの視線の先には、声をかけてきた男と、彼よりも大きな男が四人いた。中心に立つ人が一番小さい冒険者パーティに、アドルは親近感が沸く。

「僕は『紫炎』のカルル。初めまして」

「アドルだ。初めまして、カルル」

 差し出された奇麗な手を、アドルは握る。恐らく彼は、魔法使いか何かだろう。荒事を知らない手だ。

「君を、探していたんだ」

「なんで、ボースなんて田舎にいるんだよ」

「はぁ……」

 カルルの言葉に続いて、後ろの大男が文句を言う。そんなことを言われても、物見遊山でここに来た訳でもないし、彼らから逃げていた訳でもない。むしろ、仕事が終わってものんびりとボースに滞在していたことを、感謝してほしいものだ。

 アドル達が勤勉なら、今頃綺麗にすれ違っていただろう。

「何の用?」

 アドルは来訪者に席を勧めながら、訊ねた。嫌な予感がした。こういう予感は大体当たる。良い予感は全く当たらないのに。

 全く、都合の良い話だ。

「オレを父上のところまで連れて行け!」

 女性のものではない、高い声が、冒険者達よりも低い位置から聞こえた。あえて視界にいれなかったその存在こそが、アドルの『嫌な予感』の根拠だ。いや、根拠があるのだから、これはそもそも予感ではない。推測というのだ。目の前で胸を張る声の主を見ながら、アドルはそんなことを思った。

 大人の冒険者の間に、守られるようにして立つのは、十歳程度の子供だった。ほぼ黒に近い濃紺の髪と瞳を持つ子供は、質素で汚れているが、質の良い服を着ている。

「父上が、何かあったら冒険者アドルに頼れとおっしゃった。だから、彼らにここまで供をしてもらったんだ」

「名前」

 アドルの低く短い言葉に、子供はおおっと声を上げる。すっかり忘れていたらしい。

「オレはミロ。ミロ・ラーマ。伯爵家の……」

「セザール伯爵の一人息子、か」

「おおっ! 父上を知っているのか」

 ミロと名乗った子供の顔が輝く。一介の冒険者に、家名から当主の名前が出てくる者は、少ない。ミロは、それを知っている――または、ここまでくる間に知ったのだろう。

 普通、冒険者や、一般の人がカルーラの貴族を全員把握することはない。生活するには、自分に関係する貴族だけ知っていれば、十分だった。貴族当人も、全て把握している訳ではないだろう。数の少ない公爵、侯爵ならいざ知らず、伯爵以下になれば、なおのことだ。

 アドルがラーマ家の当主を知っているのは、それなりの理由があってのことである。

「父を知っているのなら、話が早い!」

「お断りします」

 アドルの答えは早かったが、行動も早い。冒険者達がぽかんとしている間に、本を右手に持って立ち上がる。彼らが気づいた時には、すでに背を向けていた。

「ま、待ってくれ!」

 アドルは腕を強く引っ張られて、折角立った席に再び戻る羽目になった。深く蒼い瞳を、本を持っていない方の腕へ向ければ、貴族の子供が腕にぶら下がっている。子供は、大人よりも身が軽い分、行動も早い。

「酷いじゃないか!」

 ミロがかん高い声を上げる。

「話くらい聞けよ!」

「用件は聞いたよ」

 父の元へ連れて行けと言ったのは、誰だったか。アドルは細い眉を寄せて答えてから、顔を上げた。視界から子供が消える。

「貴方達は、セザール伯爵がどこにいるか知ってる?」

 視線を向けた先のククルは、首を横に振る。

「いや、知らない。教えられない、と言われたから、聞けなかった」

「依頼者は?」

「ラーマ家に仕える召し使いだね。依頼内容は、ミロ君を君の元へ連れて行く事」

「使用人が送り出した、と。屋敷に招かれて?」

「いや、ギルドまで来た。使用人三人に囲まれて」

「それは、お疲れ様」

 子供を冒険者の元へ連れて行く仕事なら、その子供の目的と行く先を把握してから請けろよ、と物凄く言いたい。だが、それは八つ当たりだ。カルル達の行動は、冒険者としては普通のものなのだから。

 冒険者は、依頼以上の責任を持たない。契約の範囲外にまで首を突っ込むのは、アドル達のような『よろしくない』冒険者だけである。

 もっとも、『よろしくない』冒険者アドルだって、首を突っ込みたい話でないなら、必要以上のことを知ろうとは思わない。特に、気の進まない依頼ならなおのことだ。

 つまり彼らは、一般的な冒険者、または、気乗りのしない依頼を押し付けられた不幸な冒険者である。アドルは、主観と偏見と自らの精神衛生上のため、彼らを後者だと決め付けて、目の前の冒険者達に八つ当たりしたい衝動を押さえ込む事に、成功した。

「私のところに連れて来たから、貴方達の依頼は完遂した、で良い?」

「受け取りのサインでももらった方が良いかな?」

 カルルのおどけた言葉に、それは必要のないものだ、と判断する。貴族のご子息――しかも、ミロと言えば、セザールが目にいれても痛くないほど愛している嫡男だと、アドルは知っている――をうさん臭い冒険者に預けるにしては、随分不用心だと思うが。

「この後の予定は?」

「特になければ、東へ」

「……招集されたのか?」

 すっと低くなったアドルの声に、まあね、とカルルは肩を竦める。それなりの実力があり、信頼に足る冒険者には声をかけるようにギルドに依頼した、とあの人は言っていた。と、言うことは、彼らは『それなり』の冒険者なのだろう。

 恐らく、この子供を送る依頼を受けたのは、行く方向が一緒だったからだ。もっとも、一緒なのは聖都の東、という方角だけで、ボースと件の招集地とは、谷が違うのだが。

 カルルの仲間が、アドルがここにいることを責めた理由を理解して、アドルは軽く頷いた。

「絶対いかなきゃいけないわけじゃないんだろう?」

「まあ、僕らは『冒険者』だからね。人の血で剣を汚すのは、正直趣味じゃ無い」

「同感」

 アドルは深く、二度頷いた。

 冒険者の剣は、人を守り、魔物を斬るためにある。決して人を傷つけるためにある訳ではないのだ。そして、カルル達の行く先に待っている仕事は、人を斬るものだった。

「じゃあ、そんな『紫炎』に、私から依頼だ――ちゃんとギルドを通すよ」

「…………」

 なんだ? と訝しがる仲間を背に、カルルは何かに思い至ったらしく、眉を寄せて黙る。アドルは彼の予想を当ててあげることにした。

「この子供を、家まで送り届けてほしい――」

「嫌だっ!」

 子供の遠慮ない大音声がギルドに響く。驚いた従業員が、ガラスを落とした音がした。一気に酒場は騒々しくなる。

「ラーマ家より貰った金は?」

「言わないよ」

 カルルは苦笑する。そうだろう。報酬を言い触らさないのは、まともな仕事人の証だ。

「イヤだ! 家には帰らない! 父上の元へ連れて行け!!」

「私が聖都まで送り返してもいいけど、さすがにそうすると次の予定に支障を来すから無理なんだよ。仕方なく招集に応じるより、冒険者らしい仕事の方が、カルル達はいいんじゃないのか?」

「それはそうだが……」

「ヤだ! ヤダヤダヤダヤダ!!!」

「なんで、そんなに嫌なんだ? 父親の元へ、連れて行くだけだろう? 口調からして、アドルはミロの父親の居場所を知っているようだし……」

 カルルの質問はもっともである。アドルは、力いっぱい掴んでいる自分の腕を引っ張るミロへ、冷たい視線を落とした。

 うるさい、黙れ、静かにしろ。

 あと、痛い。

「…………子供は苦手だ」

「はい?」

「酷いっ!」

 かくん、と目の前の男たちが口を開ける。

「あ……」

 彼らの反応を見て、アドルは言うつもりがなかったことを口走ったことに気づいた。子供のあまりのうざったさに、思わず本音がこぼれ落ちたのだ。

 しょうがない、とアドルはため息をつく。同じヘマは二度としないと心に刻み付けて。

 アドルの漏れた本音を聞いたミロは、オレを子供扱いするな、などと、意味の分からないことを叫びながら、さらに激しく腕を引っ張った。アドルはイライラが増している自分に気づく。そろそろ、本気で引きはがしにかかっても良いだろうか? 一桁前半の子供ならいざ知らず、十分な質量と腕力を持つ、十代の子供の本気に耐えられるほど、アドルの体は頑丈にできていないのだが……情けないことに。

「理屈の通らない者は苦手なんだ。他にも、セザールのいる場所へ子供を連れて行けないとか、いろいろ理由はあるが、行く先があそこじゃなくても、私は嫌だ」

「『勇者のための四重唱』は、子供を題材とした冒険も歌っていたと思ったけど……」

「よく知っている」

 アドルは苦笑しながら、本を机に置いて立ち上がった。立ち上がっても、半ばぶら下がった状態のミロが、本当にぶら下がることはない。アドルの背が年齢にしては低く、ミロの背が年齢より高いせいだ。

「ファンだからね」

 カルルは幾分照れて答える。それは素直に嬉しい。嬉しいが、これとそれとは話は別だ。カルルがファンであるアドルに、嫌がる仕事を押し付けるのと同じである。

 公私を分け、理屈が通じる大人は嫌いじゃない。

「私は、一度たりとも快く請けた事はないんだよ。請けるのは大体、子供好きな……」

「おや」

 女性にしては低いが、決して男性に間違えることはない声がして、アドルは口を閉じる。

「アドルが子供と戯れるなんて珍しいね」

「……姐さん、俺には子供に苛められているように見えるが」

「まあ、可愛い子」

「……こいつらだ」

 アドルは、深々とため息をついた。

 小さいというだけで、子供に好意を抱ける仲間たちが、アドルには理解できない。


 話を聞いた仲間たちは、流石に困った表情を浮かべた。

「セザール伯爵って……あれだよな?」

 彼らはその名前を知っている。対面したことがない分、アドルよりも持つ情報は少ないが、少なくとも彼の居場所と、彼がそこに居る理由を知っている。

 エドの確認するような問いかけに、あっさりと頷いたのはフェイスだ。

「はい。シャフロン防衛線の指揮官です」

「シャフロンの!」

 カルルが驚いて声を上げる。

 シャフロン平野。シャフロンの防衛線。カルーラ聖王国で、その言葉を知らないのは、幼子と世捨て人だけだ。


 魔王と魔物が人々の敵であるこの時代、カルーラ聖王国は愚かにも人同士の争いを行っていた。

 カルーラ側に言い分はある。相手が、自分の領土を侵したのだ。カルーラにとって、領土を侵す他国は、人を襲う魔物と変わらない。その地を、そこに住む人々を、そして、自分たちの生活を守る為に、戦うだけだ。

 領土を侵す人から身を守る骨肉の争いは、昨年の秋分から始まった。


 豊饒の秋。肥沃な平野は無骨な蹄鉄で荒らされた。ピディス河を挟んだ向こう側にある国、フラビスが、自慢の騎馬隊で侵攻して来たのだ。

 それは、カルーラ側にとって不意打ちだった。それを、カルーラの油断だと言うのは、酷であろう。

 河を境界に、領土を分け合って数百年。騎馬の国と剣の国は、他の国よりも良好な関係を続けていたのだから。

 不意を突かれ、しかも相手は平地で絶大の破壊力を誇るフラビスの騎士団だ。シャフロン平野は、一瞬にしてフラビスに占領された。

 残ったのは、侵攻前に辛うじて門扉を閉めることができた、セルペンの街だけだった。

 それから一年弱。カルーラは、辛うじて聖都寄りの峠町チェルトラを奪取し、そこを最終防衛戦として戦っている。荒らされたシャフロン平野を奪還することを目的として。


 カルーラからの援助を受けることができる唯一の町、チェルトラを、フラビス軍から守るようにして敷かれた陣が、シャフロンの防衛線と呼ばれている。ミロの父親セザール伯爵は、そこの指揮官の一人だった。


「……それは、子供の行って良いところじゃないね」

 理屈の通じる大人なクルルが、難しい顔をして頷く。

「そんなこと分かっている!」

 ミロが叫んだ。

「それでも、父上に会わなくては行けないんだ。だから、アドル、おまえに頼むんじゃないか!」

「……伯爵は、私ならそういう無理を通さないから『頼め』と言ったのかもしれないね」

「そんなことないっ!」

 こんなに振ったら、目が回るんじゃないだろうか? そう心配したくなるくらい、子供は左右に激しく首を振って否定する。首を振るたびに引っ張られる腕が痛い。

「アドルは優秀な冒険者なんだろう? だから、できない訳がない」

 どういう理屈だ。

「優秀じゃないよ」

「『いらいたっせいりつ』は、聖都の冒険者の中で一番だって聞いた」

「それは単に、無理な依頼は請けない主義だから」

「歌には、奇跡が沢山あるっ!」

 アドルは溜息をついた。誰だ、貴族の坊ちゃんに俗っぽい情報と、英雄譚を聴かせたのは。

「演出という言葉を知らないのかい?」

 歌は、全てが事実なわけではない。多少の脚色、演出があってこその、面白い物語だ。そしてアドル達は、脚色はしないが、演出を好んでする。あと、まぁ……種も仕掛けもある事を、あえて奇跡のごとく表現することはあるが。

「物語と現実の見分けのつかない子供は、家でおとなしくしていたほうが良いよ」

「子供じゃないっ!」

 ミロは子供の常套句を叫ぶ。

「アドルは、子供が苦手だから、オレの話を真面目に聴こうとしないんだ! オレが嫌いだから、追っ払おうとしているんだ!」

「苦手と嫌いは違うんだけど……」

 アドルは心の中で舌打ちする。苛立ち任せて本音を漏らしてしまったのが、失敗の元だ。あんなことを言ってしまえば、どんな理屈も全てが、奇弁になってしまう。

 目の前の子供を笑えない。自分も十分に子供だ。

「なんで、危険と分かっていても、お父様の元へ行きたいのです?」

 困り果てたアドルを救ったのは、フェイスだった。

 いや、それは果たして救いの手か……

「行きたいんじゃない。行かなきゃいけないんだ」

 しゃがみこんで視線の高さを合わせたフェイスに、ミロは腕に力をいれて答える。

「その理由を、聞かせてもらえませんか?」

「…………言えない」

 子供は俯いて答えた。

 そんな答えでは、相手が大人だって請けるのに躊躇する。アドルは心の中で毒づいたが、何も言わない。さて、この子供はどう出るか。アドルが傍観態勢に入る前に、ミロは顔をくっと上げた。ほとんど黒とも言える濃い青の瞳が、真っすぐフェイスを見る。

「絶対言っちゃいけないんだ。だから、オレが戦場の父上の下へ行くんだ。俺が直接、父上に伝えなきゃいけない事なんだ」

「そんなにも、大切なことなんですね?」

 ミロが、毅然と頷く。やばい、この流れは、拙すぎる……

「いいじゃないかね?」

 アドルにとって絶望的な結論を導く為に、口を開いたのは、フェイスではなくシリィだった。

「それなりに覚悟はあるようだし、こちらとしてもついでじゃないか。そうだろ?」

 シリィは隣にいるエドへ問いかけた。エドは、アドルとフェイスの顔を見て、少し困った顔をしながら、遠慮がちに小さく頷く。

 裏切り者め。

 我が意を得たり、と言わんばかりに顔を輝かしたフェイスが、琥珀色の優しい瞳を子供へと向けた。

「お名前は?」

「ミロ。ミロ・ラーマだ。聖都から、クルル達に連れて来てもらった」

「そう……それはお疲れさまです」

 ミロに頷いて、彼女は顔を上げてクルル達を労う。

「わたくしたちが、この子を引き継げば良いのですね?」

 思考が寄り道さえしなければ、驚くくらい察しの良いフェイスは、この短いやり取りで大体を理解したようだ。

「……いいのかな?」

 クルルが、困った表情でフェイスに訊ねる。

「大丈夫です。戦地は危険ですが、全てが危険という訳ではありません」

「でも……」

 クルルはちらりと、アドルを見る。アドルは片腕をミロに拘束された姿勢で、むっつりと黙ったままだ。可憐な顔に、笑みのかけらもない。機嫌の悪さを、取り繕う気もない。

「気にしないでください。アドルちゃんより小さい子が絡む依頼については、彼の言い分は聞かないことにしているんです」

 さらりと、彼女は言ってミロの腕をさする。つかんでいた腕の力がふっと緩んだ。その隙にとアドルは素早く腕を引っこ抜く。子供はそれに気づかないまま、腕を下に降ろした。

「子供が苦手な人が、どんな正論を述べて反対しても、言い訳に過ぎないんです」

「………………分かった」

 解放された腕を振りながら、アドルは渋々うなずく。

 仲間にまでそう言われてしまえば、折れるしかない。それに、元々、セザールが関連する依頼は、拒否できる類のものではなかったのだ。頃合いだった。

「やった!」

 無邪気に喜ぶミロと、ほほ笑むフェイスが両手をたたき合う。そんな笑顔を見て、しょうがないなと思えるお人好しはエドくらいだろう。あいにくアドルは違った。彼は、喜び浮き上がる子供に冷や水を差す方が得意である。

「ただ、ひとつ条件が有る」

「なんだ?」

 有頂天のミロは、なんでも聞くぞ? と言わんばかりの従順さだ。

「連れて行けるのは、コッコリオまで」

「こっこりお? チェルトラじゃないのか?」

 子供は、その地の名前を知らないらしい。

「コッコリオは、最前線であるチェルトラの隣町だ。そこなら、戦の匂いがしない」

「そうですけど……」

 フェイスが渋るのも無理がない。両者は確かに隣同士だが、二つの町の間には、ルクシス山脈の果てとなる山が、ラクスラーマ湖まで横たわっている。厳しい峠を越えるか、船を使わないと行き来できない。そのため、カルーラ軍は峠町を死守できているのだ。平地でなければ、騎馬の特性が生かせなければ、カルーラ軍は、フラビス軍よりも強い。

「使いを送って、セザール伯爵にコッコリオまで来てもらう。ただし……」

「父上に会えれば、問題ないぞ」

 地理を知らないミロは安請け合いした。

「最後まで聞く事――もし、来られなかったら、諦めろ」

「えーっ」

 アドルは子供の悲鳴に、顔をしかめて耳を抑える。

「そこは、譲れないよ。じゃなかったら、ここに置いて行く」

「父上に会えないなら、会えるまで連れてってくれなきゃヤダ!」

「これ以上は我が儘だ」

「ミロ」

 フェイスが優しく子供の頭をなでた。

「アドルちゃんは意地悪で言っている訳じゃないんです。ここだけは、聞き分けてくれないと、わたくしたちはクルルさんに、ミロを連れ帰るようにお願いしなくてはいけません」

「なんで?」

「お父様のいらっしゃるところが、危険だからです」

「危険なのは分かっている!」

「分かっているなら、約束してください。わたくしたちは、貴方をそんなところへ連れて行くことは出来ないんです」

「……でも」

「大丈夫ですよ」

 渋るミロに不快な顔を見せず、根気よく説得できるフェイスは立派だと、アドルは思う。

「大好きなミロが来ると聞けば、コッコリオまできてくれますよ、お父様は。ね、アドルちゃん」

「まぁ、来るだろうね」

 アドルは苦笑気味に答える。

 最愛の息子が来ていると言えば、あの親バカは、どんなに戦況が逼迫して居ても、出迎えに来ない訳がない。

「本当か?」

「ええ」

 フェイスの返事には、根拠のない自信が伺える。

「だから、とりあえずコッコリオまで行きませんか? そこで、また考えればいいでしょう」

「そうだなっ!」

 ミロが元気に返事をした。しかし、彼女の言葉は、ミロへ語りかけるようで、実はアドルへ向けたものだと、アドルは理解する。彼は軽く首をすくめた。




 クルル達は、ここでしばらく休んでから、次の目的地へと向かう。一方アドル達は、今日旅立つ予定だった。アドルが酒場で本を読んでいたのは、仲間たちの準備が終わるのを、待っていただけだ。

 大変申し訳ないが、ミロに休む暇を与えることが出来ない。すぐに発ってもらうことになる。四人なら余裕のある旅程も、子供が一人入ればギリギリのものになる。フェイスが優しくその旨を伝えたら、ミロは快諾した。貴族のお坊ちゃまのわりには根性がある――エドはそう感心したが、答えはすぐに知れた。


「歩くのか?」

 街の門を出て、ミロは不思議そうに訊ねた。

「歩きますよ」

 誰にでも丁寧な口調を崩さないフェイスが、いつも以上に優しい声で答える。

「ここまでは、歩いて来なかったのですか?」

「一応、馬車だ。粗末で、揺れて、不快だったが」

「ああ、外に止めてあった、ギルドの小さな馬車が、それか」

 エドはギルドの風景にあった違和感の正体を知る。いままでなかった馬車と馬がギルドの外にあったのだ。

「乗合馬車を使わずに、馬車を借りたあたり、クルル達の優しさが伺えるね」

 意外と声色が普通のアドルに、エドはほっとする。エドが一番気になるのは、アドルの機嫌と体調なのだ。前者は自分のために、後者はアドルのために。

「……馬車を借りた方がよかったでしょうか?」

「いらないだろ。立派な足がある。それに、あの道は使えない」

「ええ~っ」

 ミロが不満の声を上げた。

「歩くのか? こんな荒れ果てた山道を? オレは……っ」

 ミロは途中で言葉を切って息を飲んだ。光の加減でようやく青味を感じられる瞳が、釘付けになる。

 アドルが、文句なしのきれいな笑みを浮かべていたのだ。

「この荒れた道が『普通』なんだよ。君の乗って来た、揺れて不快な馬車は、病人や怪我人、老人を乗せるための『普通より良い馬車』だと知っておくといい。私は貴族の子だからと言って特別扱いする気はない――いいね?」

 きれいな笑みのまま、低い声で言い放った。ミロは見取れると同時に気圧されて、素直にうなずく。

「歩くよ」

「……はい」

 ミロは歩きだしたアドルを追う。フェイスが苦笑しながら、子供の横に並んだ。

「大人気ない」

 シリィの呟きが、エドの耳に入る。エドは大きく息を吐いた。

「同感だ」

 駄々をこねる子供を不快に思うまではしょうがないとしよう。それを抑えもしないところが、子供である。大人相手だと同等以上のやり取りをしてみせるアドルの、欠点であり、可愛げとも言えた。

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