少年剣士と貴族の坊ちゃん 3
貴族の料理は、無駄なほど加工している物が多い。
活きの良いエビをすり潰したり、最高級の肉を漬物にしたり。それはそれでおいしいと思うが、やはり、良いものはそのまま食べるのが一番だ。
―― と、アドルが力説して、ミロに肉汁滴る鹿肉を勧めた。
携帯した保存食を使って、フェイスが竈でスープを作る。その間に、エドは焚き火で狩ってきたばかりの肉を焼いた。
「な、なんだ、これは?」
生肉を見て、ミロが脅えた。
「何って、鹿肉。子鹿だから、うまいぞ」
「子鹿? 可哀想じゃないか!」
「…………」
ミロの言葉に、皆が沈黙する。パチパチと火が爆ぜる音と虫の音が、一際大きく聞こえた。
「カルーラでは、貴族に狩りの習慣はない」
アドルが苦笑気味に、仲間へ説明する。アドル以外は皆、国外からこの国へ来た者たちなのだ。
「子鹿を煮込んだシチューはあるけど、湖際では一般的な料理じゃないな」
ラクスラーマに近い場所では、湖の魚を食べるらしい。カルーラが造船技術に長けているのは、この食習慣のお陰でもあるのだろう。
「牛のステーキ、食べたことある?」
「あの、かたいの?」
「あれより美味しいだろう。食べてみるといい」
穏やかな口調でミロへ肉を勧める。アドルは別にミロを避けている訳ではないのだ。聞き分けのない子供と話したくないだけで、そうでなければ普通に接する。一番ミロを子供扱いしていないと言ってもいいだろう。
「でもなんか……」
「野蛮?」
うんと、ミロが頷いたから大変だ。
アドルの食に関する蘊蓄が始まってしまった。
肉は焼き過ぎると不味くなる。その一言でアドルの口を止められたのは、不幸中の幸いだった。
「騙されたと思って食べてみな」
そう言って、エドは肉を差し出す。貴族のお子様がいるのは分かっていたから、肉は一口大に切ってあった。熱いから気をつけて下さいね、と言うフェイスの忠告を素直に聞いて、ミロは肉へ息を吹きかけてから、恐る恐る口の中にほうり込んだ。
「…………」
「どうですか?」
ミロの隣に座るフェイスが覗き込む。反対側に居るシリィも、向い側にいるエドも、子供の反応に興味津々だ。
「…………えっと」
注目されている事に気づいてか、少し照れながらミロは顔を上げた。
「普通?」
「っぷ!」
ミロの感想と同時に、エドの隣でアドルが噴き出した。彼は、大きく口を開けて笑う。それを見て、馬鹿にされたと思ったのだろう。ミロが顔を真っ赤にした。
「な、何がおかしいんだっ!」
「いやいや。君はおかしくない……ただ、予想通りに、皆の期待を裏切る言葉だったから」
アドルはお腹を抱えながら、笑い続ける。
「君の感想は、至って普通だよ……いや、聖都に住む貴族の坊ちゃんにしては、高評価だ!」
「どういうことだよっ!」
アドルは大きく息をつきながら、顔を上げた。まだ、顔が笑っている。
「カルーラの食文化はそれだけ進んでいるって事だ。肉汁滴る小鹿のステーキだなんて、ビリディスでは御馳走なのに」
「これがぁ?」
スパイスで味付けして焼いただけの料理を、ミロがうさん臭そうに見る。焚火の傍で肉汁を滴らせている肉を、アドルが手に取った。
「手をかける料理だけが御馳走とは思わない。私は、この純粋素朴な料理も好きだよ」
そう言って、肉を口に放り込む。美味しいと噛み締めるその表情は、至極幸せそうだ。それを合図に、皆が肉を食べ始めた。
結局ミロは、恐る恐るもう一切れ肉を食べただけで、後はスープだけを飲んでいた。魚の漬物で味付けしたスープの方が、口に馴染んだらしい。
食べ終わっても、竈では小さな火がちろちろと燃えていた。保存用に鹿肉を炙っているのだ。初日に大物が捕れたのは幸いだ。しばらく食事の心配がいらない。それに、加工肉や毛皮を、通りがかりの旅人や冒険者に売って小銭を稼ぐこともできる。
始めて野宿するミロは、焚き火の前で興奮していた。あれだけ疲れたと駄々をこねていたのに、目が爛々としている。一方アドルは既に寝袋の中だ。起きてはいるが、ちょっと放っておくと寝てしまうだろう。
アドルが寝ないのには、それなりの理由があった。ミロが、なぜかアドルへ話をふるからだ。
「なあ、アドルって変だよな」
「私が?」
ごろん、とうつ伏せになって、顔だけを上げる。
「貴族なんだろう? しかも公爵家」
「そうなんですか?」
フェイスが驚いてミロに尋ねる。
「知らなかったの!?」
ミロは、彼女がそれを知らなかった事に驚いたようだ。
「え、フェイス。本当か?」
エドは、当然知っている。驚いたのは、彼が仲間にそれを言っていなかった事についてだ。
アドルは聖都で、独自のネットワークから仕事を請けてくる。それは、一見よくある話のように見えて、実は国の中枢に関わりかねないものが多い。エドと再会したときの件も、今向かっている先も、そこからの仕事なはずだ。
そんな仕事が、この16歳の若造に与えられる理由はただ一つ。彼がそれ相応の立場に、生まれながらにいるからだ。その『立場』こそが、公爵と言う家柄である。
「……隠していた訳じゃないんだね? アタシも、アンタの口から聞くのは初めてだよ」
「言う必要がなかったから言わなかっただけだよ」
アドルは面倒臭そうだ。なんとなく、気持ちは分からないでもない。しかし、仲間である彼女たちにすら言っていないのは、どうなのだろう?
「フェイスは、どこまで知っている?」
「貴族だって事は知っていました。有名ですから」
そう、アドルがカルーラのやんごとない御身分である事は、少なくとも聖都のギルドでは有名だ。
「でも、公爵家だとは知りませんでした。公爵って、王の血縁じゃないですか!?」
ミロが不思議そうに首をかしげる。
「フェイス、知らないのか? アドルは英雄ガイアの……えっと、息子? 娘?」
「……なんで、そこが疑問形なんだ」
アドルは半眼になるが、そこは仕方がないだろう。エドは思わず苦笑する。目敏いアドルに睨まれた。
「アドルちゃんが、英雄ガイアの息子だって言うのは、冒険者の間では有名ですわ」
―― それは、勇者の物語。
フェイスが、細く美しい声でおもむろに歌い出した。これは、英雄を紡ぐ歌のお約束文句だ。
―― それは、蒼き国の物語。
―― 空に、大地に挑んだ勇者の物語。
フェイスの声の下に、シリィの落ち着いた声が入り込む。一気に歌に厚みができた。
エドは、この歌を知っている。ギルドでよく歌われる勇者の物語だ。勇者の名前は――
―― その名をガイア。
エドが、低く物語の主人公の名を歌う。三人の視線が残り一人に注がれた。アドルは仕方がないとばかりに起き上がる。
いきなり始まった歌に驚いたミロだったが、これから何が始まるのか理解して、瞳が輝いた。
英雄ガイア。
カルーラに現れた、最も新しい勇者の歌である。
彼の素性を知る冒険者はいなかった。ただ、立ち振る舞いや、背後にいる協力者から、貴族ではないかとは言われていた。
彼は本気で打倒魔王を掲げていた。周りの嘲笑を気にせず、ひたすら目標を目指す。そして、ついに自力で魔王の住むと言われている、カリーゴ島へと至った。
だが、果てた。
魔王に破れ、その死体はカルーラ城へと投げ入れられたと言われている。
歌は、こう締めくくる。
―― ああ、ガイア。其方に何が足りなかった。
―― ああ、ガイア。其方の遺志を継ぐ者はどこに。
―― ああ、ガイア。其方の思いは、永遠に我らとともに。
たった一人の観客が、大袈裟な素振りで手を叩く。
「すごい、すごい。家の楽団より、うまいんじゃないか」
「どういたしまして」
アドルが芝居がかった仕草で一礼する。歌で褒められるのが、何よりも嬉しい一行だ。だれもが、ミロの率直な感想に笑みを浮かべていた。
因みに、この物語は多少の誇張があったり、不確かなことがあったりするが、大体は事実だ。事実なだけに、後日談もある。
「勇者ガイアが果ててから数年後。同じ色を持つ少女のような少年が現れました」
フェイスが静かに続きを語る。
彼が名簿に書いた名を見て、古い冒険者は確信する。彼こそが、ガイアの忘れ形見なのだ、と。
貴族だったらしいガイアの、毛並みのよい息子。それが、アドルが貴族だと知られている理由だ。
「カルーラの冒険者に伝わるお話は、この通りです」
フェイスがそう締めくくって、冒険者の中では定番過ぎる、お仕着せの物語を終える。しかし、貴族の坊ちゃんにとっては初めてだったのだろう。焚火に照らされたミロの濃い色の瞳は、さらに輝いていた。
「英雄ガイアが、ガイア・グラウス公爵の事なんだ。グラウス公爵家に婿入りするまでは、王弟殿下って呼ばれてたんだぞ」
「…………くわしいな」
エドは、あの人が王弟なのは知っていた。公爵というのも知っていたが、婿養子だったとは、知らなかった。
「おれ、ガイア様好きなんだ!」
再び寝転がったひ弱な英雄の息子に向かって、ミロは胸を張る。
アドルは興味が無さそうに、ゆらゆらと揺れる焚火の炎を見ていた。
「ねえねえ、知ってる?」
大人たちが知らないことを知っていたからだろう。いい気になったミロは、自慢げに喋り始めた。
「アドルはね『幻の公爵』って言われているんだよ」
「幻? まだ、公爵位を継いでいないからですか?」
「ブッブー! 違うよ」
ミロが大きく両腕でバツを作る。
「アドルは公爵になれないんだ。オーイケーショーケンも、ホーキしてるんだよ」
「なれない……ですか? 王位継承権を、放棄?」
フェイスがアドルを見る。アドルは彼女たちの視線を無視して、焚火を見つめていた。
「それどころか、誰もアドルを知らないんだ! だから、幻なんだよ」
「知らない? なぜです?」
「見たことないんだ、誰も。社交界にも現れない。だから、王弟に息子がいることすら知らない人も多いよ」
父上は会ったことあったらしいけどと、ミロは胸を張る。だから、僕も会えた、と。
「でも殆どの人は、アドルと王女様、この二人を見たことないんだ」
「アドルだけじゃなくて、王女も? なんでだ?」
子供の説明は難解だ。だから引き込まれる。気が付いたら、エドもその話に引き込まれていた。
「そりゃ、城にいなかったからね」
答えは、アドル自身が持っていた。仲間とミロは、寝袋に潜り込んで焚火を眺めるアドルへ、視線を向ける。
「王女と私は、二年前まで山奥のとある村にいた。王女は身体が弱かったんだ――生まれてからずっと、療養していたんだよ」
山奥のとある村……エドはそれを知っている。
「エドは、覚えていない?」
アドルが視線を上げた。
「……あぁ、いたな」
アドルに言われて、ぼんやりと思い出した。アドルの隣にいた存在を。
あれが、王女だったのか?
「お前とよく似た女の子」
「そう、それ」
アドルは、思い出したエドに、満足そうにうなずいた。
「その後も、彼女はあまり外に出ていないからね――そうか、幻になっているか」
くすくすとアドルは笑い出した。
「愉快そうですね」
「うん」
アドルは静かな光を瞳に湛えて笑う。
「王女が――フィーネが聞いても、きっと、笑う」
「仲が良いんだ」
「そりゃ、従姉だし。何より、生まれてからずっと一緒だったから。私達は、双子のように育ったんだ」
「へえ。そうなんだ」
ミロが驚きの声を上げる。これは、ガイアファンのミロも知らなかったらしい。
「わたくしは何も知りませんでした」
「アタシも、そこまでは」
「誰も知らないよ――だって私達は貴族たちにとって幻の存在みたいだから」
アドルは悪戯っぽく笑う。アドルにとって『幻』は、そんなに愉快な言葉だったのだろうか。
「――さて、寝よう。私はもう疲れた」
そう言って、アドルは話を終わらせる。寝袋に完全に潜り込んだアドルは、間も無く静かな寝息を立て始めた。
焚火がパチパチと音を立てる。既に、虫の音は消えていた。虫が息を殺すような何かが起こっている訳ではない。虫は愚か、草木すら眠ると言われる時間なのだ。
エドはうつらうつらとしながら、焚火の音を聞いていた。今日は眠りが浅い。いつでも、どんな時でも眠れる筈のエドは、眠れない自分に驚いた。だが、すぐに理由を察する。眠れないのは、警戒しなくてもいい者以外で、起きている者が近くにいるからだ。
「……眠れないのか」
エドは目を閉じたまま口を開く。もそりと何かが動いた気配がした。これが、エドに深い眠りを与えない原因だ。
「寝転んで、無理にでも目を閉じてじっとしていろ」
「でも、落ち着かないよ。下が、ごつごつして、身体が痛い」
幼い声がする。ミロだ。彼が寝ないから、エドは眠れない。相手は子供で、警戒する必要は無いと理性では分かっているのに、本能が警戒するのだから、困ったものだ。
「歌でも歌うか?」
エドは苦肉の策を出した。
眠れなくても、無理に寝ないといけない。エドはともかく、ミロは。そうしないと、明日歩けなくなるだろう。それは、こちらも困る。
「うんっ!」
ミロが起き上がる音がする。
「何の物語? 冒険物がいいなっ」
「物語じゃない」
エドは苦笑した。それでは、更に眠れなくなるだろう。
「寝ろ。横になって、目を瞑るんだ」
歌うのは、子守歌に決まっている。子供を寝付かせるのが目的なのだから。
「フェイスみたいに上手くないんだがな」
エドは一言断ってから、歌い出した。
母の歌った子守歌を。
久々に思い出した、エドが唯一故郷と呼べる場所の光景を。
すぐに、子供の寝息が聞こえ始める。
エドはほっとして、眠りについた。
抜けるような青空だ。
エドは木漏れ日を受けて目を覚ます。朝はだいぶ遅くなった。
寝袋から這い出て、大きく伸びをした。気分は爽快だ。
最初に、一晩中点いていた焚火を踏み消す。次に水場へ行き、頭を突っ込んだ。少し冷たすぎるくらいだが、気持ち良い。
頭を軽く振って水を飛ばす。手ぬぐいで水分を拭き取ってから、長い髪を一つに結わえた。
と、ここで寝袋がひとつ、もぞもぞ動き出す。空色の髪の中から、眠そうな顔が現れた。
「おはよう」
「おはよ……」
けだるそうに寝袋からはい出して、アドルは水場でエドと同じように頭ごと川に突っ込んで顔を洗う。寝ている間に四方八方に散った髪が、水に濡れておとなしくなった。こうしてみると、アドルは顔が小さい。ふわふわとした髪が、顔を大きくして、彼を幼く見せている。
アドルが顔を洗っている間に、女性二人も起き出した。それぞれに朝のあいさつをしながら、エドは朝食を作り始める。昨日採取した木の実と、野宿用の薄っぺらな乾パンをとりだした。昨日残しておいた鹿肉をナイフで削いで、乾パンの上に乗せる。朝食は火を使わない。すぐに出発するからだ。
皆が一通りの準備を終えて、朝食にしようとした時、まだひとつ、仕舞われていない寝袋があることに気づいた。木陰の一番良い場所に敷かれたたっぷりの藁の上にある、一際小さな固まりだ。
「…………」
アドルが、その固まりを凝視する。エドとシリィは顔を見合わせた。苦笑を浮かべて立ち上がったのはフェイスである。
「起きなさい。起きなさい、私のかわいいミロや……」
早朝の、小鳥の囀りのような声で、フェイスはミロの寝袋を揺らす。
「今日は16歳の誕生日。ミロがはじめてお城に行く日だったでしょ」
「……何か違わないかい?」
「ふふふっ」
シリィの呆れ口調に、フェイスは楽しそうにほほ笑む。
「一度やってみたかったんです」
「そういうのは、16歳の誕生日にやらないと、おもしろくないよ」
「確かに、そうでしたね。乱発するネタではありませんでした」
「アドルの時には忘れていたくせに……」
「だって、知らなかったんです。すっごく悔しかったんですよ」
「それは、アタシもそう思う」
「でしょ? でしょっ!?」
女性二人で、盛り上がっている。彼女達の会話が全く理解できないエドは、困惑してアドルへ視線を向けた。自分の名前が出てきたのに、アドルは平然と彼女たちのやり取りを眺めている。
「フェイス、シリィ」
「きゃっ! アドルちゃん」
「あ!」
アドルの声に、フェイスどころかシリィまでもが軽く悲鳴を上げた。どうやら、目の前に当事者がいることをすっかり忘れていたらしい。そんな二人に向けて、アドルは完全無欠の笑みを浮かべた。
「私は、君達に誕生日を知られなくて幸せだったと言うことで良いかな?」
「な、何を言っているんだい」
「そ、そんな事、ありませんわ……」
二人は、ほほほ、と不自然な笑い声を上げる。
「あっ! ミロを起こさなければ」
「そうだね。うん、そうだ」
「…………起きてるよ」
「ああっ! ミロ、おはようござります」
「ござります?」
混乱して、変な言葉になっている。
アドルは、愉快そうに笑いながら、ようやく起き上がった小さな固まりに視線を移した。
「おはよう、ミロ」
「……おはよ」
「川で顔を洗うと良い。一気に目が覚める」
「ん……」
寝ぼけ眼のミロは、ニヤニヤと言うアドルの言葉に素直に従った。片手で寝袋を引きずりながら、小川へ向かう。寝袋を落としてしゃがみこみ、両手で上品に水をすくって顔にかけた。
「!!?!??!」
ミロは座ったままの姿勢で、器用に飛び上がる。
すごい勢いで振り向いたミロの、濃い色の瞳が真ん丸になっていた。当然だ。降雪はまだでも、山の頂から流れてくる水は、既に冬の気配を濃厚に感じられる冷たさだ。ぬるま湯で顔を洗う貴族様の柔肌には、少々刺激が強いであろう。
「……っぷ! ははははは!」
「アドルっ! 貴様、殺す気か!?」
「年寄りはともかく、子供はこのくらいじゃ死なないよ……くくく」
耐え切れず、大声を出して笑い出したアドルを、完璧に目覚めたミロが怒鳴った。