少年剣士と貴族の坊ちゃん 4
「やーーーーーーー」
幼い声が山に響く。
「歩けない。疲れた。休もーーーーー」
「さっき休んだばかりですよ」
フェイスがなだめようとする。が、それで静かになるような、おとなしくて聞き分けの良い子供だったら、そもそもここを歩いていないだろう。
「ムリーー!! だっておれ、昨日全然眠れなかったんだよ。あんな堅い地面でさっ」
「エドの子守歌で一発だったじゃないか」
「聴いていたのか?」
ぽつりと呟いたアドルに、エドは驚く。
「熟睡していると思った?」
アドルが逆に聞いてくる。エドは素直に頷いた。
「あんなにごそごそされちゃ、気になって熟睡なんかできるか」
「ははは」
エドは乾いた笑い声を上げる。アドルはエドほどではないが、気配に敏感だ。ミロの起きている気配が気になって、眠りに集中できなかったのだろう。エドと同じく。
違うのは、エドは短時間でも睡眠できれば回復する体力を持ち合わせているのに対し、アドルはしっかりと睡眠を取らなければ、体力が回復しない所だ。だから、エドは心配になる。
「大丈夫か?」
「あれと同類になりたくない」
アドルの凄い所は、意地で体調不良を隠しきってしまう所だ。
……後で、きちんとしわ寄せがくるのが大問題なのだが。
「目的地に着くことが、俺らの目的じゃないんだから、無理するなよ」
「わかっている」
理解していることくらい知っている。分かっていて無理するから、質が悪いのだ。エドは、大きく溜息を吐いた。
「アドルちゃん」
フェイスの呼ぶ声に、アドルは足を止めて振り返る。
「ここでは休めないよ。休むなら、もう少し先だ」
「ね。そういうことですから――」
「やぁーーーーーーーーーーーー」
「叫ぶな! うるさい」
アドルが、子供以上の大音響で怒鳴った。
「そんなに騒ぐと魔物が――あ」
「来たね」
シリィが苦笑する。
声に釣られて、この山に多い猿と熊の魔物が、ぬっと姿を現した。
「なぁ」
エドは弓を構えながら、一歩前に出たアドルの背中へ声をかける。
「ミロと言うより、おまえの声に反応してないか?」
「…………言うな」
アドルは不機嫌さを隠そうとせずに、剣に手を添える。
八つ当たりで切り捨てられた魔物達に、少し同情したくなった。
澄んだ高音と、落ち着いた低音が楽しげに曲を奏でる。その中に、ちょっと調子が外れた声が混ざっていた。
ボーズを出て三日目。道は峠を越え、下り坂になっていた。
上り坂は、ミロの「疲れた」攻撃に辟易したが、下りは下りで大変だった。
足腰の衰えを知り始めると下山の方が辛いらしいが、エド達はまだそれを知らない。アドルよりもさらに年若いミロも同様だ。
心肺への負担が減ったミロは、坂の勢いに乗って、駆け降り始めた。放っておくと、前を歩くアドル達よりも先に行こうとする。危険だから後ろを歩けと、首根っこを捕まえること数回。同じことを何度も言うのを嫌うアドルが、ミロの行動を無視し始めた時、フェイスが画期的な解決法を見いだした。
それが、歌である。
アドルとエドの背後では、子供を真ん中にして三人が仲良く並び、手を繋いで歩いている。楽しそうに歌を歌いながら。
体力に余裕が出て来たミロにとって、歌は良い退屈しのぎだった。景色の楽しみ方を知らない、草木や虫に興味がない。そんな子供にとって、下り坂はただ歩くだけの退屈な作業でしかないのだ。
「ゆけ、旅にぃ~」
引っ繰り返るミロの声に、調和が乱れる。アドルの眉間に皺が寄ったのを、エドは見た。
別に不機嫌な訳ではない。アドルは、ミロに聞き分けがあれば、不機嫌にならない。
歌の調子が外れると、顔が引きつってしまうのは、反射の問題だ。しょうがない。
「空は青くぅ~~大地碧く~~~~ぅ」
アドルの眉間に皺が再び刻まれる。エドも思わず口を手で押さえてしまった。正直、酷い。多分、ミロを除いた全てが、二人に近い反応を思わずしてしまうだろう。職業病というか……耳を肥やした者達の性のようなものだ。
「見事な調子っぱずれだ」
「リズム感が独特すぎるな」
アドルとエドは、小声で批評する。自分が楽しむための歌にけちをつけるのは無粋だと知ってはいるが……
その時、最大の攻撃音が、ミロより放たれた。
「やっほぉ~~~~~~ぅ」
ひゅんと裏返った声は超音波。耳を鋭くつんざく。遠慮を知らないアドルやエドだけではない。ずっと我慢して一緒に歌っていたフェイスとシリィも思わず耳を抑えた。
「――いやほぉ」
もう耐えられない、とばかりに、アドルが自ら歌い出す。急に割って入った声に、ミロの口が止まった。アドルがちらりとエドを見てにやりと笑う。
了解。
エドも笑い返して、口を開く。
「美しき峰 白く輝くーーー」
きれいな男声の二重唱が、長く尾を引く。
アドルの合図で、二人はきれいに音を切った。全ての音がアドルの指揮に合わせたかのように、音が消える。二人で歌い終わった時、たまに起こる沈黙という名の余韻だ。
ミロがポカンと口を開けて、前を歩く男二人を見ているのが、わかる。
「よしっ」
訪れた沈黙に、アドルは満足げにうなずいて、歩きだした。
しかし。
「ねー。歌おうよぉ」
不協和音が彼らを再び襲い始めるのに、30歩も必要なかった。
調子っ外れの歌に悩まされはしたが、我が儘には悩まされなくなって二日が過ぎた。
順応力が高い子供は、野宿にもなれたらしい。素朴と言うには粗野すぎる料理を、美味しいと食べるようになった。藁の敷かれた粗末なベッドでも爆睡出来るようになった。
しかし、しばらく下り続けた道は、ここで上り坂に変わる。
この坂を上り、小さな峠をひとつ越えると、ラクスラーマが見える平野に出る。そこには、東西に道が走っていた。国の幹線である湖沿いの道に出れば、随分楽になるだろう。道は平坦で整備されているし、一定間隔ごとに宿場町があるからだ。
「この山を越えたら、後少しだからね」
「うん……」
上り坂を見て足を止めたミロの背を、シリィが軽く叩く。ミロは聞き分けがない子供だが、決して鳥頭ではない。初日の上り坂を思い出したのであろう。山道を見上げる表情が、曇っていた。
しかし、アドルはそんなミロを構わない。行くぞ、の一言もなく、スタスタと登り始めた。
エドは下り坂より上り坂の方が好きだ。登り道は、進む方向に視線を向けるだけで、上を向けるからだ。地面にしがみついた草や、踏み固められた茶色い大地より、自由に枝を延ばす木々や、果てしない空の方が、エドは好きだった。木々の生き生きとした姿に、空の大きさに、励まされる。
「体力がある奴の余裕だね。前を向いたら、その先の長さに気力が萎える」
荒い息の中でアドルがそう言ったのは、ルクシスの山を登っていた時だったか。
「でも、この景色は好きだ。これを見るためなら、山登りだって悪くない」
木漏れ日が導く山道。涼しく吹く風に髪を弄ばれながら、彼は笑うのだ。
しかし、山の景色を楽しむ事を知らない者にとって、登山は苦痛以外の何物でもないだろう。
数日ぶりに、山から調子っぱずれの歌は消えたが、ミロの動きも遅くなった。歩調を変えない前列の男性陣との距離が開く。
「…………歩けない」
ついに、ミロの足が止まった。久々の駄々である。
「もう少し先に休憩所がありますから、ね」
フェイスがなだめる。しかし、ミロは棒立ちになったまま動かない。エドは顔をしかめた。ミロが駄々をこねることで下降するアドルの機嫌を懸念して。
しかし、予想に反してアドルは足を止めた。くるりと踵を返し、ミロ達のところまで戻る。
「座って」
彼が指したのは、ミロの膝より少し高い岩だ。駄々をこねてもアドルだけは相手にしないと思っていたのだろう。ミロは驚いて、アドルを見上げる。
「座って、足、出して」
「う、うん」
ミロは言われた通り岩に飛び乗る。地面に届かずぶらりとした足の前にアドルは膝を付いた。
「え、え!?」
ミロが驚く。
「靴、脱がすよ」
驚くミロを無視して、アドルはミロの足を手に取り、靴を脱がし始めた。
「え、でも、だって、アドルは公爵家で……おれは……」
ミロが狼狽えている理由を理解した。自分の家より爵位の高い家の者が、膝を付くなどありえないのだろう。貴族の常識では。
「ここでのアドルちゃんは『公爵家の人』じゃありませんよ」
フェイスが苦笑してミロの頭をなでる。
「冒険者は平等だ。場合によっては、依頼人ともね」
シリィの言う通りである。冒険者は、出身が何であろうと関係ない。必要なのは、冒険者としての腕。評価されるのは、実績だけだ。生まれだけで評価される市井の常識とは、違う。
「エド」
靴を脱がせたアドルが、エドを見上げた。
「あらあら」
フェイスが声を上げて、しゃがみこむ。ミロの足を見て、眉を寄せた。
柔らかな足の裏にできたマメが、破けていた。見るだけで痛くなる。
「治しますか?」
「いや。呪文だと、足の皮は強くならない」
あぁ、だからフェイスではなくて、エドを呼んだのか。
エドはアドルの意図を理解して、背負い袋を漁り始めた。常に持ち歩いている薬草の中で、皮の傷に効く物を取り出す。それと、包帯。それで手当をして、治るのは自然に任せる。マメができた皮膚は、治れば強くなる。強くなった皮膚は、同程度の負荷では、破れることはない。
アドルは、エドが渡した水と薬草を受け取った。
「少し染みるよ」
アドルは水を足にかける。傷口の汚れを落とすためだ。次に、肉厚の薬草をナイフで削いだ。とろりとした液体が出てくる。アドルは、葉の切断面を剥けた皮膚に当てた。ぴくりと足が動く。
「痛い?」
「ん、気持ちい」
「そうだろ」
色々な所で物理的に弱いアドルは、この薬草に世話によくなっている。
アドルは手を差し出した。その手へエドは包帯を渡す。アドルは片手で薬草を押さえながら、器用に包帯を巻いていった。包帯を巻き終わったら、靴下を履かせる。少し痛いかも、と断って、そっと靴も履かせた。
「きつい?」
アドルが見上げて問う。
「ううん」
ミロは首を左右に振って立ち上がったが、すぐに座り込んだ。
「痛っ!」
当然だ。傷が治った訳ではないのだから。
「無理するなよ」
苦笑を浮かべてアドルは立ち上がる。そして、ぽんとミロの頭に小さな手を置いた。
「よく頑張ったな」
そう言って、優しく頭をなでたのだ。
「………………」
なでられた当人も、周りで見ているエド達も言葉を失う。あのミロに対し、アドルがこんなに優しい態度をとったのが信じられなかったのだ。
「でも、少し頑張り過ぎだ……って、何硬直している?」
ミロや仲間たちの態度に気づいて、アドルは細い眉をきゅっと寄せた。
「良く分かったな、いつもの駄々と違う、と」
「そりゃ……私は、エドほど、鈍くないから」
途切れ途切れの言葉で、アドルは答える。
「と、言うよりも、アドルはエドほど頑丈じゃないからだね」
「姐さん……どう、言う……意味?」
「すぐにへたるアドルだから、へたった人間のことがよく分かるんじゃないか、ってね」
「そうですね」
フェイスが、シリィに同意した。
「弱いからこそ、弱い人の事が良く分かる。だから、アドルちゃんは、ミロに厳しくて、優しい」
「……何を、言って、る」
反論に、いつもの小憎たらしさが無い。
「……なぁ、やっぱり俺が」
「エドの、荷物は、エド以外……持てない、よ」
「なら、アタシが……」
「だからぁっ!」
アドルはぴょんと跳ねた。ずり落ちそうになった背中のものを、背負い直したのだ。
「だい、じょ……ぶ、だって、言っている」
エド達は、互いに顔を見合わせた。荒い息の中で強がられても、説得力がない。
アドルの背には、今、寝息を立てたミロがいた。
流石に歩くのは辛かろうと、アドルはミロを背負うことを提案して、周囲を再び硬直させた。
「だから、なんで、そこで固まるんだよ?」
「……いや、なぁ」
「だね」
「です」
いきなり優しくなったアドルに、戸惑うなという方が無理だ。
「あのねぇ」
仲間たちの態度に、アドルは腰に手を当て、溜息をつく。
「頑張る人は評価するよ。頑張り過ぎた人はフォローするよ。それは、老若男女関係ない」
「子供も」
「関係ないね」
アドルは、残酷なほど平等だ。
「頑張らずにすぐ音を上げたり駄々をこねたりすれば、無視するよ。今回みたいに、頑張り過ぎたのなら、その労をねぎらうし、それでも出来なかった事については、手伝うよ。分かりやすい理屈だろう?」
「……まぁ」
エドは苦笑を浮かべる。アドルらしいと言えば、確かにアドルらしい。
「確かに、努力もせずに助けを求める奴はムカつくね」
「子供や老人でも遠慮しない、というところが、アドルちゃんですね」
「えっと、つまり?」
よく分かっていないミロが、アドルを見る。彼は、少女と見まごうような顔に、少年らしい笑みを浮かべた。彼の、本当のほほ笑みだ。
「頑張ったから、手伝う、という事だ」
アドルは再びミロに背を向けた。
「歩けないだろう? 負ぶってやる」
「え」
ミロが、目を真ん丸にした。
「無茶だろ!?」
思わずエドは叫ぶ。年の割に小さいアドルと、年の割にはひょろ長いミロ。二人の体格に、実は大きな差はない。大人が大人を背負うのと同じなのだ。
「他に誰がいる?」
「う……」
「アタシが」
「さすがの私にも意地が有る」
シリィが全てを言い切る前に、アドルはピシャリと断った。
そうだろう。
確かに、体格の良いシリィの方が、ミロを背負うのに無理がないように思える。だが、女性に重い物を持たせて安穏とは出来まい。アドルの持つ、男の意地だ。
ちなみに、エドはこの問答に参加出来ない。本当は、彼が一番適していると知っている。だが、彼の背中は既に一杯だ。この荷物を他の人へ預けることは、たとえ仲間でも、アドル自身でも、アドルが許さないだろう。
そんな訳で、アドルの小さな背中には、大きな荷物がある。荷物であるミロは、最初、不安定な背中に脅えていたが、じきに寝息を立て始めた。
足だけではない。体力も限界だったのだ。
最後の峠は、そう険しい訳ではない。既に半ばまで登っていた坂道を登り切る。
「わぁ……」
低い峠だが、絶景だ。
峠はわずかに開けていた。視界に一面ラクスラーマが広がる。峠の先に山は無い。猫の額程度の平野と、大陸の真ん中に横たわる湖のみなのだ。
「澄んだ秋の空だね。カリーゴ島がよく見える」
「まぁ、本当」
女性たちの声も弾む。空の青とラクスラーマの青の間に細く上下に伸びる白い影が見えた。湖にある唯一の島。断崖絶壁のカリーゴ島。信仰の対象であり、現在、魔王がいるという白い島は、秋の青によく映える。
「一息……いれよう」
息も絶え絶えの声が、後方からした。
振り返れば、ミロを降ろして、木の幹にうつからせたアドルが、地べたにへたりこんでいる。
さて、こいつの体力は、目的地までもつのだろうか?
目的地で力尽きられても、困るのだが……本当の仕事は、そこからなはずだ。
アドルは分かっているから、あえて聞かない。
少し長めの休憩を取ってから、山を下る。湖畔の街道に出た時には、空が朱色に染まっていた。狭い平野と広い湖の間に、日が沈もうとしている。湖が、街道が赤く染まっていた。
北の山はどこからでも近くに見えるが、東西の山は、場所によって違う。聖都よりも東側になるこの地は、東に山が迫り、西に広い。冬の良く晴れた朝以外は、西の果てに、はっきりと山を確認することはできないだろう。南は見渡す限りの湖だ。これも空気が澄んでいなければ、向こう岸は見えない。今は、赤く染まったカリーゴ塔だけが見えた。
「宿場までもう少しあるが、どうする?」
「最後の野宿にした方がよさそうだね」
エドの問いに答えたのは、シリィだ。彼女の視線は後方へ向いている。
「そうしてあげてください」
アドルの隣を歩くフェイスが、声を上げた。アドルがずり落ちそうになるミロを持ち上げてから、片手を外し、一方を指をさす。何かしゃべっているようだが、エド達にまで声は届かない。
少し体を屈めてアドルの言葉を聞いていたフェイスが、はい、と頷いて顔を上げた。
「もう少し先に、休憩所があるそうです。そこに泊まりましょう」
「了解」
シリィが明快に答えた。
「休憩所……ねえ」
「まぁ、休めるところではあるな」
湖畔の街道に出て間もなく、アドルの言った休憩所をエドは見つけた。
「宿かと思った?」
「……思った」
ささくれ立った木の床に座って、ミロの頭を膝に乗せたアドルが、笑う。
確かにそこは、休憩所だった。
エドが想像したのは、峠の茶屋の様な、宿泊所も兼ねる小さな店だったのだが、それは、彼の勘違いでしかない。
木造の建物で、風雨を凌ぐ屋根と壁がある。入り口には土間があり、竈がある。奥は一段上がって、木の床だ。食事も作ることができる。
だが、風が吹くたびに扉や窓がガタガタとうるさい。土間には雑草が生え、竈は今まで通って来た野宿所のものと大差がなかった。前述の通り木の床はささくれ立っていて、裸足で歩く気にはなれなかった。
「風雨が凌げるだけ、外の場所よりマシだろう? 外の井戸は生きている」
「……まぁ、おまえが休めるなら、良い」
「ごめんね」
自分の体力のなさに負い目があるのだろう。アドルはいつも以上に小さく見えた。
「頑張る奴は評価する。頑張り過ぎた奴はフォローすれば良い。だろ?」
「……まさか、ここで自分に返ってくるとは」
アドルは苦笑して、ミロの頭をなでた。さらりとした濃紺の髪が、柔らかく揺れる。
「くそ、羨ましい髪め」
アドルは毒づいて、ぐしゃぐしゃと頭をかきまぜ始めた。柔らかで素直な子供の髪は、アドルに遊ばれるが、すぐにおとなしく元の位置に戻った。
「寝癖に縁の無い髪は、羨ましさを通り越して、憎くなる」
「ははっ」
寝癖と縁の無い髪を持ったエドは、声を上げて笑った。笑いながら、アドルの頭を、彼がミロにしているようにかきまぜる。
「やめろ」
柔らかさは同じだが、収まりという言葉を知らないアドルの髪は、クシャクシャになったままだ。アドルは、あまり身だしなみに気を使う質ではないが、どう頑張っても収まらない猫っ毛は、数多い身体的な悩みの一つなのだ。
「お前も止めろ。ミロが……起きた」
「おはよ」
「おはよう」
アドルがうさん臭いほど優しい笑みを浮かべる。こいつ、元々起こすつもりだったな。
「……………………!?」
寝ぼけ眼で、ミロはアドルを見上げる。数拍してから、跳び起きた。自分がアドルの膝を枕にしていることに気づいたのだろう。
「な・な・なっ……」
「人の背中で爆睡していた子供が、ひざ枕くらいで動揺するなよ」
「するに決まっているだろっ!」
アドルの悪戯っぽい笑みに、ミロは真っ赤になって抗議した。