勇者のための四重唱


姫と執事と吸血鬼と 5

「流石、熟女キラー」

「変な称号をつけるな。姐さんじゃあるまいし」

「どういう意味だい?」

「いや、べ、別に深い意味は……」

 ここは、姫の居室の隣に用意された冒険者の待機室。うろたえるエドに、アドルが大声を上げて笑った。

「……で、脱水機はどうだったんだい?」

「あぁ!」

 シリィの問いに、エドは目を輝かせた。

「凄かった。もう、殆ど乾いているんじゃないかってくらい、良く水が切れているんだ。あれなら、今の季節、数刻で乾くな」

 しかも、脱水にかかる時間が短い。

 脱水機のお陰で、あれだけあった洗濯物は午前中に片付いてしまった。

 普通なら、あの時間に始めたら、昼を挟んでも終わらないだろう。日が傾く前に干すのは、大量の洗濯物を処理する必要のある者にとって、最大の課題だ。その解決方法はひとつ。早朝から洗濯を始める事だけだったのだ。

「後は洗濯用の機械さえあればねぇ……」

「あるところにはあるんだろう?」

「そうだね。ただ、この国は水の量に物を言わせて洗濯をしているから、普及はしにくいだろうね」

「オストルムは?」

 カルーラと湖を挟んで向かい側にある国を挙げる。水が少ない国の代表だ。彼女はその国の人間だ、と自ら言っていた。

「少ない水で洗濯をする道具は、それなりに普及しているけどねぇ……大量の洗濯物を、と言うのは見たことないね」

「そうか……」

 家事をする女性たちの苦労は、まだ続くらしい。技術者には頑張っていただきたいものだ。

「それよりもさ」

 機械の仕組みには興味があっても、家事にはあまり興味の無いアドルが、二人の間に割って入った。

「……お姉さん方のお話、信憑性はどのくらいだと思った?」

 声を潜めたのは、内容が隣室に漏れることを懸念してだ。そうだ、そもそもエドは、洗濯場の『お姉様方』から聞いたお話を、アドル達に報告するために、この部屋に来たのだ。そうでなければ、許された範囲で場内をぶらぶらしている。

「噂……と言うよりも、推測、願望。その辺りだろう?」

 噂はその曖昧さに反して、断言する言葉をもって伝わる事もある。人々に広まる間に「らしい」と言う文末が消えたり、そもそも発信源が「らしい」をつけなかったりするからだ。

「だけど、私達より長い間、あの二人を見て来た人の、推測だ」

 アドルはその話を、頭ごなしに否定する気は無いらしい。エドもそう思う。だから、アドルに報告したのだ。

「それに……」

 アドルはシリィへと視線を向ける。

「そうだね。そうなると、すべてがしっくりと収まる感じだ」

「何が?」

 いきなり、二人の言っていることが理解できなくなった。

「推測の域だ」

 しかし、アドルはそう言って、答えてくれない。シリィには言えても、エドには言えない事とは、何だ?

 のけ者にされたようで、少しいらりとした。

「それを確信に変えるために、領主と話をしたいんだけど……」

 トントン……

 扉を叩く音の後に、ぬっと顔を出したのはシリルだ。

「アドル、時間がとれた。すぐに来てくれ」

 アドルがぴょんと椅子から立ち上がる。

「待ちくたびれたよ」

「すまないね」

 恐縮するシリルに、会えれば十分と笑いかけて、アドルはシリィを連れて部屋を出た。

 エドは一人残される。

 人口密度が激減し、にわかに閑散となった部屋に、隣の部屋からの楽しげな笑い声が遠く聞こえる。

 あいつはあの情報から、一体何を見つけたのだろうか。

 無性に気になる。情報を共有出来ていない気がして、落ち着かない。

 エドは椅子に深く座り直して、ため息をついた。



 この城とこの土地の主であるラードルフは、冒険者という人種が、正直言って嫌いだ。定職にも就かず、金のためになんでもやる彼らは、浮浪者をちょっと聞こえよく言い換えただけに過ぎないと、認識している。

 だが、そんな輩も必要であるから、困る。領民を危険に晒さず、領地を荒らす魔物を倒すのには、冒険者を使うのが一番都合が良い。どこのだれとも分からぬ者達は、ラードルフの庇護の外にいるので、傷つこうがどうなろうが困らないのだ。

 今回も、いつものような感覚で、冒険者を雇った。私事でもあるから費用は私財からだが、冒険者は金の出所に頓着しないと言う。支払いをきちんとすれば、依頼内容は問わないという。

 そう言う、話ではなかったか?

「私の依頼は、魔物を倒す、それだけの筈だが?」

「依頼を完遂する為に、必要なことですから」

 しれっと言ってのける少年を、ラードルフは最初から警戒していた。

「で、何用だ? お主らに必要な事は、シリルで事足りるはずだが」

「足りないので、お忙しい中の面会をお願いしたんです」

 この、面の皮の厚さ。これが、冒険者というものなのだ。

「忙しそうですので、早速、お尋ねします」

 深い蒼の瞳が、まっすぐラードルフを見据える。物怖じしないその態度は、逆に感心してしまうくらいだ。

「イレーネ姫の婚約相手は、誰です?」

「……っ!?」

 真っすぐ問われた言葉に驚き、ラードルフは不覚にもよろけてしまった。態勢を整えようと椅子の肘あてに手をつくと、彼の動揺を表すかのように、椅子が大きな音を立てて軋む。

「なぜ……知って?」

 その事は、まだ本人にしか言っていないことだ。

「……婚約?」

「!!」

 二度目の不覚。

 同室していたシリルが呆然と姫の父親を見る。決して鈍い訳ではない彼は、ラードルフが冒険者の言葉を、思わず肯定してしまった事に気づいたのだ。意図しない反応に嘘はない、と。

 そして、冒険者もそれを知っていた。

「本当なんですね」

 確認するようなアドルの言葉に、ラードルフは眉を逆立てた。

「カマをっ……かけたのか!」

「お尋ねします。って言ったはずですが……」

 困ったように眉を寄せて、少年は可愛らしく小首を傾げる。確かに、最初そう言った。それにラードルフが態度で答えただけで。

 領主は大きく息を吐いて、強引に動揺を納める。背中に嫌な汗が流れていた。こういう輩は、追い出すのが一番である。

「我が家の問題だ――お主らには関係の無いことであろう」

「……関係があるかもしれないから、聞いているんだけどね」

 ぼそりと呟いたのは、後ろで控えていた赤毛の女性だ。

「魔物を倒すのに、何故家の事情を探る必要がある!? 冒険者らしく、さっさと吸血鬼を倒せ!」

 出て行け、とラードルフは片手を大きく振る。シリルが、何か聞きたそうな表情を浮かべながらも、来訪者を外へと促した。

 シリルには、後できちんと説明をしておくべきだろう。まさか、イレーネが彼に話していなかったとは、思わなかったが。

 この従者にはなんでも話す娘。彼女の、意外な行動に思いを馳せて、ラードルフは瞳を閉じる。闇の中で、重い扉が閉じた音が聞こえた。冒険者達が出て行ったのだろう。

「なぜ、前の冒険者二組が、たった1回魔物を追い払っただけで、仕事から手を引いたか、わかります?」

 しかし、そうではなかった。

 瞳を開けると、先程と変わらぬ位置に、悠然と冒険者が立っている。奥の扉の前で、シリルが困った様子でドアノブを握っていた。

「出て行けと言っただろう!」

「このままでは、いつか姫は奪われてしまう――あなたの依頼を請ける冒険者がいなくなるからだ」

「そんな訳あるまい。十分な報酬を支払っている」

 公務で冒険者を雇うラードルフが、相場を知らない訳がない。魔物1体倒すのには、多すぎるくらい払っているつもりだ。しかも、三食込みである。

「……十分?」

 アドルはラードルフの言葉に首をかしげた。

「どうなの、姐さん?」

「町の外で暴れている魔物1体を倒すだけなら、十分だろうね」

 シリィの含みのある言い方に、ラードルフは太い眉を顰めた。

「どういう意味だ」

「足りない……って事ですよ」

 この仕事は、一見単なる魔物退治にみえるがそうではない。非協力的な依頼者。仕事を阻む護衛対象。そして、それらの中に見え隠れする一筋縄では行かない事情。

 割に合わない仕事だと判断するのに、そう時間はかからないだろう、とアドルは言う。

「我々はプロです。値段に合わない仕事をして、自らの仕事の価値を落としたくない」

 だから、値段に見合っただけの仕事をして、手を引いただけなのだ、と。

「領主直々の依頼だから、ギルドもそれなりに信頼できる冒険者を派遣している。信頼できる冒険者とは、自らの仕事に誇りを持っている者達の事なんです」

 彼らは、自分を安売りすることを由としないが、誇りゆえに仕事を途中で放棄することも望まない。彼らが望んでいたのは正当な報酬と、それを得るための交渉だ。しかし、依頼者は冒険者に会いたがらない。交渉などする余地もない。しかたがないから、きっちり値段分仕事だけをこなす。

 彼らなりの誠意だ。

「そうだったのか……」

 ラードルフは天を仰いだ。アドルの言い分は、よく分かる。能力相応の賃金を適切に払うことは、領主である彼の仕事のひとつだからだ。正当な対価を払わない雇い主は、見放されても仕方がないと、他の貴族は知らないが、少なくともラードルフは心得ている。

 奴らは不真面目だった訳ではない。自分が、不誠実だったのか。

「で、お主らもそうなのか」

 値段交渉は受けるつもりだ。多少高く見積もられても、授業料だと思って支払うつもりで、ラードルフは冒険者に聞く。

 アドルは斜め後ろに立つシリィと一瞬目を見合わせて、くすりと笑った。

「残念ながら、私達はそんなプロ意識を持った『信頼できる冒険者』ではありませんから」

 自分の働きを卑下する言葉を、アドルはむしろ自信に満ちた声で言う。

「なので、報酬を吊り上げる気はありません」

 ただ、質問に答えてほしい。私達に隠していることを教えてほしい。つまり――

「サービスしているんだから、少しは協力しろって事です」

 小賢しくて、回りくどい説得方法だ。

 だが、ラードルフは口を笑みの形にして、頷いた。

 気が付けば、この冒険者の小憎たらしさを気に入っている自分がいたのだ。


「まずは、こちらの調査結果と推測から――」

 ラードルフが改めて勧めた席に座って、アドルは口を開いた。

 応接用の椅子に座るのは、部屋の主のラードルフ、招かれたアドルとシリィ。そして、落ち着かない様子でちょこんと主の横に座るシリルだ。彼の同席は、アドルが望んだ。ラードルフも、彼ならいても構わないから、承知した。

 説明を始めたのはシリィだ。

「まず最初に、この情報の提供者を責めないで欲しいんだけど……」

「内容によるな」

 そんな質問に、簡単に首を縦に振れる訳がない。

「しょうがないよ」

 それなら言うことはない、とばかりに押し黙ってしまったシリィを、アドルが苦笑交じりに宥める。

「そもそもあの人は、言ってはいけないことを言ってはいない」

「でも、この怒りん坊、約束しても信頼できないよ」

 口を尖らせてアドルに言う遠慮のない言葉が、妙に幼い。意外である。

「まぁ、それでも、家臣に信頼されるだけの懐の深さは、一応持ち合わせているだろう……多分、きっと。そう信じたい……かな?」

「ごほん」

 ラードルフは、わざとらしい咳をした。目の前に本人がいるのをお忘れではなかろうか?

 シリィの正直な言い分よりも、アドルのフォローの方がカンに障る。だが、ああ言われてしまえば、簡単にへそを曲げるのも、許せなかった。

「続けてくれないかな」

「まぁ、とにかく。アタシは外に、情報を集めに行ったんだよ――」


 シリィにはアドルに言わせると『貴重な人脈』がある。

 それは殆ど養父の伝手によるものだが、確かにこの年代の人間にしては珍しい人脈だと、自分でも思う。

 そんな彼女の役目は、その人脈をたどってこの町のちょっと昔の実話を知る事。なぜ、そんなことをするかと言えば、物語の語り手は、表面だけではなくその前後や裏まで知るべきだ、と言うのが持論の面倒くさい奴がいるからだ。

 シリィは『貴重な人脈』から得た新しい人脈のいる家にたどり着いて、その扉を見上げる。

 門から玄関までは10歩程度。そのたった10歩の間に、これでもかと言うくらい色とりどりの花が咲き乱れていた。白く塗られた壁に白いさんの窓は両開き。青い屋根が空に溶けそうでいて、溶ける事はなくその存在を保っている。

 富豪とはいえないが、それなりに裕福な家だ。

 シリィはドアの真ん中にあるノックで、ドアを軽く叩く。ゆっくり30数えたところで、遠くから「はぁい」と女性の声が聞こえた。もう30数えたところで扉がゆっくりと開く。声から想像できる白髪の老女が顔を出した。

「突然お邪魔します。アタシはシリピ……」

「あら、あら、あら!」

 呼び名ではなく正式な名を名乗り終わる前に、老女は眼を輝かして声を上げた。

「おじいちゃん、シリィさんがお越しよ!」

「なにっ!」

 即座に返ってきたのは枯れたバリトン。どたどたとあわただしい音がしたかと思ったら、側頭部にだけ申し訳程度に枯れ枝のついた老人が現れた。

「マルクス老?」

「シリィちゃん!」

 年甲斐もなく、老人は目を輝かす。シリィはその反応に慣れた様子で、冷静に頭を下げた。

「忙しい中、時間をとってもらって申し訳ない」

「いやいやいやいや。隠居の身は暇なんじゃ。それよりも、さぁ、さぁ、入りなされ……うむ。明日の老人会で存分に自慢してやろう」

 促されて、シリィは自分の視線より下にある禿頭について家へと入った。


 老人に歓迎されることに、シリィは慣れていた。

 どういう噂が流れているのか興味はないが、なぜか、シリィは老人たちの間で一種の偶像となっていた。自分で言うのも情けないが、可愛らしさの一片もないと言うのに。アドルじゃないのに「ちゃん」付けされて、名前を呼べば老人たちは感涙する。愛想がある訳でもない、いつもの調子で頼みごとをしても、喜んで応えてくれた。

 今回も、例外ではない。

「吸血鬼の伝説?」

 植物が溢れたサンルームに案内されたシリィは、単刀直入に聞いた。

「そうじゃな……伝説『は』ないのう」

「じゃあ、事実がある?」

 シリィの切り返しに、マルクス老は口籠ったが、それも一瞬だった。

「……シリィちゃんだから言うがの、吸血鬼は、おる。ただし――」

「ただし?」

「城に仕える者の中でも一部しか知らん。街の者もな……」

「理由は?」

 老人は、安楽椅子に背を預け、ため息をついた。

「……ダッグ家の娘は、皆、17・8歳くらいまでしか生きておらん」

 老人の話が変わった。シリィが眉をひそめると、困ったように首を振る。

「これ以上は口止めされておるんじゃよ」

 彼が仕えていた領主に、と言う事か。それでは仕方がない。引退した今でも領主の命を守り口をつぐむ様な者だから、前領主・現領主と二代続けて信頼を得て仕えることができたのだ。

 まぁ、彼の話から、吸血鬼と領主家の娘が早世であることが関連しているという事だけ、わかったからよしとしよう。

 シリィが納得して、早々に席を立とうとしたら、マルクスは慌てた。

「……え、ちょ、少しは粘ろうとか思わんのか?」

「? 無理してまで聞き出すのも悪いだろう?」

 少しは粘るというか、なんと言うかしてくれてもいいじゃないか……などと、マルクスは口の中でぶつぶつ呟く。席を立つのは悪かったかと、シリィは再び日差し暖かな椅子へと腰を下ろした。


「その話を聞いて、吸血鬼はこのダッグの血に憑いているのではないかと考えました」

 シリィの話の後をアドルが継ぐ。

「そうすれば、領主が城の召し使いに躊躇無く箝口令を布いたのも納得がいきます。領主の家系だけを襲う魔物の存在を、徒に領民に知らせても、不安を煽るだけで、何の利も無いですから」

 正しい。ラードルフは、唸るしかない。

 あの話の流れから、吸血鬼の犠牲になっているのは、若い領主一族の娘だけだと推測するのは容易い。よく領主の約束を守りながら、上手に情報を提供したものだと、感心する。

「本当は、最初にそれを教えてほしかったのですけど……仕方がないので、裏を取るために、私とエドは、図書室にお邪魔することにしました」

「いつの間に!」

 基本的に冒険者と一緒だったシリルが驚く。

「ま、まぁ……」

 アドルがラードルフの前で、初めてごまかすような笑みを浮かべた。曖昧な笑みと目の下に浮かぶくまを見て、彼はピンとくる。夜中に忍び込んだな。

「えっと……調べたかったのは系図。系図は公開されているから、調べるのは簡単でした」

「それで、何が分かった?」

「マルクス老の言う通り、ダッグ家に生まれている女性は、若くして亡くなっていました。ただ、ダッグ家の女性が早世なのは、結構最近から――具体的に言えば、あなたの妹と従姉と伯母」

「…………」

 ラードルフは沈黙で続きを促した。

「亡くなった年は、妹が18歳、従姉が19歳、伯母は16歳――そして、狙われているイレーネ姫は、今17歳」

 近いが、同じ年に亡くなっている訳ではない、と彼は言う。

「後は、ほかの貴族の情報を参照する――出てきたのは、彼女たちが亡くなったのは、婚約をして間も無くだったと言うこと」

「ちょっと待て!」

 ラードルフはさらりと言ったアドルの言葉に驚いて、思わず静止の声をかけた。

「……ほかの貴族の情報?」

「あぁ、伝手」

 アドルはやはり、さらりと答える。一体どんな伝手なんだ? 気になったが、問い直す前に、アドルは話を先に進めていた。

「これで、姫に婚約者がいたら確実だな……と思い確認をしようと、失礼した次第です」

「まさにその通りだった、という訳だ……」

 シリルが天を仰いで嘆息する。

 イレーネの婚約話を知らなかったことに対する嘆きか、イレーネが吸血鬼に狙われる事は想定してしかるべきことだったことに対する嘆きか。

「……しかし、何故婚約した姫を襲うんだ?」

 しばらく天井へ視線を彷徨わせていたシリルが、視線を冒険者へと戻した。

「ラードルフさんは、わかりますか?」

「……いいや」

 もう、ラードルフは彼らに対して隠し事をする気はない。恐らく、下手に隠し立てをしても、彼らはそれを暴くだろう。必要以上のことまで。そんな恐ろしい頭のキレと発想力を、彼の今までの発言から感じた。

「私が分かっているのは、伯母が最初の犠牲者だという事だけだ。それ以来、この城の姫が、結婚を前にして襲われている事は、今回の件で、はじめて確信した」

 それを、この城に来て数日の者が発見したのだ。

 かつて城で執事頭を勤めたマルクスを辿るという手段。苦肉の策で提供した元執事の情報か正しい答えを導き出す推理力。あらゆるものを見逃さない洞察力。流石、幾人もの勇者を仕立て上げるだけある。

「最初の事件については?」

「私が生まれる前だ――父も幼かった。祖父なら何か知っていただろうが」

 当然、祖父はとうの昔に亡くなっている。

 二人目――病弱なため継承権を放棄した伯父の、一人娘――が殺された時の記憶もあいまいだ。まだ、十に満たない年だった。彼女は婿を貰い、近いうちに父から爵位を継ぐ予定だったという事は、後で知った。

 三人目。妹の時は――忘れられない。

 そして、娘の前に、またそれが現れた時、ようやく知ったのだ。奴はこの家の女を狙っている、と。

「逆に聞きたい。何か分かったことが?」

 領主の問いに、アドルは少し悩んでから、これは推測でしかないから言いたくないんですが、と断ってから話し始めた。

「吸血鬼が現れた――いや、生まれたのは、最初の犠牲者の時ではないか、と」

「生まれた?」

 そうです、とアドルは頷く。

「姫を狙う吸血鬼は、人型の魔物なんですよね?」

 今更の話だ。

「基本、吸血鬼は人の姿をしているものであろう」

「見ましたか?」

 領主は頷く。妹の時、彼は護るために剣を持ち立ち向かい、そして、敗れた。その時の怪我が元で、以来、剣が持てなくなったのだ。

「人を襲い吸血する人型の魔物は、大体人間が世界の輪から外れた姿です。吸血する動物が人の血の味を覚えて、人型の魔物になる例もない訳ではないですが、今回それは除外していいでしょう」

 なぜかと聞けば、人型に化けた魔物は、人を選ぶ理由が無いからだ、と彼は答える。

「更に言えば、人の魔物である方が、今回の場合納得し易い」

「どういうことだ?」

「推測」

 ぴっとアドルは指を立てて、ラードルフの言葉を止める。

「今回の魔物は、ダッグ家に関係のある人――身内、もしくは使用人」

「身内?」

「更に言えば、第一犠牲者に深く関わっていた人」

 系図に、彼女と前後して死亡、もしくは行方不明となった一族郎党はいない。

 ……と、言うことは?

「ごく親しい使用人か、友人、恋人、または一方的に思いを寄せていた人」

 範囲が広すぎる。しかも、推測の域を出ない話だ。

「そこで、図々しいお願いなのですが……」

「一族にしか開いていない向こうの図書室を開け、と?」

 アドルは申し訳無さそうな表情を浮かべ、しかししっかりと頷いた。

「しかし、それを知って、どうするんだ?」

 要は目の前の魔物を倒せばいいだけ。その魔物の素性など、知る必要性も感じられない。

「原因を知ることは、対策を練るのに一番必要な事です」

 これも、彼女が口を開かないから推測なのですが、と前置きしながらも、冒険者は確信した口調で言った。

「姫が魔物を庇う理由は、我々の知らないその『原因』にある気がします」

「……同情か?」

 魔物となる人間には、世界の輪から外れるだけの理由がある。ひどく悲しい物語として語られているものも、少なくない。イレーネは、自分を狙う魔物から、だれも知らない悲劇を見つけたのだろうか。

「わかりません。でも、彼女は私達の知らない何かを知っている可能性がある」

「わかった。入室を許可する。しかし、口外厳禁。入室を許可するのはお前だけだ」

「ありがとうございます」

 アドルは嬉しそうに頭を下げた。

「だから……頼む」

 ひょいと頭を上げたアドルと、じっと彼の隣で話を聞いているシリィに、今度はラードルフが頭を下げた。

「娘を、助けてくれ」

 思い出すのは、皆が涙した従姉の葬式。無残な姿の妹。娘まで、あの魔物の犠牲にさせるつもりはない。だから、嫌っていた冒険者を城内奥深くに招き寄せたのだ。魔物のエキスパートという彼らを、何度も。

「その懇願、その思い」

「?」

 驚くくらい柔らかな声に、ラードルフは顔を上げた。蒼い瞳が柔らかく彼を見ている。すべてを受け入れて許する、慈愛に満ちた……そう思わせるような笑みで。

「そういうのを無視できない程度にはお人好しのつもりです」

 だから、と微笑むアドルに、ラードルフは今までに無い安心感を覚えた。

「可能な限り、幸せになれるように善処します」

 大船の乗ったつもりで任せろと、大言壮語を吐かないあたりで、却って信頼できるのが、不思議だ。



 失礼しますと主人の部屋を退出したアドルは、とたんに満面の笑みになった。雇い主の前では決して見せなかった、悪戯小僧を彷彿させる笑みだ。

「……誰がお人好しなんだい?」

 シリィがため息交じりに、上機嫌のアドルに聞く。実はシリルも同じことを思った。彼は、良くも悪くもお人好しと言われる類いの、侮られ易い善人には、見えない。

 そんな二人のうさん臭そうな視線に、機嫌を損ねる事なくアドルは答えた。

「主語を省くことが出来るのが、口語の便利なところだ」

 ……本人も、自身をお人好しと言う気はないらしい。

「で、どうする?」

 足音のしない上等な絨毯を跳ねるように歩きながら、アドルは誰にともなく聞いた。主語を省けるのは不便だ。この問いは、誰が答えるべきなのだろうか。

 誰もが答えないまま沈黙していたら、再びアドルが口を開いた。

「領主は自らの持てる最大の力を使って娘を助けようとしている――彼が持つ武器は、財力だ」

 その財力を使い、諦める事なく、魔物を倒す冒険者を何度も雇い続けた。自らが慣れない剣を持つよりも遥かに効果的な手段である。

「箝口令を布いているから、知っている人が少ないせいもあるだろうけど、彼女を救おうと全力で戦っているのは、父親だけのように見える」

 言うなれば、冒険者が彼の剣なのだ。ただ、彼はその扱い方を知らなかっただけで。知らないなりに、必死で振り回していた。

 アドルの言い分に、シリルは苦笑する。この言い方では、父親以外、誰も姫の事を心配していない様に聞こえる。

「まぁ、実際他人ごとだよな。姫が殺されてこの家が絶えても、すぐに別の貴族がやってくる。土着の貴族じゃないのに不満を覚える人はいるかもしれないけど、まぁ、それだけの問題だ。生活に影響を及ぼす訳でもない」

「その言い分は酷すぎる!」

 思わずシリルは怒鳴った。自分の生活に影響がなければそれでいいのか? 姫が死んだら血統が絶えるのが問題なのか? 姫が――少女が魔物に狙われていること言う事自体に、憂いはないのか?

 シリルの前を跳んでいたアドルはぴたりと止った。

「なら、シリル。貴方は何をした?」

 振り向いた蒼い瞳は、驚くくらい冷めていた。

「ただ嘆くだけなら、関係ないと日常を送る人と変わらない」

「う……」

 シリルは言葉に詰まった。アドルの言い分には一理ある。

「……しかし、所詮僕は使用人だ」

「所詮?」

「何かやろうにも、力がない。方法を知らない」

 姫を助けたい。守りたい。大事な人を易々魔物に……いや、他のあらゆるモノに渡したくなどない。本音を言えば、他の誰かに姫を守ってもらうことすら、認めたくない。姫を守るのは、自分の役目だと、物心ついた時から誓っていたのに……

 でも、シリルは無力だ。

 この大陸で一番一般的な茶色の髪。青き月の神々に守られたこの国に多い青い瞳。シリルは一般人である。そうあることを求め、そうであることを誇りに思っている普通の人だ。だから、魔物に対抗するすべがない。それを、知らない。

 初めて、単なる市井の民であろうとしていた自分に、後悔した。

「方法を、教えて欲しい?」

 目の前の、大切な人を魔物から守る手段を知る人物が聞いてきた。

 シリルは迷わず頷く。

「教えて、欲しい」

 アドルとシリルの明度の違う同色の瞳が交差する。アドルはふっと微笑んで、付いて来いと彼を招いた。


「はい」

 イレーネの部屋の下にあるアドルの居室で、アドルは一振りの剣をシリルに渡した。

「はい?」

 思わず受け取ってしまってから、シリルは首を傾げる。状況が理解できない。

「手段」

「いやいやいやいや!」

 ずっしりと重い剣を、渡された状態のまま、シリルは何度も首を左右に振る。

「力づく。一番単純で、何も持たない人にも出来る方法だよ」

「しかし……剣は、そんなに……」

「鞘の抜き方も知らない?」

「そんな事はない」

 これでも、剣の国カルーラで生まれ、国の貴族の家で育った。最低限の剣術は、使用人の嗜みとして習っている。上手い下手はともかくとして……

「じゃあ、大丈夫」

「で、でも相手は魔物で」

 敵う訳がない。そう言ったら、アドルは冷めた目で、ふーんと言った。

「あなたがこの剣を振るわなくては、姫が魔物に奪われるとしても、そう言っていられるんだ」

「だから、君達がいるんだろう!」

 対魔物のエキスパートが。

「だから、私達は領主の剣であり、君の剣ではない」

「……」

 同じ事ではないか。領主がちゃんと適切な対処をしているのに、他のものがしゃしゃり出るのは、無駄どころか迷惑でしかないのではないか?

「感情で突っ走らない人は、嫌いじゃないけど……」

 シリルが、アドルの言いたいことを理解できずにいると、ふぅと彼はため息を吐いた。

「まぁ、いい。剣は預けておく。抜くかどうかは別として、一緒に姫を守ってほしい」

「なんで、僕が……」

 魔物と戦えるような力などないのに。

 まさか、冒険者の有能さと、シリルの無能さを、姫へ見せつけるために?

 しかし、彼らはそんなことをする人には見えない。見えないから、真意が分からない。

「理由が必要ならくれてやる」

 アドルは再び溜息を吐く。

「仕立て上げるべき勇者が、その場にいないのでは歌にならない」

「……」

 彼らは雇い主に、今回のことを物語にしてもいいと言われていた事を思い出す。勇者をシリルとして良いと、主人は冗談交じりに言っていたが、まさか、本気なのか。

「納得した?」

「……した」

 呆れて声も出ないが。

「因みに」

 そんなシリルにアドルは追い打ちをかける。

「伝説だけど、吸血鬼は白木の杭か銀の武器でしか倒せないという話だ。で、私達が持つ銀の武器は……」

「まさか」

 シリルは視線を自分の手元に落とす。きれいな装飾が施された鞘。実戦向けにシンプルな造りになっている柄は、黒くてかっていて、使い込まれている様子が見える。彼が渡したのだから、アドルのものだろうが、小さい彼にしては大振りな剣だ。

「まぁ、そう言うことだね」

「返す!」

 大慌てで突き返しても、当然受け取る訳がない。

「あくまで、伝説だけど、ね」

 アドルが楽しそうに笑う。

 性質が悪い。

 シリルは溜息を吐いて天を仰いだ。

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