渓谷の街 1
「おぉ……開けた」
ベルドは目の前に広がる風景に、思わずため息を吐いた。
開けた場所に出たと言っても、決して広いわけではない。
東西に流れる川の河川敷がちょっとだけ膨らんでいて、そこに集落がひっそりと佇んでいる。畑は相変わらず、山の斜面に沿って段々に作られているが、その幅が、今までより少しずつ広い。
平野と言ったら、フラビスの平原に鼻で笑われるであろう。目の前の風景は、盆地ではなく、谷としか言いようがなかった。視線を遠くに移そうとしても、すぐ山に遮られる。空は遠いが狭い。猫の額と言うにも、猫に失礼だ。それでも開けて見えるのは、今まで通って来た道が、本当に狭かったからだ。
「今までよりマシな街っぽいな……」
谷の中で最も膨らんだ場所に見える家々の数を数え、ベルドは手元の地図へと視線を落とした。
「ティリア……かな?」
この谷の中に書かれている唯一の地名を口に出して、首をかしげた。
「ここで、『コゼニカセギ』?」
傍らで、じっと集落を見ていた相方が、ベルドを見上げ問いかける。ベルドはにやりと笑って、大きくうなずいた。
「あぁ。『路銀』が尽きかけているから、ギルドで『小金稼ぎ』だ」
自分の胸にも届かない小柄な少女の頭をくしゃりと撫でたら、彼女がくすぐったそうに微笑んだ。ベルドの口元が、少々だらしなく緩む。
にやけている自分を自覚しながら、彼は再び視線を前と向けた。
「こんな田舎に、ギルドと仕事があれば……だけどな」
開けたと言っても、盆地と呼べない谷間の街である。遠目からも、賑やかさよりも長閑さが勝るこの街に、何があるとも思えなかった。
しかし、ベルド達には、金が無かった。金が無い冒険者は、手段を選べない。
彼の心配をよそに、谷間の街は意外と規模が大きかった。
木で作られた門に、胴板の看板がある。そこに、村の名前が書いてあった。
「ヒオリ、読めるか?」
「バカにしてる?」
「してない……で、読めるか?」
「てぃりあ」
「正解」
「やっぱりバカにしてた!」
ぷくりと頬を膨らます相方の様子に笑みを浮かべながら、ベルドは違う、と言う。当然、笑いながら言うから、彼女は全く納得しない。
「正解、は俺の方……ほれ」
そう言って、腰を屈めて手に持つ地図を見せる。彼女が覗き込んだら、片手で地図の中央辺りを指さした。
「ここ」
「てぃりあ」
彼女が、先ほどと同じ文字を読む。
「ほら、当たり。やっぱり、ここがティリアだ」
「あ、そういうことね。ベルド、正解。凄い!」
ヒオリは、満面の笑みを浮かべる。彼女が自分を褒めているのに、彼女自身が褒められているかのような、幸せな顔で。
「い、行くぞ」
流石に恥ずかしくなって、ベルドは足早に門をくぐった。待ってと言う少女の声が背後から聞こえる。その為ではないが、ベルドは門をくぐってすぐに立ち止まった。彼の右手に、初めてなのに見慣れた建物があったからだ。
どの街でも同じような場所に、同じような佇まいで存在する店であり、ベルド達のような者が、最初に目指す場所だ。
「あ、ギルド!」
ヒオリが嬉しそうに指差す。奴隷として生を受け、貴族の家で使われていた少女は、ベルドのように本当の『家』を知らない。なので彼女にとって、一番親しみやすい場所は冒険者の集う場所なのだ。ギルドがどこでも似たような姿をしているのは、世界中を旅する冒険者の『家』である事を意識しているからかもしれない。ベルドも、見知らぬ地にある見慣れた建物にホッとした。
「おいおい、そっちこそ、置いて行くなよ……」
今度は彼女がベルドを置いて進み出した。ベルドは苦笑して、小さな少女の後を追い、見慣れた扉を潜った。
「いらっしゃい」
落ち着いた低い女性の声が、ギルドに入ったベルド達を迎えた。
ベルドは店内を見回す。自然光で照らされた店内は明るい。人は思ったよりもいた。冒険者パーティ標準の五、六人がひとかたまりとなって、四組ほどのんびりしている。仕事がないのか、待機中なのか。
前者だと、困る。
「初顔だね。護衛……にしては人数が少ないね」
彼らを招き入れた声が、再び彼らに語りかける。声のした方――店の奥にあるカウンターの向こう側――へ視線を向けると、大柄な赤毛の女性が鷹揚な笑みを浮かべていた。
「おいおい姐さん」
カウンターの一番近くにあるテーブルに居た冒険者が、呆れたように彼女に声をかけた。
「まだガキだぞ。冒険者じゃなくて、依頼のお使いじゃねーのか」
その言葉に、ベルドはヒオリと顔を見合わせて、肩を竦めた。彼らの反応は珍しくない。自分達、特にヒオリは、冒険者として若すぎる事を二人は知っていた。そして、冒険者パーティとして、二人は少なすぎる事も。なので、自分達の名を知らない土地では、冒険者だと言っても、冒険座の事務員にすら信じてもらえない事のほうが多い。入った瞬間に、初顔――初めてこのギルドに来た『冒険者』――と身抜いた女性の方が、珍しいのだ。
「ま、どっちだっていいよ」
カウンターの向こうにいる女性は、それに対して議論する気は、全く無いらしい。素っ気ない口調で冒険者をあしらって、来訪者であるベルド達を手招きした。
「おいで、ミルクもジュースも、昼間だけど酒もあるよ」
別に飲み物が欲しいわけでは無かったが、彼らは素直にカウンター席へと着いた。欲しいのは仕事だ。あと、食事と情報。
席についてたら、水と食事のメニューが出た。本気で酒を進める気はなかったらしい。この国の水は美味しく、しかも食堂では無料で提供してもらえる。美味しい水で喉を潤しながら、ベルドは最初に浮かんだ疑問を口にした。
「護衛?」
「ああ。今来ている冒険者は、護衛が多くてね。ここにいるのは、それでこの街に来た者達だよ」
「なるほど。それで……」
昼間に冒険者がいる理由がわかった。護衛で誰かをここまで連れて来て、今、待機中なのだ。通常、待機中も賃金は発生するから、無理にここで仕事をする必要はないのだ。
「お偉いさんが集まるイベントでもあるのか?」
「領主の誕生パーティなんだよ。この街は、この谷で一番の街だからね、これでも」
「これでも……ね」
ベルドは彼女の言い方に苦笑する。しかし、事情はわかった。
「近隣の村から名士が集まっているって事か」
「そう言う事。お陰で、ティリアはにわかに賑やかになり、ギルドからは閑古鳥が逃げ出したって訳だ」
ギルドの事務員は興味無さそうに言う。この状況を歓迎しているわけでも、忌避している訳でもなく、淡々と事実を受け入れている様子だ。
「で、アンタ達、ギルドには登録済みだろう? 名前は?」
「あんたは何者?」
「おや」
彼女は初めて驚いた表情を浮かべた。
「流れの冒険者が、ギルドのバイト事務員に興味持つのかい?」
「いや、俺らを冒険者だと一発で見抜いたから……って、バイト?」
「バイトだよ。アタシ等も野暮用でここに来たんだけどね、丁度正規の事務員がぎっくり腰になったんだ……この、年に一度あるかないかの書き入れ時にだよ。流石に笑ったね」
「……それは」
お気の毒と言うべきか、言うとしたら誰に言うべきか。
「ま、ヒマだし。ギルドでバイトはいつもの事だから、アタシは良いんだけどね」
「そこら中のギルドで、事務員のバイトをしてるのか? 本職は冒険者?」
「そうだね。カウンターのこちら側から見る景色が面白くてね。暇があればバイトしてる」
ベルドは納得する。いくつものギルドで冒険者に接していれば、歳格好ではなく、雰囲気で冒険者と分かるようになっても不思議じゃない。
「アタシに対する好奇心が満たされたのなら、あんた等の名前を教えてくれないかい?」
「あ」
忘れていた。
「ベルド」
「……ヒオリです」
ヒオリの声が幾分低いのは、気のせいじゃないだろう。
彼女は酷いヤキモチ焼きの甘えん坊だ。恐らく、ベルドと話し込んでいる目の前の女性に嫉妬しているのだろう。ベルドは苦笑して、彼女の頭をくしゃくしゃ撫でる。もっと撫でろと言わんばかりに、彼女は頭を自分の方へと寄せてきた。ベルドは、今自分達が単なるバカップルに見える事を承知で、彼女の頭を引き寄せてやる。
「ふーん。ベルドとヒオリ、ね」
しかし、バイト事務員は、そんなバカップル状態の二人に、全く頓着していない。慣れているのか、心底興味ないのか。それとも恐ろしいポーカーフェイスなのか。
「宿はここで?」
「ああ。一部屋で構わないぞ」
「部屋に余裕はあるよ?」
「…………」
からかいでも、非難でもない、至極真面目な口調である。一人一部屋でも、宿側は問題ない、彼女が言いたいことは、それ以上でも、それ以下でもなかった。
女性の野暮に出会ったのは初めてだ。
「……金に余裕が無いんで」
「そうかい」
彼女に、二部屋を一部屋分の料金で提供する権限がなくて良かったと、心の底から思った。
仕事を探している事を告げ、二人はテーブルに移動した。
減った腹を満たすために、日替わり定食を注文する。メニューをとったり、食事を運んできたりしたのは、カウンターの事務員以外の従業員だった。糊の効いた真っ白なエプロンを着けた女性である。それだけで、ギルドの規模が分かる。ここは田舎だが、ギルドは決して小さくない。小さいギルドは、冒険座の事務も、宿屋業務も、食堂も一人、または家族でで切り盛りしている。ここは、人を雇っているし、事務とそれ以外の仕事の担当が分かれている。それだけ需要があるのだ。仕事に困ることはなさそうである。小金稼ぎが目的で来訪したベルド達には、好都合だ。
安くてボリュームたっぷりの定食を食べ、今日はどうするか、ヒオリと相談しようとした時、ギルドの扉が、軽快な音をたてて開いた。冒険者か依頼者か。とりあえずは関係ないからと、ベルドは他の冒険者同様に無視することにした。依頼人なら大柄な赤毛のバイトが対応するだろうし、冒険者ならやはり野暮な事務員が相手をするだろう。
案の定、
「いらっしゃい」
声を掛けて来訪者を迎えたのは、カウンターの向こうにいる彼女だけだった。しかし、来訪者に注目したのは、彼女だけではなかった。
「一人だよ。顔、隠してる」
ヒオリがちらちらと盗み見をしながら、ベルドに報告をする。興味津々、といった様子だ。
「お仕事の依頼かな? 顔を隠しているから『キナクサイ』話かな?」
「ヒオリ……」
「ん?」
「いや、何でもない」
『古金稼ぎ』だの『きな臭い』だの、変な言葉ばかり覚えるんだな、とは言えない。恐らく、彼女にその単語を教えていたのは、ベルド自身だ。
言う代わりに、ヒオリが持ってしまった興味を共有することにする。
つまり、来訪者の目的である。
「仕事の依頼かい?」
低く明快に響く事務員のアルトに対し、答える声は小さくくぐもっている。背格好から女性か子供だと予想はしていたが、聴き取れない曖昧な言葉を発する音から、女性であることが分かった。
「じゃあ、個室で話を聞くかね」
今度は聴き取れた。そうしてちょうだい、と言ったのを。
残念ながら、二人がこの場で得られた情報は、ここまでだった。バイト事務員は、給仕の女性にカウンターを任せ、来訪者を個室へと導いてしまったからだ。ギルドには、他言無用の仕事も来るので、声の漏れにくい個室が必ずあるのだ。
「残念」
ヒオリが笑って肩を竦める。個室は声が漏れにくいだけで、決して漏れないわけではない。やろうと思えば中の様子を探ることは、可能である。特に、魔法を得手とするヒオリには。ただ、そこまでやって満たしたいほどの好奇心では無いのだろう。彼女はすぐに諦めた。
しかし、諦めた好奇心は、呆気なく満たされる事になる。
「ベルド、ヒオリ」
今日は観光をしようか、どこへ行こうか、名物はなんだろうかと二人で話していたら、個室の扉が開き、名を呼ばれた。二人で個室の扉へ視線を移すと、赤毛の女性が手招きしている。
ベルド席についたまま、怪訝な表情を浮かべた。いきなり自分達があの個室に呼ばれる理由が、わからない。相手の意図が分からない時は、迂闊な行動をすべきではない。
本業冒険者のバイト事務員もそれは承知なのだろう。室内に声を掛けて、外に出てきた。
「話を聞く気はあるかい?」
二人の前までやって来て、腰に手を当て尋ねる。
「話を聞いたら受けなきゃいけない仕事なら、遠慮する」
「そこに至る前段階の話だよ、ここでできるのは」
「フェアだな……」
ベルドは感心した。
「今どき、騙すような形で依頼を請けさせるようなギルドは三流だよ」
彼女は、心外だとばかりに、片眉を寄せる。
「話を聞く気があるなら、アタシに席を勧めてくれないかい?」
ベルドは視線でヒオリにどうするか尋ねる……必要はなかった。彼女は真紅の瞳を輝かせて、待っている。好奇心が嫉妬心に勝ったらしい。
「どうぞ」
ベルドは苦笑を浮かべて、彼女に席を勧めた。
「実は面倒臭い依頼でね……」
いきなり彼女は溜息混じりに言った。そう言われると、逆に興味が出てくるのがベルドである。
「地獄の沙汰も金次第だろ、ギルドは」
「ジゴクノサタ?」
ヒオリが首を傾げた。ああ、ちょっと難しかったか、彼女には。
「金があれば、なんだってするのが冒険者の大半だけどね」
「金があれば何でもオッケーって意味?」
赤毛の事務員の言葉から、ヒオリは意味を推測する。最近、彼女は、こうやって難しい言葉の意味を推測出来るようになった。
「まぁ、そんなもんだ」
元々、勘が良い方だから、推測はだいたい正しい。
「その肝心の金が無い」
「なら、断ればいいじゃないか」
「断るのは、ちょっと危険な話でね……」
「危険?」
「そもそも、依頼者は人数を必要としていないんだよ。二、三人を所望しているんだ。そして、その人数であれば、十分な金額を用意している。四人以上になると、ちょっと足りない」
ベルドの疑問は無視された。請けると決めた者にしか話せない内容なのだろう。
そして、面倒臭い依頼と言う意味も理解した。
「冒険者パーティは、大体五人以上だよね」
ヒオリの言うとおりである。しかし、依頼人が求めているのは少数。ピンの冒険者を必要人数探すのが一番手っ取り早いが、田舎の街に、該当する冒険者が複数人いるとは考えられない。パーティに所属していない冒険者は、いない訳ではないが、珍しいと言われるくらい、少ない。
「アンタ達、二人だろう?」
人数と賃金の釣り合いが取れるのが、この二人だったから声をかけたという事だ。
「こんな若造でいいのか?」
「だって、『ベルド』と『ヒオリ』だろう?」
「……知っているのか?」
ベルドは驚いて、事務員の顔を見る。彼女は得意げな笑みを浮かべた。
「旅をしていれば、目立つ冒険者の名前くらい耳にするよ」
「目立つ……」
なんか言い方に引っ掛かりを感じないわけでもないが、久々に自分たちを知っている者がいると言うのは、ちょっと嬉しい。名前を売るために冒険者になったわけではなくても、だ。
「幼いカップル冒険者だけど、契約はきっちり果たす信頼できる冒険者だってね。同じ若いパーティでも、依頼人を勇者に仕立て上げて物語を作って歌って喜ぶどっかのパーティとは大違いのプロだって評価してたね……どこかの誰かさんが」
「むしろ、比較したパーティが異常じゃねぇか……」
なんだその冒険者パーティ。面白そうだが、関わりたくない。面倒事を、わざわざ起こすタイプだ、絶対。
「そうかもねぇ」
事務員は、楽しそうだ。
「で、どうする? 依頼人の提示している報酬は、これだけ」
指で机の上に書かれた金額は『少ない』と言われて想像していたものよりも遥かに多かった。
「拘束期間は?」
「えっと……最低三日かな。後処理必要な事態になったら、どれだけ延びるか知らないね」
「ヒオリ」
ベルドは相方に声をかける。
「どう思う?」
「えっと……この金額を、期間と人数で割るんだよね?」
「そうだな。いくらになる?」
「えっと……」
両手を話動かしながら、ヒオリは考え始める。どう考えてもこの計算は両手では足りないし、そもそも割り算だから、指の本数で計算するのはナンセンスなのだが。
「後で、部屋で計算してみろ――二人だと結構いい仕事だな」
「アタシも、そう思う」
「請けよう」
「了解。助かるよ。じゃ、依頼人のところへ移動しようかね」
金額と人数以外全く触れていないのだが、この事務員はそれを指摘しない。それは、ベルド達が、一度『請ける』と言った仕事は絶対請けるという事を、知っているからだ。
故郷ならいざ知らず、来て間もない国でここまで自分たちの情報を持っているとは……このギルド事務員、いや、冒険者の情報網は、侮れない。