勇者のための四重唱


渓谷の街 12

 翌朝。

 ギルドは慌ただしかった。パーティに出席した人々の護衛として雇われ、彼らが街にいる間のんびりしていた冒険者たちが、出立の準備を始めたからだ。

 大体の客は、今日の午前中にこの街を出るらしい。平和だが、観光をするところもない、そこに住む人々がただ生活を営むだけの街に、部外者は長くいる理由がないのだ。

 ベルドとヒオリは、そんな同類を四人がけのテーブルに座ってのんびりと眺めている。彼らも長居をする気はなかったが、仕事がある訳でもなかったので、自分たちのペースで動くことが出来た。

「おはようございます」

 ヒオリが朝食の牛乳に口を付けた時、軽やかな高い声が降ってきた。ヒオリが口を付けたばかりの牛乳をテーブルに置いて、破顔する。

「おはよう!」

「おはよう」

「おはよう」

「おう」

 ヒオリのあいさつに返事をしたのは、最初に声を掛けたフェイスを除いて二人だ。ベルドは片手をあげて、彼らに答える。一人足りない。

「……アドルは?」

「あー……寝てる」

 エドが、あさっての方向を向いて答えた。

「えらくのんびりしてんな。しばらくここに居るのか?」

「まぁ、いなきゃいけないだろうね」

 シリィが、断りもなく空いた椅子に座った。ヒオリが、残りの椅子にフェイスを誘う。彼女は眼でベルドに許可を求めてきた。ベルドは頷きながら、隣の机から椅子を拝借した。エドの長身がそこに納まる。

「短くても、二日はここに足止めだね。暇なギルドでしばらくバイトかな」

「足止め? 後始末とか?」

「いいえ。それは、わたくし達の仕事ではありません」

 なら、なぜこの平和すぎて、冒険者にとって退屈すぎる街に居続けるのだろう?

「アドルが、しばらく動かせないからな」

 エドが、苦笑交じりに答えた。だが、まだいまいち把握できない。動かないとは違うのか?

「昨日のアレは、結構無理していたからな。パーティでも、元気なかっただろう?」

「……お菓子、食べていなかったね。アドルの言うとおり、すごく美味しかったのに」

 エドの言葉で、ヒオリは何かを理解したらしい。

「魔法使い過ぎて、倒れちゃったの? 大丈夫?」

 そういう事か。

「いや」

 ……違うのか?

「似たような症状だけどな。一応言っておくと、アドルと俺は呪文が使えない」

「じゃあ、どういう事だよ?」

「なったばかりとは言え、魔物化した者を元に戻す無茶をしたら、それ相応の反動がある、って事だ」

「魔法じゃないのか、あれ?」

「流石にそんな魔法、ないよ」

 答えたのはヒオリだった。残る女性二人も、彼女に同意するかのように、頷く。

 そもそも、ベルドは魔法に対する造詣は深くない。誰も驚かないでナタリーの変態を受け入れていたから、そういう手段がこのあたりには存在するのだと思っていた。

「理屈は誰もわからん。本人もわかっていないかもしれない――でも、アドルの歌は、そういう効果がある」

「グラスの魔物はしょうがないけど、ナタリーは事故みたいなものだったからね。形振り構っていられなかったんじゃないかな」

「おかげで、うまくいきましたけど」

「……失敗することもあるのか」

 ベルドは、おそるおそる尋ねる。

 失敗したら、どうしていたんだろうか。いや、他の魔物と同じく倒していたんだろうが、後味の悪いことになったに違いない。それを考えると、背筋が寒くなった。

「運が良かったのですよ」

 フェイスが、笑顔で答える。

 ……その程度の成功率という事か。それは、運が良かった。

 本当に、よかった。



 そのアドルと会ったのは、昼過ぎだった。

 出立のために荷物を取りに部屋へ戻る途中、部屋から出てきたアドルと鉢合わせたのだ。

「おはよ……」

 気だるげな声で、時間に合わない挨拶をするアドルに、こんにちは、と答える。顔が青白いのは、廊下が薄暗いせいだけではないだろう。

「熱があるのか?」

「……昨晩よりは、下がった」

 つまり、まだあるという事か。

「無理せずに寝ていろよ」

「ベルドと話がしたかったんだ……座っていいか」

 彼が指したのは、廊下にあるソファだ。むしろ座れと言って、ベルドも彼の横に座る。

「いつ出立?」

「ヒオリ達が、買い物から帰ってきたらだな」

 アドルは、ベルド達がこれから発つ理由を知っている。



 彼女が再びギルドにやって来たのは、待機していた冒険者のほとんどが旅立った直後だった。

「報酬を持ってきたわ」

 昨日の今日だ。彼女は気まずそうに視線をそらしながら、言った。

「ちゃんと、依頼通り父を守っちゃったから……払わないと」

 そう言ってテーブルに投げた袋に入っていた報酬は、請けた時に提示された金額の倍額だった。

「多いぞ?」

 貰えないと思っていたから、貰えて、しかもその額が多い事に、ベルドは驚く。

「迷惑料と感謝料……わたしと、父から」

「エドには渡さないのか、半金」

「貰えねーよ」

 返ってきたのは、エドの言葉だ。

「偽物渡して、金貰おうとは思っていない」

「必要経費を引いた残金が返された時、唖然としたわよ」

「これでも、プロだ」

「馬鹿正直なんだよ」

「うるさい」

 真っ白な顔をほのかに赤くして、エドがあらぬ方を向く。

「俺は、貰っていいのか? 何もやっていない気がするんだけどな」

 ベルドは苦笑した。エド達の根回しとアドル達の協力が無ければ、こうやって平和に依頼主と顔を合わせることもなかっただろう。

「父は、貴方たちに感謝していたわ。わたしも、そう」

「そうなのか?」

 あまり、実感がない。

 アドルにいいように使われただけな気がするのだが。

「貰っときなよ」

 シリィが背中を押す。

「この仕事を請けたのは、アドルじゃない。あんた達なんだから」

 そう、とナタリーも頷く。

「この物語の主役は、貴方たちなのよ」

「主役?」

 含みのありそうな言葉に、ベルドは首をひねった。

「どういう事?」

 ヒオリが尋ねる。

「この事件に乗り出したのは貴方達。解決したのも、貴方達……そういう事でしょう?」

 最後の質問は、フェイスに向かっていた。彼女は、隣のシリィ、向かいのエドと顔を見合わせる。

「良い歌はできたかと、『勇者のための四重唱』に聞けと父が言っていたわ。アドルが回復したら、歌いに来いですって」

「え?」

 ヒオリがきょとんとする。

「ゆうしゃのためのしじゅうしょう?」

 ベルドは、いきなり出てきた言葉に、頭が真っ白になりそうになった。

 その言葉を聞いて浮かんだのは、そういう名前のパーティ。カルーラに来て知った、最近話題の冒険者達だ。

「えっと……行く先々で、勇者を仕立てあげているって言う、あの?」

「勇者を探しているだけですよ」

 フェイスが答える。

「どんな些細な事も感動的な物語にして、歌い広めているって言う、あの?」

「作っているのは、殆どフェイスだけどね」

 シリィが肯定する。

「美味しいものがあればとことん食べて、後には何も残らないって言う、あの?」

「……誰だ、そんな噂流したのは」

 エドが渋い顔をする。

 しかし、彼らは一切否定しない。

「主役が、俺達?」

「そりゃぁ……」

 エドが、シリィへ視線を移す。

「あの有名な冒険者と、会えたら……ねぇ」

 シリィが、フェイスへと視線を移す。

「歌わない理由がどこにありますか!」

 琥珀色の瞳を輝かせて、フェイスが堂々と宣言した。

「…………あぁ」

 フェイスが最初に言っていた、ベルド達と仕事をするのが夢だと。そのあとアドルが明言していた、ベルド達の物語を紡ぎたいと。

 それを知って許可したのは、ベルドとヒオリだ。

 ただ、彼らは自分たちが、あの『勇者のための四重唱』の一員と言わなかっただけで。

 ……やはり自分たちは、アドルの掌で踊っていただけじゃないのか。

「歌になるの、ボク達?」

「止めろと言ったら、止めるか?」

「本人が喜ばない歌を歌うつもりはありませんけど」

 うん、じゃあ。

「やめてくれ」

「…………そうですか」

 フェイスの肩が、大きく落ちた。

「わかりました」

 彼女は見ていて気の毒になるくらいしょんぼりしてしまった。

 エドとシリィが、肩を竦めて顔を見合わせる。彼らも、無念さを隠していない。

 ナタリーが、父が残念がるわ、と残念そうに溜息を吐いた。

 あちこちから、小さく「えー」と言う声が聞こえる。見回せば、彼らのやり取りを盗み聞きしていたらしい冒険者や、ギルドの職員が、無念そうな表情を浮かべている。

 そんな彼らの様子に、ヒオリがオロオロとしだした。

「そ、そんな顔してもなぁ」

 天気の良い朝の筈なのに、酒場全体が暗くなった気がする。

 ベルドは、そんな空気を一蹴しようと、大声で否定した。

「ぜってー認めねぇからな、俺はっ!」

 なぜ、ベルドが悪いような空気になっているのだ。


 ナタリーがギルドに来た理由は、一つだけではなかった。

「厚かましいかもしれないけれど、もう一回、貴方達に依頼をしたいの」

「……」

 ベルドは無言でカウンターを見る。小太りの正規事務員は、問題ない、と一つ頷く。話は通っているらしい。

「隣の街まで、護衛をお願いしたいの」

「家を、出るのか?」

 せっかく、父との関係を修復したのに。

「父を継ぐのはフロランだし、領主を継ぐのはローゼだから」

 わたしは、別の道を行くの、と言うナタリーの瞳は、きらきらと輝いていた。



「ナタリーに助言したのは、お前か?」

「ヴィクトル殿に忠告したんだよ」

 彼女は、職人になるための修業をするのだと、嬉しそうに言った。あのグラスを作った工房へ行くのだと。

「初めて作ったカットグラスに、神を宿らせた――あれは、才能だ」

「神? 魔物だろ?」

「神だよ。小さな、神だ。母親の死とともに忘れられて、グレてしまった荒神だ」

「その才能を、生かすべきだという事か」

「逆だよ」

 アドルは、昏く笑う。

「その才能を制御するために、学ぶんだ――私の、歌の様に」

 アドルの歌。呪文では不可能だと断言された、魔物を元に戻す力。しかし、歌った後に精も根も尽き果てて、数日間寝込んでしまう。好きな歌を歌い続けるためには、普通に歌う事を学ばなくてはいけなかったのだと、彼は言う。そして彼女も、普通の芸術品を作るために、学ばなければいけない、と。

「隣の領にある工房の主は凡人だけど、彼の師匠は同類だ。彼ならば、きっと彼女を導いてくれる。素敵な作家になるだろうね、彼女は」

「そうなったら、俺たちも何か作ってもらおうかな……」

「ペアのカットグラスが良いね」

「そうだな」

 彼女の処女作であるあの夫婦グラスは、結構好きだった。

「そして、浮気をすると襲ってくるんだ」

「浮気なんてするか!」

 ベルドの怒鳴り声に、アドルは元気は無いが楽しそうに笑った。


 階下が騒がしくなった。ナタリーを含めた女性陣が、買い物から戻って来たらしい。低いのになぜかよく通るエドの声が、彼女たちを迎えていた。

「帰って来たな」

 ベルドも彼女たちを迎えようと、腰を浮かす。

「ねえ、ベルド」

 ソファに座ったままのアドルが、ベルドを呼び止めた。

「ひとつ、聞いて良いか?」

「いいけど……」

 ベルドは立ったまま振り返った。ソファに身体をうずめたままのアドルが、上目遣いに彼を見ている。

「過去の悪夢にうなされるヒオリを救いたいと思った事は、ある?」

「…………どういう手段で?」

 まさか、この手の質問をアドルにされるとは思っていなかった。

「その記憶を消したり、改ざんしたりして」

 しかも、そういう手段を出すとは。

「ないな」

 ベルドは、きっぱりと答える。

 この手の質問は初めてではない。ヒオリの苦痛の片鱗を知った者が、こういう問いをベルドや、ときにはヒオリ自身に投げる事は、少なくなかった。

「ヒオリは、それを自力で乗り越えようとしている。俺がやるべきことは、その手伝いであって、否定じゃねえよ」

「……ベルドは、辛くないか」

「辛い?」

 その質問は、初めてかもしれない。

「なんで、俺が?」

「乗り越えようとして足掻いている彼女を見守っているのが。悪夢にうなされている彼女を見るのが」

「……考えたこと、ないな」

 自分の無力を恨むことはある。彼女が苦しんでいるときに何もできない自分に歯噛みしたことはある。

 しかし、辛いと思った事は無い。辛いのはヒオリだし、頑張っているのもヒオリなのだ。自分では、決してない。

「そうか」

 アドルは、わずかに顔を伏せた。

「強いな……ベルドは」

「アドル?」

 ただ、うつむいているだけなのに、なぜ、アドルが泣いているように見えるのだろう。

「私は、耐えられなかった」

 それは、一体。

「どういうこと――!?」

「さてっ――っ!」

 心配になって覗き込もうとしたベルドと顎と、急に顔を上げたアドルの頭がぶつかる。二人はぶつかったところを押えて、同時に唸り声をあげた。

「……何やっているんだ、お前等」

 いつの間にここに来ていたのだろうか。エドが、呆れた声を上げる。

「ふぇ……ふぇど」

 舌を思いっきり噛んでしまい、口が回らない。

「い、いつから?」

 アドルが頭を抑えながら慌てて立ち上がって、ふらつく。エドが呆れて溜息を吐き、彼を支えた。

「今だけど――話の邪魔をしたか?」

「いや、別に」

「ならいいけど。見送るために、起きたんだろう」

 ベルド達は、ヒオリとナタリーの買い物が終わり次第、ギルドを出立することになっていた。

「ベルド、ヒオリとナタリーが待っている」

「ああ。分かっている」

 頷いて、ベルドは荷物を抱え直す。抱えながら、エドとアドルをまじまじと見た。エドに半ばよりかかるようにして立っているアドルと、それを当然のように受け止めているエドの姿を。

「なんだ?」

 その意味深な視線に、エドがいぶかしがる。ベルドは、にやりと口の端を上げて笑った。

「……いや、これが恋人同士じゃないってのが、不思議だと思ってな」

「…………」

「…………」

 二人は一斉に顔をしかめる。あまりに一緒に、同じような表情を浮かべるのだから、面白すぎてベルドは思わず吹き出した。

「何ていうか、ベルドってさ……」

 アドルが、大きく溜息を吐く。

「ベルド、遅いよっ!」

 上機嫌で、ヒオリがやって来た。してやったり、と笑みを浮かべるベルドの腰に飛びつく。そのタイミングで、エドが低く呟いた。

「ショタコンのホモにしか見えない奴に言われたくない」

「……誰が?」

 一連の流れを知らないヒオリが、無邪気に尋ねる。アドルがニヤリと笑って答えた。

「ヒオリの旦那さん」

「ええっ!」

 ヒオリがベルドの腰から手を放し、飛び退る。

「そ、そうなの、ベルド?」

「んなことあるかいっ!」

 怒鳴ってから、ぎろりと青緑の瞳で、エドを睨んだ。

「お前も、結構言うな」

「伊達にアドルの幼馴染をやっていない」

 不本意だ、と言わんばかりの口調に、ベルドは苦笑しながらヒオリの頭を優しく撫でた。

 この発言で、ヒオリが年下の男に対しても嫉妬を抱くようになったら、賠償を要求しよう、そう思いながら。


 空が、高く、そして驚くほど青い。

 勇者のための四重唱が、街の門まで見送りのためのついてきてくれた。意地っ張りなのか、慣れているのか、アドルは外に出た途端しゃきっと一人で歩きだした。

「世話になった――と、素直に言いにくいんだが」

「言わなくてもいいんじゃないかい」

 ベルドが別れの言葉を探すと、シリィあっさりと返した。

「素敵な時間を、ありがとうございます。楽しかったです」

「僕も、楽しかったよ」

 ヒオリが笑って答える。彼女の無邪気さと、心の広さに、涙が出そうだ。

「また、一緒に仕事ができるといいな」

「そうですね。その時には、エドとシリィも一緒が良いですね」

「そうだね!」

 ヒオリがフェイスと仲良くなったのは、良い事かもしれない。

「遺跡探索とか、一緒にやりたいな」

「お?」

 エドの言葉に、ベルドは眉を上げる。

「お前らがいると、俺が楽そうだ」

「そうでしょうか?」

「甘いんじゃないかい?」

「ベルド達の優秀さと、エドの仕事の量は、関係ないよ」

「――そうですか」

 エドががっくりと肩を落とす。なかなか、容赦ない仲間たちである。

 その様子に笑いながら、アドルが右手を差し出した。

「こちらからは、言わせてもらうよ――世話になった」

「どういたしまして」

 ベルドは、アドルの手を取る。

 じんわりと温かった。

「今度こそは、歌わせてくれるよね?」

 不調を思わせない、満面の笑みで彼は問いかける。

「え」

 思わず目を逸らせば、期待で目を輝かせているフェイスの姿が目に入った。うろたえて左右へと視線を動かせば、どうのこうの言いながら、シリィも、エドも、何かを期待するような顔だ。

 いや、そんな顔をされても……

「それだけは、絶対ごめんだ!」

 ベルドは怒鳴って彼らに背を向けて駆け出す。

 慌てて追いかける女性二人の声を聴きながら、笑みを浮かべた。