渓谷の街 3
ベルドは協力者の少女たちに、依頼の内容と今までで得ることのできた情報を話した。
出会いであれだけふざけられたのだから、依頼内容が「誕生パーティに領主を暗殺するらしいと、通りがかりに小耳にはさんだからどうにかしてほしい」と言う依頼の内容を知った時に、どう茶化されるのかと思ったが、二人は至極真面目に話を聞いていた。
「領主と言うのは、本人の人格関係なしに恨まれるものだ」
話を聞き終わってから、アドルがそう言った。
「どうして?」
「それが仕事だから、と言ってもいいね」
ヒオリの問いには、難しい回答が返ってきた。ヒオリが説明を求めてベルドを見てくる。だが、彼にもどうこたえて良いのかわからない。アドルが言いたい事の、ニュアンスはわかるのだが……
「難しいか……何て言えば分かるかな」
アドルも、うまく説明できないらしい。
「たとえ話をすればいいんです」
フェイスが口を開いた。
「任す」
アドルの一言に、彼女は頷く。
「たとえば、右にある物を左に移します」
フェイスが右手にあったコップを、左側へと動かした。
「こうすると、右に物があったほうが良かった、と言う人は不満を持ちますよね」
「うん」
ヒオリは、素直に頷く。
「では」
と、彼女はコップを再び右手へと戻した。
「このまま左に動かさないでいたらどうなると思います?」
「……左に動かしてほしい人が不満に思う」
「そうです」
彼女は柔らかく微笑む。ヒオリは、その笑みにつられて微笑み返した。なんだか、ほのぼのとする光景だ。
「物を右に置いたままにする、左へ動かす、それを判断するのが領主様の役目なのです。動かさなかったら、動かして欲しい人に恨まれる。動かしたら、動かさないで欲しかった人に恨まれる。何をやっても恨まれるんです」
「正しいことをやっても?」
「ヒオリちゃんは、今の、どっちが正しいと思いましたか?」
「……ただ、物を動かすだけだよ。正しい、正しくない、関係ない気がする」
「そういう事です。それが正しいか正しくないか関係なく、何かを決める人は、決めなかった方に恨まれるのです」
「だから、領主は恨まれるのが仕事?」
「そういうことです」
再びフェイスがほほ笑む。納得したらしいヒオリは、満面の笑みを浮かべていた。うまく説明したな、とベルドは内心感心する。
「流石フェイス。例え話をさせたらピカイチだ」
「お褒めの言葉、ありがとうございます」
うん、とアドルはフェイスに頷いてから、ベルド達へと向き直った。
「そんなわけだから、聞き込みで心当たりを探っても無駄だろうね」
「だが、重要な要素がある。明日のパーティで暗殺をする理由と言うものが」
ずっと気になっている点だ。彼女たちは、それをどう思うのか気になった。
「ベルドさんとヒオリさんの見解は?」
「ベルド、ヒオリで良い。俺も呼び捨てするから」
言ってから、頭の中に浮かんでいる漠然とした言葉を整理する。
「パーティ中に殺すって、危険だよな」
「そうだよね。人がいっぱいいる中で殺すんだもん。どうやるんだろう?」
ベルドの呟きのような言葉に、ヒオリが続ける。
「危険を冒してまでやる理由があるんだろうな」
「見せしめ?」
「誰に?」
「自分以外の誰かに」
二人以外の言葉が加わった。
「パーティの最中に殺されたら、事件を誤魔化すことが出来なくなる。なぜなら、来賓がいっぱいいるから」
「領主の死を隠されたくないからか?」
もし、寝込みを襲われ、こっそり殺されたら、混乱を避けるために死を隠すかもしれない。少なくとも、暗殺されたとは言わないだろう。英雄視されている領主の暗殺など市井に知れたら、大混乱は必至だ。
アドルもそう思ったのだろう。うん、と頷いた。
「『暗殺』を公の事件にしたいから、この日を狙っていると考えると、納得できる」
「後は、この日が犯人にとって特別な日である、と言う可能性ですね」
「それだと、多分ベルドの情報網に引っかかってくると思うけど……あった?」
「……いや、明日は領主の誕生日だと言う話以外は」
「領主が、前領主を追い出したのは?」
「残念ながら、全く関係ないね。日付が同じですらない」
ヒオリの問いに、アドルは打てば響くような答えを返す。
「えらく自信があるんだな」
「物語とか伝承とか、あと、歌が好きなんです。わたくし達」
「なるほどね」
それは素直に納得した。
「街中で謳われている領主の英雄譚を聞いて、調べたのか。暇だって言ってたもんな」
暇つぶしに、無償で、憧れの冒険者の手伝いを買って出た、暇な冒険者だった、二人は。
皮肉交じりのベルドの言葉は、フェイスの微笑によって流された。
「もう、当日目を光らせるしか方法はないな……」
ベルドは、大きく伸びをしながら言う。
「ちくしょう。せめて、事前に出席者だけわかればいいんだが」
依頼主に要求したが、知らないと言われてしまったのだ。
「当日は、会場に入れるの?」
「ナタリー……依頼主が手引きしてくれるらしい。が、お前らどうする?」
「あぁ、それは大丈夫」
「大丈夫って、どうしてだ?」
ふふふ、と二人は顔を見合わせて笑う。ものすごく胡散臭い。
「当日は問題ないね。じゃぁ、これ」
そう言って、アドルはおもむろに紙を一枚机の上に置いた。
「これはっ!?」
そこには、人の名前が連ねられている。
「出席者の名簿。分かる限り、素性も説明しようか?」
「なんで……」
「そりゃ、手ぶらで『手伝います』とは言えないよ。ね、フェイス?」
「当然です。手土産ぐらい用意しますよ」
娘のナタリーでさえ手に入れることが出来なかったパーティ出席者名簿だ。なぜ、彼女達がそれを入手することが出来るのだ。
彼女達は一体何者なのだ。
「……本当、胡散臭い二人組だよな」
あの後、予定通り街を見て回ったが、予想通り新たな情報を得る事は出来なかった。二人は夕食をギルドの食堂で食べ、そのまま宿の部屋に籠る事にした。今日入手しておきたかった情報が、早々に、あっさりと手に入ったからだ。
ベッドに仰向けに寝転んで、ベルドはその情報をぼんやりと眺める。ベッドは長身のベルドでも窮屈ではないくらい広かった。それが、二台ある。部屋はそれだけで埋まっていた。
「二人組の若い冒険者が胡散臭いんだったら、ボク達もじゃないのかな?」
「実際、俺らは十分胡散臭いだろ」
『エルビウム夫妻』の名を知らない者には、大体冒険者志望の青臭いガキが粋がっていると勘違いされる。自分たちが胡乱な冒険者だという事くらい、痛いくらい知っている。
だが、あの二人の胡散臭さは、若さだけではない気がした。
「地元の冒険者、って訳じゃなさそうだよな」
「国内の色々なところへ行っているって、フェイスさんが言っていたよ。たくさんの物語と勇者を集めているんだって」
「二人で?」
それは聞いていない、とヒオリは答える。
「このご時世に、女二人旅? 流石にそれはないよなぁ」
「え?」
ヒオリが、きょとんとベルドを見る。
「どうした?」
「女、二人?」
「仲間がほかにいるのかもしれない。暇つぶしって言っていたから、残りの仲間の用事が終わるのを待っているのかもしれないな」
そういえば、やきもち焼でベルドへの依存が強いヒオリが、あの女の子達と話している間、全然やきもちを焼いてこなかったのを、思い出した。アドルとは、男同士のじゃれあいに近いやり取りをしていたような気もするが、彼女は全然気にしていなかった。
今思い返せば、珍しい。
「……それ、アドルさんの前で言ったら、怒られるよ、多分」
「え?」
ヒオリの難しくない言葉が、一瞬理解できなかった。
アドルが怒る? 何を言ったら? 女二人旅って言ったらか?
「アドルさん、男の子だよ」
「はぁ? あれで!?」
思わず飛び出した素っ頓狂な声は、同じ宿に泊まっている彼女――いや、彼の耳にも届いたかもしれない。
動揺を鎮めるのには、少々時間がかかった。
いや、あれが、男? 確かに、言われればそう見えなくもない。口調も女性にしてはぶっきらぼうだったし、声も女性にしては低かった。男性にしては高かったが。
背は……小さかった。ヒオリほどじゃなくても、本当の女性であるフェイスよりも小さかった。顔は女だ。断言してもいい。体型までは気にしなかった。
「よく分かったな、ヒオリ」
「ボクも良く間違われるから」
「同族を見抜いたか」
ヒオリは、ズボンを愛用する。体はまだ幼く、一人称が『ボク』だ。そのせいか、こんなに可愛いのに、男子と間違われることも少なくない。そんな中性的なヒオリだから、アドルの正体――隠してもいない物を、正体と言うべきかどうか――が分かったのだろう。
そして、納得する。彼女がアドルと話していても、嫉妬しなかった訳を。流石の彼女も、男に対しては妬かない様だ。
「ヒオリは、二人が気に入っているのか?」
「うん」
彼女はあっさりと頷いた。
「フェイスさんは優しくて、お話が楽しくてわかりやすいし、ベルドがアドルさんと話していると楽しそうだから」
「楽しそう……」
そう見られていたのか。
こちらは、柄にもなく終始振り回されている感じしかしなかったのだが。
ベルドは、どちらかと言えば、振り回されるより振り回す方だったのだが、今回は会った時から振り回されっぱなしな気がする。
――しょうがないよ、それは。
舌打ちをしたら、アドルの言葉がよみがえってきた。
「しょうがないよ、それは」
苦労しても得る手がかりすらなかった情報をあっさりともって来たアドル達を見て、ベルドは冒険者としての自信を喪失しそうになった。
それに対し、彼女――違う、彼はこう言ったのだ。
「こういうの、専門じゃないだろう?」
こういうの。つまり、街で情報を集めて、推理をする類の依頼。どちらかと言えば、頭脳プレーの、面倒臭い仕事だ。
「エルビウム夫妻の冒険譚と言えば、迷宮探索ですよね」
「街中なら、革命の手伝いとか。派手な舞台が多い。派手な舞台だから、物語になっているのかもしれないけど」
「……よく御存じで」
ファンだと言ったのは、本当なのかもしれない。その割には、ファン独特の憧憬を感じることが出来ないのだが。特にアドル。
「対して私達は、まぁ、こんなんだから……」
軽く腕を曲げて、力こぶを見せるようなしぐさをする。力を入れていないせいもあるが、服の上から見える細い腕は、確かに荒事は苦手そうだ。フェイスは見るからに僧侶である。言う間でもない。
「荒事は最後の手段。いかに荒事を避けて依頼を果たせるかを、重要視している」
つまり。
「頭脳労働が得意、と」
「頭は寝ていても使えるからね、鍛えやすい」
病弱で、ベッドで寝たきり人間のような台詞を、胸を張って言った。
考えるよりも動くほうが先のベルドは、同意はできなかったが。
アドルの指摘は正しい。この手の仕事を請けたことは、殆どない。しかも、二人だけで、と言うのは始めてだったかもしれない。
「なんでこんな仕事請けたんだろうなー」
昨日の自分を軽く罵りたくなる。
「お金が無かったからだよ」
「うん、知っている」
だが、もう少し『らしい』仕事が選べたんじゃないのだろうか。
見知らぬ土地に自分たちの名を知っている人がいて、その人が名指しで仕事を紹介してきたから、ちょっと調子に乗っていたのかもしれない。
普段だったら、請けるかどうか判断してから詳細を聞くような、怪しい仕事は……金を積まれればやる。ただ、今までは、そういう仕事でも自分達にあった仕事が多かっただけだったのだ。
「まだまだだな、俺も」
「ショウジンしなきゃ?」
「ああ。精進しなきゃだな」
そして、無償で協力を申し出てくれた胡乱な二人にも、感謝をしなければならない。
ベルドは再び、彼からもらったリストへと目を移した。
アドルとフェイスの説明は、名前を見た瞬間思い出せる程度に、頭の中にたたき込んである。領主を公共の場で暗殺する動機を持っていそうな人物も。
ただ、容疑者が複数いるのと、その容疑者たちを犯人と断定する証拠が全くないのが問題なだけで……
夜になると、畑には人っ子一人いない。農民は基本的に日のあるうちにしか働かないからだ。なので、人目を避けて人と落ち合うときに、夜の畑はうってつけだった。
集落の川向こうにある畑の一角に、掘立小屋がある。農機具を入れておく場所だ。その脇に、細長い影があった。人の様だ、長身の、おそらく男だろう。
影は、長い脚を動かして位置を変える。月明かりにその痩身を晒した。空に輝く蒼と金の月に、銀の光が反射した。その影は、銀の髪を持っていた。
銀髪の男が動いたのは、橋の方からやってくる人影を見つけたからだ。二人は、ここで待ち合わせをしていたらしい。
「遅い」
銀髪の男が、低く言った。やって来た男は、無言だ。月の光に沈む濃い茶髪の男で、銀髪の男よりも太く小さいが、それは、銀髪の男が標準より長身で細身だからだ。茶髪の男は、中背で少々筋肉質だった。
「これが、依頼されていたものだ」
銀髪の男が、闇に消えそうな藍染の袋を差し出す。茶髪はひったくるようにそれを受け取り、口を開けた。しかし、月明かり程度では中身をしっかりと確認することはできない。だが、そこに数種の草が入っていることは確認できた。
「間違いないか?」
茶髪が尋ねる。どんな大声でも喧騒にかき消されそうな、響きを持たないだみ声だ。
「間違えても責めないで欲しい。こんな面倒なものを探させておいて」
銀髪が片手に持った紙をひらひらと相手に見せる。そこには、茶髪の男の主人が、銀髪の男へ依頼したものが書かれていた。銀髪の男が依頼人に書かせた、念書だ。
茶髪は、受け取った袋の中から草を取り出して、相対する男へ突き付けた。この草は、彼も知っている。煎じて呑めば痛み止め効果がある薬草だ。だが、生のままで食べると毒である。
袋の中には、そう言った一歩間違えば危険な薬草が入っている。
「……証拠に食べてみろ」
その草は、依頼通り生のままの状態だった。
「冗談じゃない!」
低い銀髪の声が上擦る。
よく使われる方法だが、毒が毒である事を証明する効果的な方法だ。
茶髪は相手の反応に満足したのだろう。草を元に戻し、袋の口を閉め、自分の懐にある別の袋を銀髪へ向かって放り投げた。銀髪はそれを受け取り、月明かりを頼りに中身を調べる。
「足りない」
「半分だ」
「仕事はこなした筈だ。材料を探すために三日三晩山に篭ったし……この季節、ないものも手に入れたんだ」
どうしても見つからない薬草を手にするため、伝手の伝手の伝手を頼って、少なくない金を支払った。言われた金額を貰わないと、割に合わない。
「これを使う目的が達成したら、残りを渡すと、依頼主が言っていた」
「……本当かよ」
「そのために、わざわざ自筆の念書を書かせたんだろう。抜け目のない奴め」
「仲介のない仕事だ。ちゃんと報酬を得るための常識だろう」
「依頼主は、それがあると困るんだ。払うものは払うさ、それらを消すためにな……」
「ま、信じておく」
全く信じていない口調で銀髪が言う。
「明日、同じ時間にいればいいか?」
「なぜ、明日とわかる」
茶髪が、驚いた声を上げた。銀髪が、にやりと笑う。
「漏れてるぜ……噂、流れている」
「何?」
「明日のパーティで、領主が暗殺されるってな」
そして、今夜を指定した、ギルドも黒の部族も介さない毒薬の依頼である。
「くそ……」
茶髪が毒づく。銀髪の提示した二つの材料があれば、答など簡単に出る。
「成功を祈っている。俺の半金のために、な」
銀髪はそう言って建物の影へと消えた。
まるで、闇夜に溶けるかのように。
月夜に輝く銀髪も、気配も、足跡も、茶髪の男は捉えることは出来なかった。