渓谷の街 5
後ろ髪をひかれながら去っていくヒオリを、ベルドは見送った。
「心配?」
「こういう経験も、必要だとは、思う」
ずっと一緒にいると誓っても、本当に、ずっと一緒にいることが出来ると信じているわけではない。自分たちは、冒険者だ。死が二人を分かつ可能性は、他の誰よりも高い。
「フェイスには懐いていたし。ちょうど良い機会だったんだろう」
それよりも、とベルドはアドルを見る。
「随分ヒオリを心配していたようだが……」
「心配しているように見えた!?」
アドルが驚いてベルドを見上げる。
「え、違うのか?」
てっきり、ヒオリの自分に対する過剰な依存を心配しての言動だった思っていたのだが。
「うーんと…………」
彼は、困ったような、照れたような表情を浮かべる。
「色々私情が絡んでしまったみたいだ。感情的になっていたらしい」
「感情?」
後で謝らないと、と言うアドルに、ベルドは内心で首を傾げた。
こいつ、感情的になると、正論吐くのか?
「ああ、そう言えば」
ベルドは彼に言っておかなくてはいけない事を思い出した。
「服、助かった。さすがにこの中に普段着でいるわけにもいかねーな」
ナタリーも、その点に思い至っていなかった事を考えると、彼らの助言がなければ、ベルド達はもっと肩身の狭い思いをしていただろう。
「フェイスの趣……機転だよ。一応、どういたしまして」
アドルがにやにやと笑いながら、意味深な視線をベルドに向けてきた。
「着飾ったら、可愛さが増したね、ヒオリ」
「…………何が言いたい?」
ヒオリ本人ではなく、ベルドに言うのは何故だ。
「こんなに可愛かったら、目のやりどころに困るだろう?」
「ま、まぁ……」
ニヤニヤと笑みを浮かべながら言われれば、アドルの意図することはわかる。ベルドをからかいたいのだ。
なら、先手を取ってやる。
「そんなことより、なぁ、アドル」
「ん?」
アドルは無邪気な様子で、首をかしげる。おそらく、ベルドが反撃をしてくるなど思ってもいないのだろう。失礼な奴め。俺を舐めるな。
「ヒオリはドレスを着たのに、なんでお前はドレスを着ないんだ?」
言った瞬間、凍りついた。
アドルの周りの空気が。
「――私がドレスを着たら、おかしいだろう?」
凍りついた空気の中で、アドルが穏やかに問いかける。ラクスラーマの静かな湖面から巨大な魔物がゆっくりと姿を現すかのような、静けさと不気味さを持った迫力のある声だ。
「ド、ドレスじゃない方が、おかしいじゃないか」
ベルドは、背筋に冷たい汗が流れているのを自覚する。しかし、口はにやりと笑みの形を作っていた。走り出したら止まり方を知らないのがベルドだ。
それが、破滅の道だとしても。
「……へぇ」
その一言に、もう一筋、冷や汗が流れた。
「そこまで言うなら、着替えようか」
「え?」
ふっと空気が動き出す。魔王登場の瞬間のような圧力が、ふっと弱まった。ベルドは思わず吐息をつく。その間に、アドルはすたすたと城へ向かって歩きだしていた。
ベルドは慌てて彼の後を追った。
着替える? ドレスに? ってことは、やっぱりアドルは『彼女』なのか? ヒオリの見立てが間違っていた?
「おい、アドル」
「この城には、大きいサイズのドレスもあったな……」
追いついたと同時に、アドルがいつもの声で呟いた。恐らく、横に並んだベルドに聞こえる程度の声量で。
「スカート丈は短かったが、純白のドレスだ。なぜか下腹部の辺りからガチョウ? アヒル? 白鳥? の頭が生えていて……」
「アドルさん?」
それは、いったいどんなドレスですか?
ベルドの問いかけに、アドルは足を止めて彼を見上げる。だから、なぜ、ここでこの笑顔、と問いたくなるような、綺麗な笑顔を浮かべて。
「私がドレスじゃないとおかしいのなら、ベルドもドレスじゃないとおかしいじゃないか」
「…………」
「ここには男の中でも規格外に長いベルドでも入る、素敵なドレスがあるんだ。なに、一発芸用だけど心配ない。きっと似合うよ」
「……ごめんなさい」
分かればよろしい、とアドルは胸を張って頷いた。
だめだ、こいつら。恐ろしすぎる。
青い空と、柔らかに照る太陽のもとにいるのに、冷や汗をかいたベルドは、大きく息を吐く。アドルは飄々とその傍らに立って、会場を見渡していた。
こいつ、本当に男なんだなぁとぼんやり見ていたら、その『彼』に、聞くべきことがあったのを思い出した。
「なぁ、依頼人の事、知っているか?」
「依頼人?」
「領主の娘、ナタリー」
「領主の娘は、知らないな」
「そっか」
彼もこの街の人間ではない。知らなくても仕方がないだろう。この国の人間だからと言って、すべての領土の主とその家族の名前を知ってるわけがない。
「なら、彼女の従兄弟も知らないよな」
「依頼人には、従兄弟がいるのか?」
いるらしい。とベルドは答える。
「なんか、従兄弟に対して思うところがあるっぽくてな……ちょっと気になった」
ベルドは、先ほどのナタリーの事を話す。彼女が出席者を把握していなかった事、従兄弟がそれらについて任されている事。そして、彼女が、彼の事を『愚物』と言った事。
「愚物とは、穏やかじゃない」
「実際に見れば、さらに穏やかじゃないって思うさ。ヒオリが怯えていた」
「それで、その従兄弟が気になった?」
「そうだな……」
父を守ろうとする依頼人に、あれだけの感情を抱かせる男だ。どういうものなのか、気になる。
「なら、会ってみるのも手だよね」
「ちょっと待て!」
まだ場内にいるはずだ、と城に向かって歩き出したアドルを、ベルドは慌てて止めた。
「依頼人に、不審がられるな、と言われているんだ」
「不審に思われなければいいんだろう?」
それはそうだが。
「城に乗り込んでご対面は、怪しいだろう、どう考えてもっ!」
「…………そうだね」
アドルは、しばらく何かを吟味するかのように沈黙してから、頷く。
「でも、城には入りたい」
「なんでだよ。危険だろう」
客が皆、中庭にいる中、城内を見覚えのないものがふらついていたら、不審以外の何者でもない。
「気になる情報を手に入れた」
「いつだ?」
「今朝」
言ってみろ、とベルドは促す。
「ギルドを通さない依頼を請けた者がいる。内容は、指定する薬草を入手する事」
そしてアドルは、その草花の名を挙げる。ベルドは絶句した。
「なんだよ……それ」
それらは、たしかに薬草だった。だが、扱いが難しい薬草だ。製法を間違えれば、毒になる。特に問題なのは、その組み合わせだ。それらの薬草は、混ぜて練り合わせるだけで、強力で残忍な毒薬となる。触れば皮膚は焼け爛れ、口にすれば血を履いて悶絶した挙句死に至る。入手が困難な薬草も含まれるため、めったに作られることは無いが、知る者の間では有名な毒だ。
「その取引が行われたのが、昨夜」
「……口止め料払ってなかったのかよ、依頼元」
ギルドを介さない、胡散臭さ満載の仕事なのに、部外者のアドルに漏れるとは、口が軽すぎる。
「貰えるはずの報酬が、半額しかもらえなかったんだって」
「あー……そりゃ、しょうがないな」
それだけで、ベルドは納得した。
口止め料どころか、報酬すら約束通り払っていなかったのなら、しょうがない。ギルドを通さない仕事でそんなことをする依頼主が、悪い。
「依頼の物を使って目的を達成できたら、残金を渡すと、さ」
「それ、渡す気ないだろう」
のこのこ残金を受け取りに行けば、口封じに殺される典型例だ。
「そうだね。口も軽くはなるよね」
アドルも同意した。
「で、その受け渡しが、今夜。と、いう情報だ」
「今夜?」
「そう」
「って……つまりソレは今日使われる、と?」
ここまで来て、答えが出ない方がおかしい。
「誰だよ……そいつとっ捕まえればいいじゃねーか」
「やり取りは代理人を通じて行われた。依頼人の情報は得られなかったらしい」
あちゃぁと、ベルドは天を仰ぐ。
「間抜けな冒険者だな。依頼人くらい把握しておけよ」
言い掛かりだとわかっているが、言わずにはいられなかった。
取引さえできれば、依頼人の正体など知る必要はないのだ。いや、むしろ、敢えて知らないようにすることもある。仕事の外で面倒に巻き込まれないようにするためにだ。今回のように、集めた草を使って人を殺したときに、責任を取られないようにするために。
「そうだね」
完全に自分勝手な意見だったが、アドルは同意した。しみじみと、深く何度も頷きすらする。
「能力はあるんだけどね……とにかく間抜けなんだよ」
「それは言い過ぎだと思うが」
だが、請けた冒険者が、依頼人の情報を得ることが出来ていたら、この件も一気に解決へと進んだ可能性が高かったのだ。言いたくなる気持ちも、わかる。
犯人につながる情報はなかったが、アドルが提供してくれた情報が重要なのは確かだ。
ナタリーの言っていた暗殺の計画が存在する可能性が高くなった。そして、その方法がほぼ明らかになっている。毒殺だ。それに使われる毒物を考えれば、おそらく料理か飲み物に入れるはずだ。
「でも、この方法って無差別テロだよね」
「だよなぁ……」
「あの領主、こういう時に必ず使う盃とか、持っている人だっけ?」
「知るか」
だが、そういう食器があるのならば、領主だけを狙うのは容易だろう。
二人は、さりげなく城の方へと向かう。厨房ならベルド達が来た方向だ。あまり人目を引くところにないから、領主やその息子に会いに行くよりは危険ではない。
「ナタリーに言って、パーティを中止にすべきかもしれないな。無差別だった場合、阻止できなかった時の犠牲が多すぎる」
「そうかな?」
アドルはベルドとは意見が違うようだ。
「厨房にモノがあれば、むしろ中止しない方がいいだろうね」
「良いのか?」
「危険物を取り除いた状態でそのまま事を進めれば、犯人を炙り出せる。もしかしたら、犯人の本当の目的は、パーティを中止させることかもしれないし」
「暗殺じゃなくて?」
目から鱗だ。だが、一理ある。
「さっきの依頼に口止めしなかったのも、ナタリーに計画が漏れたのも、納得がいくな……」
だが、犯人の意図がどちらだろうと、方法がわかっていれば、対処は簡単だ。
そして、犯人がこの会場にいるのであれば、不審な動きを見せるはずだ。
「ただ、厨房もグルかもしれないから、見つからないように行くぞ」
「……料理人は、城の料理人じゃない?」
知るか。
ベルドは、料理人どころか、領主の顔すら知らないのだ。
厨房とその周囲は、相変わらず騒々しい。先程よりも慌ただしくなっているくらいだ。
ひっきりなしに出入りしている使用人を物陰で眺めながら、ベルドとアドルは顔を見合わせた。
「さて、どうするか」
これでは近づくことも出来ない。
「ベルド、観察眼に自信は?」
「あ?」
アドルの質問の意図が掴めず、ベルドは怪訝な表情を浮かべた。
「近づく方法は、無くはない。だが、恐らく入れても入り口までだし、長居は無理だろう。その間に、目的のものを見つけ出せるか?」
「そういう事なら、それなりに」
アドルの言いたいことを理解して、ベルドは頷く。
眼は悪くない。アドルが求めるような意味でも。何故なら、ベルドの十八番である迷宮探索では、それこそが必要な能力だからだ。
「なんなら、見取り図も書いてやろうか?」
「頼もしいな」
調子に乗って言ったら、あっさりと任されてしまった。
なんか、拍子抜けだ。
アドルの言った近づく方法は、恐ろしいほど大胆だった。
彼は堂々と廊下を歩き、真正面から厨房に入ったのだ。
「え、な、なんだ?」
ベルドも驚いたが、もっと驚いていたのは、厨房にいる料理人達だった。一瞬、厨房がパニックになったほどに。
そこまで、闖入者を想定していないものなのか?
「飲み物貰いに来たんだけど……」
アドルも少々面食らった様子で、この場に現れた口実を言う。いつもより、幾分幼い口調だ。
「飲み物なら、中庭にありませんでしたかね?」
出てきてアドルに対応したのは、がっちりとした体格の男だった。純白のコック帽と服装から、料理人だと推測できるが、その風貌は、料理人というより、冒険者だ。
「あったよ」
「なら、それを飲んでくだせえ」
そして、えらくぞんざいな態度だ。男装の令嬢にしか見えないアドルにその態度は、貴族の使用人として、どうなのだろう。
「だって、全部アルコールなんだよ。私は下戸なんだ。なにか、無いかな」
対するアドルは、使用人に物事を頼む事を当然と考える、貴族の御曹司のような態度だ。貴族にいい印象を持っていない者にとっては、イラッとするような。
うまく化けている。
「分かりました。持っていきますから、中庭で待っていてくだせぇ」
「そこまでしなくてもいいよ。冷たいお茶でいいからさ」
「とんでもない! ここまで来てもらっただけでも、主人に怒られるのに、飲み物を運ばせたりしたら、クビになっちまう」
「でも、飲み物を十分に用意できないくらい、忙しいんだろう? 気にしなくていいよ」
「いいから! さっさと出ていってくれ!」
男は懇願なのか脅迫なのか判断に困る調子でアドルに叫ぶ。アドルは聞き分けのない子供のように、頬をふくらませ、えーと唸って、こちらに視線を向けた。彼の視線の意味を理解して、ベルドは軽く頷く。
「わかった。貴方がたの顔を立てて、中庭で待つことにするよ」
「さっさとそうしてくださいよ……」
恩着せがましいガキだ、と呟かれた言葉は、アドルに聞こえたのだろうか。アドルは何も言わずに、踵を返した。
厨房から聞こえてきた安堵の息を背に去っていくアドルを、ベルドは慌てて追った。
青空のもとに出て、中庭の片隅まで行ったところで、アドルは足を止めた。大きな木の下で、影になって暗いが涼しい。
「化けたな」
「本当は、貴族の従者あたりが自然だったんだけどね。この服だと、無理だ」
アドルは自分の服を摘まむ。
そう言われても、この国の、貴族の坊ちゃんの服と従者の服の違いなど、ベルドにはわからない。ふーん、と適当に相槌を打った。
「で、あった?」
アドルが上目遣いで尋ねる。ベルドは頷いた。
厨房の入口に立ち塞がった男は、平均的な身長だった。だが、年齢以上に幼い態度をとったアドルに対応する為、背を屈めていた。アドルと視線の高さを合わせるためだ。おかげで、平均身長より高いベルドは、二人の頭越しに厨房の様子がよく見えた。
「真ん中の大机、そこ無防備に藍染の袋が置いてあった。」
それは、通気性を確保するためか、目の粗い布地の袋だった。粗い目の隙間から、中身が見えた。数種の草が入っていた。
「だが、あれは……」
「あの袋の行き先が、ここだとわかれば良い」
「いや、そうだが……アドルお前」
「他に怪しいものあったか?」
ベルドの言葉を遮るように、アドルは問いを重ねる。こいつはベルドが見たものを知っている。男の身体で、完全に視界を遮られていたはずなのに。
「怪しい『モノ』はなかったけど、怪しい『モノ』だらけだっただろ」
言えば、確かに、とアドルは笑った。
「私の対応をした男も、それっぽくなかったな……あんな対応されたら、無駄なプライドしかないタイプの坊ちゃんは怒るよ」
「いや、対応もそうだけど、それ以前に……」
「厨房で全部片が付くと、楽でいいね」
アドルは、明るい口調で能天気に言う。確かにその通りだったから、そうだな、と返した。
中庭には、だいぶ人が集まっていた。ベルドはその中から小さなヒオリの姿を探す。彼女は小さいが、ベルドが彼女を見失うことなど、ありえない。すぐに見つけることが出来た彼女は、綺麗に着飾った中年女性と、頭を突き合わすような形で談笑していた。
「気になる?」
アドルがニヤニヤと見上げてくる。
「そりゃ、気になるさ」
「あの婦人達に気に入られたのなら、噂話は簡単に集まりそうだ」
「知っているのか?」
「この谷の領主夫人達だ」
この国で領主と言えば、貴族だ。だから、一際綺麗なドレスを着ているのか。
ヒオリが更に心配になった。
「彼女達は優しいよ。安心していい。下手に割って入ったほうが、大変な目に……あれ?」
アドルは、ヒオリ達の居る場所の先を見て、口を止めた。
「どうした?」
「ヴィクトル殿と、フロラン殿がいる……」
「ヴィクトルって、領主の?」
ヒオリ達の先に、枯色の髪の男が二人と、半白髪の男、そして空色の髪の美女と浅黄色の髪の大柄な女性がいる。枯色の髪の二人と大柄な女性が、残りの二人を出迎えているようだ。若い方の枯色の男が引いた椅子に、美女が優雅に座る。中年の枯色が、半白髪の男へ席を勧めた。噴水前にある四角いテーブルの正面にある一番豪華な花が飾られた丸机だ。
「貧相な中年が、ヴィクトル殿。同じ髪の色の青年が、フロラン殿。大柄で静かな女性がフロラン殿の許嫁。椅子に座った二人は、ヴェスピエ家の夫妻――あぁ、出迎えのために現れたのか」
「ヴェスピエ家?」
「この谷の貴族達を束ねる上級領主だ。爵位は、伯爵」
「良く知っているな」
普通、冒険者は貴族の名前など知らない。良く冒険者を利用する貴族以外は。
「フロラン殿は、ヴィクトル殿の弟の息子さんでね、弟夫婦が早くに亡くなったから、引き取ったんだ」
「へぇ……え!?」
領主の弟の息子? つまり、領主の甥……って、つまり、それは。
「因みにローゼは、ヴィクトル殿が後見している、前領主の娘」
「はぁ!?」
「……噂の娘はいないね?」
「た、確かにいないが」
「どうしてだろう」
アドルの疑問はもっともだ。領主の甥と被保護者がいるのに、実の娘が出てこないのは、おかしい。しかしそれ以前に、一気に登場した重要人物達によって、ベルドの頭は飽和しきっている。つうか、ナタリーの従兄弟を知らないといったアドルが、なぜ、領主の甥を認識できる?
「ナタリーの従兄弟は知らない。私は領主に娘がいる事を知らなかったんだから」
この屁理屈を、ベルドは知っている。
――依頼人のナタリー。自称、領主の娘。
――だって、アタシはアンタの事知らないからね。
バイト事務員の、奇妙な言い回し。それを思い出した。
「でも、領主の甥は知っているよ。この街は初めてじゃないからね」
それは詭弁か、慎重論か?
「挨拶しておこう」
アドルは、貴族の群れの中に躊躇なく突っ込んでいく。混乱していたベルドは、彼を慌てて追うしかできなかった。
男爵様とか伯爵様とかのいる一角へ、何の気負いもなく近づくアドルの後を、追いかける。彼らの接近に気付いたのは、ティリア領主ヴィクトルだった。
「アドル君」
彼は、貧相な顔に親愛の笑みを浮かべて、アドルを迎える。彼の背後に常にいる、甥と許嫁も、アドルの登場に顔を綻ばせた。
「…………は?」
ベルドは度肝を抜かれた。アドルが領主の名前と顔を知っているのはわかる。彼は有名人だ。だがまさか、領主がアドルの名を知っているとは。
しかも、向こうから話しかけて来なかったか、今。
「こんにちは。お誕生日、おめでとうございます」
アドルが、上品に一礼する。
「来てくれたのですね」
「手紙が、私たちの元に届いて幸運でした。ちょうど、聖都にいたのですよ」
「それは良かった」
ヴィクトルは、眉を下げて微笑む。
彼らは顔見知りなんてものではない。アドルはこの貴族一家に十分以上の信頼を得ているようだ。
ならなぜ、ナタリー知らない?
また、変な屁理屈で情報を出し惜しみしているのか、それとも、ナタリーが嘘なのか。両者事実なのか。
ベルドは目を細めて警戒態勢を取る。
これは、自分の失態だ。胡乱な二人組だと言っておきながら、アドル達自身を調べようとしなかった。なぜだ? 有益な情報を提供してくれたからか? 自分と同年代の冒険者に出し抜かれることなどないと、慢心したか?
ギルドの事務員が、忠告してくれたというのに。
只より高い物は無い、と。
「アドル? アドルと言ったか?」
彼らの横で話を聞いていた、伯爵が声を上げた。
「アドルとは、グラウス家の?」
「お初にお目にかかります、フィルマン様」
アドルはフィルマン伯爵へと体を向け、優雅な礼をした。伯爵夫妻は、慌てたように立ち上がり、深く頭を下げた。
「…………へ?」
間抜けな声が出てしまった。身分としては上から数えた方が早い伯爵様が、アドルを見て血相を変え、遜っている。
「まさか、貴方が、こんなところにいらっしゃるとは」
「畏まらないでください」
アドルが、困惑顔を浮かべる。浮かべているが、驚いているわけではない。そうされるのが分かっていたから、困っている、と言った様子だ。
……本当に何者なんだ、こいつは。
「私は、グラウス家の人間としてきたわけじゃありません。私の名を知っているという事は、私の立場も、ご存知でしょう?」
「しかし……」
「一介の冒険者です」
「わかりました」
フィルマンはそう言って、再び席に着いた。
伯爵夫人も彼に倣って席に着く。おそらく30も半ばになるだろうが、恐ろしく魅力的な女性だ。ぼけっと見ていたら、夫人と目があった。黄緑色の瞳に引き込まれそうな力がある。ベルドは必死になってヒオリの姿を思い浮かべた。本当は彼女を探したかったが、あいにく死角にいるようだ。
人間の中には、その存在だけで異性を引き付ける、魔物のような人がいる。本人にその気が無くても勝手に人は彼らに惚れ、そして破滅していくのだ。彼女は、そのタイプの人間なのだろう。
彼女はいったい、何人の男を破滅させたのだろうか……
「フィルマン様、アンリエト様」
ヴィクトルがアドルの横に立ち一礼する。
「それでは、わたくしどもはこれで……」
「あぁ、ありがとう」
「田舎の小さなパーティで、至らないことも多いでしょうが、楽しんでいただければ光栄です」
「いや、良い気持ちだ。少なくとも、以前までここで開かれていたパーティよりも、何倍も心地よい」
「そう言ってくださると、ありがたいです」
ヴィクトルは、まっすぐ姿勢を伸ばしたまま一礼すると、彼らを後にした。つき従う二人も彼の後に着く。
そして、アドルも伯爵夫妻に一礼して、彼らに付いて行った。
当然の様に。
「アドル」
先ほどとは違う、立派な城の扉を越えたところで、領主一同は立ち止まった。フェイスくらいの身長しかない青年が、くるりと振り返り、アドルの名を呼ぶ。
「フロラン殿」
「『殿』はやめてよ。あのときの様に呼んでくれればいいから」
「でも、男爵様の後継者じゃないか」
「僕が後継なのは建前だよ。知っているだろう?」
アドルが苦笑を浮かべる。ひどく打ち解けた様子だ。
「ローゼも、元気そうだね」
「お陰様で。幸せです、今は」
「幸せ?」
ベルドは思わず口を出してしまった。
だって、彼女は放逐された前領主の娘だ。前領主の立場からしたら、ヴィクトルは簒奪者でしかない。
確かに、街の噂でも、ヴィクトルに保護されて幸せそうだと語られていた。だが、それに対してベルドは疑っていた。物語だから、領主の良いように歌われるのは当然で、実際はそんな単純な話ではないだろう、と。
「おや、今日くっついているのは、エドじゃないんだ」
フロランが、ベルドに初めて気づいた、といった表情を浮かべた。今まで、アドルの連れだと認識していなかったのかもしれない。
実際、この場にベルドが居てもいいのか、彼自身が疑問に思っていたところだ。
「ベルドです」
不審に思われない様に、アドルをまねて一礼する。彼ほど洗練された動きはできないが、失礼なことにはなっていないだろう。ただ、参加者を把握している主催に名乗るのには、覚悟が必要だった。ベルドの名は参加者のリストに入っていない。不審者として追い出されるだろう。だが、名乗らないのも不自然だ。
「まぁ、エドとそう変わらないだろう。エドを上からちょっと叩き潰したら、こんな感じだ」
「……それはちょっと、二人に失礼なのでは」
ローゼが、控えめに指摘する。『エド』が誰だか知らないが、確かに失礼だ。
「アドルの付き添いですか」
穏やかな声で、ヴィクトルが尋ねる。ベルドはあいまいに頷いた。
「ご苦労様です」
労われてしまった。
「わたしに『幸せか』と聞くという事は、わたしの素性をご存知だという事ですね」
ローゼが、自ら会話を元に戻した。ベルドは、まぁ、と答える。知ったのは、今さっきだが。
「幸せです」
緑がかった金の瞳をまっすぐ向けて、背の高い女性はベルドにはっきりと答える。
「父の愚行に心を痛める必要も、それを止めることが出来ない自分のふがいなさを呪う必要もないのですから」
「あんたは、父を止めたかったんだ」
「私には止めれませんでしたが」
彼女は、昏く笑う。
「止めたのは、ヴィクトルさんの覚悟と、フロランの勇気。そして、アドルさんたちの助力です」
ローゼは、フロランに向かってはにかむ様な笑みを浮かべる。フロランも、目じりを垂らして彼女を見上げた。
その光景は、見たことはないが、よく知っているものだった。自分とヒオリのそれとよく似ているのだ。つまり、彼らはそういう事なのだろう。事件の真相は、街で聞いた物語よりももっとロマンチックなのかもしれない。
この大人しい女性が、二重人格だったり、芸人も裸足で逃げ出すような演技力持っていない限り、暗殺犯という事はなさそうだ。候補が、一人消える。
「……じゃなくてっ!」
それは、それで構わない。それよりも、気になったことがあった。
「アドルの、助力?」
「ええ」
ローゼが頷く。
「だから、今日のパーティに呼んだんじゃないか」
フロランが当然の様に言う。
知らない。
伝手があるから入れるとは言っていたが、その『伝手』が領主その人だなんて、聞いていない。
「どういうことだ、アドル」
低い声で、ベルドはアドルに問い掛ける。目の前にアドル以外の者も居るが、関係ない。もう十分耐えた。
「お前、知らないっていただろう! 全然そうじゃないじゃないか!?」
ナタリー領主の娘か否かの問題ではない。暗殺の対象である領主の話だ。知っているのであれば、なぜ予め言わない。
「ベルド、君は私達に、一度でも領主を知っているかと聞いたことはあったか?」
アドルは悪ぶれる事もなく、逆に聞き返してきた。
「う……そう言えば」
迂闊にも、聞いていなかった気がする。
でも、なぜ自ら言わない。参加者リストや、不穏な依頼の話は、彼から言ってきたのに。
「……諦めなさい。アドルはそういう子ですよ」
ヴィクトルが、同情の眼差しをベルドへと向けた。