勇者と40人の盗賊 4
聖都ヴァスクアは、カルーラ聖王国を縦断するアウラ川下流にある。
下流と言っても、川の水は、海に流れ出るわけではない。カルーラにある川は、フラビス王国との国境を流れるピディス河を除いて、全て大陸中央の湖、ラクスラーマへ流れ込む。ラクスラーマにある水は、カルーラ聖王国と東のフラビス王国との国境を流れるピディス河と、西のビリディス帝国を流れる二つの大河からアークス大陸の外へと流れ出ていた。
ラクスラーマへ流れ込む川の中で最も大きなアウラ川は、下流で二つに分かれていた。西側の川にはカムール大神殿があり、東側の川沿いに王城がある。聖都は、この二つの川に囲まれた三角州の中に、王城と大神殿に挟まれるようにしてあった。
都と同名のヴァスクア城は、カルーラの建物には珍しく、頑丈な石造りだ。背の低い建物は、半分がラクスラーマにはみ出していた。聖都を挟んで反対側にあるカムール神殿とは、左右対称の、同じ外観をしているのが、特徴だ。
この二つの建物は、大陸に4つの国ができる遥か前から存在している。歴史を語る吟遊詩人は、この建物は神々が住んでいたと謳う。そう言われる建物は、カルーラの王城と神殿の外に、あと、4つあった。ビリディス城、フラビス王城、オストルムの殆どを占めるアーディン砂漠の中心にある神殿、そして、魔王に奪われた、ラクスラーマの中にそびえ立つカリーゴ島の神殿だ。
左右対称の城と神殿は、不自然ではない程度の青色をしていた。なので、人々は水の城、空の神殿と呼ぶ。他の国にある城や神殿も、それぞれ、緑、黄、赤の色だと言われている。カリーゴ島の神殿は「白の神殿」と建国の物語に出ているから、その色なのであろう。そう考えると、青だけ建物が二つあるのは不自然である。恐らく「水の城」と「空の神殿」二つで一つの建物「青の城」なのだろう。「青の双子城」と呼ぶ者もいる。
「アドルフィーネ様」
水の城ヴァスクアのテラスでぼんやりとラクスラーマを眺めていた人物は、名前を呼ばれて振り返った。15歳前後の若者だ。独り立ちするには幼いが、分別がつくには十分な年である。春の空を思い出させる柔らかな青の髪は短いが、湖の深さを感じる大きな青い瞳を持つ面差しは、可憐という言葉が似合う。一見少女のように見えるが、硬質な雰囲気が少年のようにも見えた。
「陛下がお待ちです」
「はい。参ります」
返事をする声も、女性にしては低く、男性にしては高い。
湖に浮かぶ白きカルーゴ島を一瞥して、アドルフィーネと呼ばれた者は、自分を呼んだ城の召使の後を追った。
「よく来た、アドルフィーネ」
アドルフィーネは慣れた様子で玉間に入り、王の前で膝を折る。すぐに顔を上げて楽にせよと声をかけられ、顔を上げた。
「アドル、お主に頼みたいことがある」
アドルフィーネ――アドルは数回瞬きをした。両目に宿した静かな水に光が灯る。少女のような顔立ちに、少年らしい活発さが宿った。
「『私』に用事があるということは、件の盗賊の件ですか?」
「話が早くていいな、アドルは」
アドルの父親くらいの年齢であるカルーラ聖王リヒャルトは、嬉しそうに頷いた。アドルよりも濃い空色の髪と紺色の瞳をもつ彼は、『アドル』の伯父だった。アドルの髪と瞳が青で統一されているのは、聖王の血が濃いからだ。父が、王の弟にあたる。
アドルは王の甥だが、ある理由により王位継承権は持っていない。同様に、父が持っていた爵位も継いでいない。それゆえ、王族としての義務からも殆ど解放されていた。王城にいる必要もなく、そもそも居ることを好まないアドルは、まだ15歳という幼さで、冒険者と言う浮浪者ギリギリの仕事をしている。
王は、甥のそんな行動を制限せず、自ら利用していた。今回も、冒険者である甥に協力を求めるために、王城へ呼び出したのだ。
彼は伯父から呼び出された時、『冒険者アドル』に対する用件だろうと、予想していた。どうやら、それは正しかったらしい。その用件とやらも、容易に推測ができた。
件の盗賊とは、ある、巨大な盗賊団のことだ。
国民を守る優秀な兵士たちと冒険者によって、昨年、巨大な盗賊団が捕らえられた。その作戦は見事なもので、盗賊たちは一網打尽と言っても良かった。残念ながら、盗賊団の首脳部までを捕らえることはできなかったが、彼らがその後、大きく動いたと言う話は聞かないから、それなりの効果があったのだろう。
アドルもこの作戦に参加していた。作戦の立案者は、王女の戦略・戦術の師で、その作戦の見事さに、素晴らしい芸術作品を観た時の様な感動を覚えたものだ。
「どこまで、知っている?」
王は最初に、目の前の冒険者がどこまで情報を得ているか、確認した。
「例の盗賊団が、全員逃げ出した、と」
「兵士の中に、奴らの仲間がいたようだ――そうとしか考えられん」
「そもそも、牢屋ですらなかったじゃないですか」
アドルは、遠慮せずにあきれた声をあげる。
捕らえられた盗賊は、王城の地下にある地下室の一部に閉じ込められた。そこは牢屋ではなかったが、牢屋よりも頑強にかつ複雑に出来た、古代の遺跡だった。捕えた盗賊たちの数があまりに多かったので、牢屋には入りきらなかったのだ。
「放置、していましたね」
「……う」
王の視線が、逸れた。
「牢屋ではないから、後日、ちゃんと用意したほうがいいと、申し上げたと思いますが」
「う……あ……」
「師が、ここから先はお願いします、と言って、彼らを引き渡しましたよね」
「……あ、あぁ」
怒りを込めた溜息を吐いたアドルは、肩を怒らせて、王を睨みつけた。威厳のあるはずの王が、甥に叱られ小さくなる。
その状態で、玉間の時が止まった。
周りに控えている者たちも、息をひそめて、二人を見守る。
「……ふっ」
沈黙の中、鋭い空気の音が響いた。
「ぷっ……くっくっくっく」
「ははははは!!」
耐えきれない、といった様子で笑いだしたのは、さっきまで睨んでいたアドルと、しょんぼりとしていたリヒャルトである。アドルは腹を抱えて、リヒャルトは天を仰いで爆笑し始めた。
展開について行けない、宰相以下、玉間にいる者達は呆然と高貴な青い二人を見つめるしかなかった。
「面白いほど、作戦通りだな!」
「内通者は、やはり、あの三人?」
「そうだ、あやつら、泳がされているとも知らんで、間抜けすぎる」
ここまで聞いて、側近たちは事情を理解する。可哀想に、牢の監視役は、怒られ損だ。そういえば、失態の割に王が下した罰が軽かった事を、彼らは思い出す。
これは、二人の作戦だった。
昨年の大捕物で、国が頭を痛めていた盗賊団は活動不能になる程度の痛手を負った。しかし、所詮は枝葉。根が生きていれば、また、枝は生えてくる。
何より痛かったのは、奴らのアジトを見つけだす事が出来なかった事だ。彼らは、物を盗む事よりも、遙かに重大な罪を犯している疑いがある。だが、それを見つけるには、住処と、彼らの協力者を見つけなくてはいけなかった。
そのために、1年経った今、策を実行した。あえて、盗賊たちを逃がし、その行く先を見つける。
ただ、逃がすだけではない。当然、再び網にかかるように、罠を張って、だ。
「逃走経路は?」
ようやく二人の間に溢れていた笑いは、鎮静化した。側近たちの視線が痛かったからではない。話を進めるためだ。
「潜伏先は?」
「判明した。隠密が、奴らの逃走をつけたからな」
隠密は、王に使える軽業師と言っても、大きく間違ってはいないだろう。彼らは様々な特殊技術を持っていた。その種類は人によるが、少なくとも盗賊が必要とする種類の知識は持ち合わせている。尾行の類いは十八番と言っても良いだろう。
「町に出てからバラバラになったが、隠密が追った奴らは、皆同じ場所へと帰って行ったぞ」
「どこだったのです?」
「それがな……」
王の示した場所を聞いて、アドルは唖然とする。
「それは……絶対来ますね」
「あれをみて、あの場所にアジトがあって、来ない理由がないな」
王は苦笑する。これは、幸運と言っても良いだろう。
「手つかずで?」
「目の前のものに目を奪われ、目的を忘れるような馬鹿ではなかったようだ」
「そんな間抜けが、大盗賊団になるのなら、この国の治安の方が不安です」
当然そんなことはない。つまり、結果的に捕らえられたとは言え、彼等は盗賊として、決して間抜けで無能だった訳ではないのだ。
だが、彼らはあの光景を忘れられないはずだ。
優秀な盗賊こそ、あれは魅力的であろう。
「今頃、計画を立てているころでしょうか?」
二人は顔を見合わせた。アドルが、にやりと笑う。伯父も同じ表情を浮かべた。
「予定通り、そちらはお前の手で、一網打尽にしろ。手段は問わぬ」
王は態度を改め、威厳のある口調で冒険者へ命じる。
「了解しました」
冒険者は、芝居がかった仕草で頭を下げた。
「もう一方の件は、打ち合わせ通り、こちら側から攻める。シリィ殿によろしくな。貴公の情報なくして、この作戦は行えなかった。感謝する、と」
「はい」
頭を上げたアドルは、嬉しそうに笑った。アドルの仲間であるシリィが、彼女の人脈を使って、彼らの『もうひとつの重大な罪』の証拠と共犯者を調べ出したのである。
共犯者は、冒険者が捕まえる事の出来ない存在だ。だから、国が出る。反対に、盗賊団のような荒くれ者は、同類とも言える冒険者が対応するのが手っ取り早かった。
二人は、それぞれの立場から、一つの事件を解決するために、包囲網を作る。それが、この伯父と甥の――王と冒険者の良好な関係なのだ。
「では、これで」
「アドル」
退出しようと腰を上げたアドルを、王は呼び止めた。
「フィーネに会っていかぬのか?」
「…………」
アドルは立ち止まって、しばらく黙り込む。
数秒後、穏やかな口調で、そうですね。と答えた。
今年の冬は、早く来そうだ。
エドは、落ちてきそうな灰色の空を見上げて、大きく息を吐く。口から吐き出された白い塊が、曇天へと上り、空へ至る前に消えた。この天気、この寒さ。降霜どころか、今日は初雪が降るかもしれない。
暦は霜降り始める霜降となった。冒険者パーティ『勇者の四重奏』全員で行う、大規模な遺跡探索を開始する日だ。
住処となっている遺跡から、最も近い入り口から入るエド達は、日が昇ってから遺跡へ出発した。住処にいる冒険者は、リーダーのウーヴェとその片腕だけとなる。暦どおり、うっすらと地面や草木が白くなっていた。
「雨、降らなくて良かったですね」
隣を歩くフェイスが、白い息とともにエドへ語りかけた。山道を歩いてだいぶ経つが、一向に暖かくなる気配はないのは、天気が悪いからだ。
「北の山は雪かもな……やな天気だ」
降りそうで降らない天気は、なんだか煮えきらなくて好きじゃない。いっその事、大雨でも降ればすっきりするのではないかと思う。一方、フェイスはそうでもないらしい。そうですか? と、同意しかねる様子で首をかしげた。
「雨が降らないなんて、運が良いんです」
もしや、と言う視線をエドはフェイスに向ける。二人の声は小さくて、前を進むマテーウス達には聞こえていないが、一連の会話を彼らが聞いても、エドと同じ疑惑を持つだろう。
「雨女?」
「…………結構」
結構って、どういう答えだ?
口を開きかけたが、大きな瞳を潤ませて、申し訳なさそうな表情を浮かべていたから、エドは言葉を飲み込む。代わりにゴホンと咳を吐きだした。
「まぁ、雨女ってのは、学術的に証明された話でもないし……責めるのもおかしい」
「慰めていただき、ありがとうございます」
律義な人である。
エドが何と返せばいいのかと迷い、言葉を失った時、前を歩いていたマテーウス達が立ち止まった。
「ここだ」
班長が指し示し、ナータンとソールが藪をかき分ける。乱暴に引きちぎられた草木の間から、闇が見えた。
「突入は正午――って、太陽見えねぇよ!」
マテーウスが舌打ちする。この手の職にある人間は、太陽の位置と季節から時間を割り出すのが一般的だ。
「あと、四半刻だ」
エドは無愛想に答えた。
「わかるのか?」
驚いて顔をあげたのは、ナータン。エドは、まぁ、大体。と答える。根拠を問われても、体内時計だとしか答えようがない。だが、その体内時計に、エドはかなり自信を持っていた。幼少時から鍛えて得た、誰かに言わせれば「悲しい」技術の一つである。だからこそ、自信がある。
ナータンなどは、素直にすげぇと称賛したが、当然のようにマテーウスは根拠を聞いてきた。エドの答えに、信頼すべきか少し考えた後、他の目安もないしな、と呟く。信頼ではなく、選択肢がないから、という理由が、エドは少しさみしい。
「どうせ、他の奴らも時間を知るすべはないだろうしな。ま、適当に四半刻待って、出立するか」
「結構、いい加減なんだな」
エドが呆れると、それは臨機応変って言うんだよ、と笑って、マテーウスは少年の頭を軽く叩いた。
「お前、お固いよなぁ」
「……そうか?」
エドはマテーウスの手を払いのけながら、首をかしげる。決して柔軟な性質ではないと思っているが、固いと言われるほど、頭が固いとは思っていない。ただ、守るべき事をきちんと守らないと、作戦と言うのは意味がないと考えているだけで。
「自覚ないのか? なぁ、そう思うだろう、フェイスちゃん」
マテーウスは何を思ったか、フェイスへ話を振った。フェイスは、相変わらず何も知らないような笑顔で、彼らのやり取りを見ている。
「はい。エドはとても面白いです」
「…………」
女性の発想は、たまに、全く理解できなくなる。
マテーウスとエドは、思わず顔を見合わせてしまった。
四半刻後。
マテーウスの、いくぞと言う声で、一同は闇の中へと足を踏み入れた。呪文の心得があるアヒムが、明かりを呼び寄せる。
「え?」
エドは違和感を覚えて首をかしげた。
「入り口は調査済みだからか?」
「どうしたのですか?」
「……行くぞ」
足を止めたエドに気づいたフェイスが振り返った。殿を務めるソールが、軽く背を押す。
「……ま、いいか」
首を傾げながら、エドは促されるままに遺跡へ足を踏み入れた。
魔法の光に照らされた遺跡内は、しっかりとした石壁だったが、地面は剥き出しの土だった。エドが辺りをじっくり見回す間もなく、マテーウスは先へと進む。しばらくすると、大きな広間に出た。
いや、広間ではない。正面は立派な石壁が見えるが、左右は長い。壁は闇に消えて見えなかった。
「道……」
それは、石畳の広い道だった。アヒムの作った光では届かないくらい、天井も高い。造りはしっかりしていて、長い年月を経た現在でも、崩壊の危険を感じることはできなかった。石壁は、光を受けてほのかに輝いている。よく磨かれた石が使われているようだ。
エド達が入ってきたのは、正面口ではなく、裏口だったようだ。この大通りのどちらが出口へ続き、どちらが奥へ至るのか、目視は愚か、風の流れでも簡単に判断はできない。相当長い道のようだ。遺跡の規模も、相当なものであろう。
どちらへ進むのかと、マテーウスへ視線を向けると、彼は迷う事なく右手へ曲がった。ナータンがマテーウスと並ぶ。アヒムが、彼らのすぐ後ろから、前方を照らした。
「?」
エドは再び首をかしげる。やはり、違和感がある。しかし、彼らはそれをのんびりと考える暇を与えてくれなかった。魔法の光は、エドを待つ事なく、どんどん小さくなって行く。フェイスに促され、エドは慌てて彼らを追う。無言で最後尾のソールがエドたちに付いて来た。
速度を保ったまま、エドは周囲を見渡す。この通りには、等間隔に柱が立っていた。そのそれぞれに、人の型らしい像が彫り込まれている。どんな像なのかは、夜目の効くエドにも、はっきりとはわからなかった。
ただひとつ、分かったことがある。
「ここ、わたくし達の砦に似ていますね」
フェイスの声に、エドは頷いた。広い廊下。等間隔に並ぶ、彫像の柱。両方の壁に、時たま現れる深い闇は、恐らく部屋への入り口だ。扉のようなものもある。この造りは、エドの属する冒険者パーティが根城とする遺跡と、酷く似ている。
「同じ遺跡なのかもしれない」
エドはフェイスに答えた。パーティが使っているのは、遺跡の入り口のみだ。どこへと続くか分からない道は、途中でバリケードによって塞がれている。あの道は、ここへと続くのではないか?
――いや、違う。
エドは首を振った。この道と、住処の遺跡の道は同じ方角へと伸びている。途中で大きく曲がらない限り、ある一カ所へ、それぞれの道が放射状に伸びていると考えた方が、しっくりきた。
「どこへ行くんだろうな」
「それを調べるのが、お仕事なのではないでしょうか?」
「……そのとおりだ」
エドは苦笑し、前へ視線を向けた。相変わらず、マテーウスは確信を得ているかのように、道を進む。
確信?
違和感の正体に気づいた。
どのくらい歩いたのだろうか。という表現をする必要が、エドにはない。エドは、自分の歩幅から正確に距離を図る術を身につけていた。方角も、大体は正確に把握できる。さすがに、ここのような自然物のない場所では、精度が落ちるが、一般人程ではない。
広く、暗い道を一刻ほど歩いている。速度は、街道を歩く程度。初めての遺跡探索にしては、異常に速い。
遺跡は、驚くほど静かだ。石畳は欠けているところはない。硬質な石畳を歩く音が四人分響く。それ以外の音は、皆無と言っても良かった。
ここまで、石畳の道は一本だったが、脇道が全く無かった訳ではない。小部屋への入り口らしき扉も沢山あった。マテーウスはそれらを全く無視して進む。
おかしい。
「班長は下調べを、していたのでしょうか?」
フェイスが首をかしげた。彼女も同じ疑問を持っていたようだ。
「そんな筈ないですよね。初の遺跡調査なんですよね?」
「と、言う話だが……」
「まるで、行く先を知っているみたいです」
「そうだな」
フェイスが、遺跡には行ってからずっと抱いていた違和感の正体を正しく言い表した。
フェイスが疑問に思う通り、道を知らなければ、こういう進み方はできない。マテーウスや、エドのような者なら、尚更だ。
足を踏み入れるのは初めてだが、地図があった、と言うことだろうか? いや、地図があったにしても、それを完璧に信用することはないだろう。普通――エドのような人間にとっての普通だが――地図があるなら、それが正しいか検証しながら進むものだ。
エド達の班長は、猪突猛進、目的地まで脇目もふらず一直線に進むナータンとは違う。エドと同じく、探索などを得手とするタイプだ。彼らは、初めての場所は慎重に進み、かつ、わずかな情報も漏らさず把握したがる。そのマテーウスが、いくつもある――少なくともエドは気になった――枝道を見向きもせず、ナータンと一緒にまっすぐ進んでいる。遺跡に潜んでいるかもしれない危険を探ることもせずに、ひたすら前進する。
しかし、猪突猛進とは違う気がした。そう、それはまるで、通い慣れた道を歩くかのようだ。迷いがなく。歩き方が、何気ない。
「……っと」
考え込んでいたら、ぐい、と無言でソールに背を押された。足が止まっていたらしい。前との距離が、また開いてしまった。前を歩く3人が、遅れたエド達に気付いて立ち止まっている。
「悪い!」
エドの低い声が、闇に響く。
「どうした?」
「色々、横道が気になって……」
駆け寄ったエドにマテーウスへ問いかける。横道よりも、横道を気にしないマテーウスが気になると、馬鹿正直なことはさすがに言わない。
「……あぁ」
班長は改めて遺跡を見回した。闇にも濃さがある。夜目が効くものなら、その差ははっきりと分かるだろう。今見える範囲にも、柱の奥に深い闇がある。ゆるやかに曲がる大通りから逸れるようにして続く道もみえた。先は見えない。闇に沈んでいる。
マテーウスは、その二つを確認してから、肩をすくめた。
「下手な穴をつっついて、寝ている魔物を起こしたら、大変だろう?」
「そうか?」
そもそもここに魔物がいるのか。こんなに静かで、清浄な空気が流れているというのに。
「目的は、遺跡探索じゃないのか?」
彼らがここに来た目的は、遺跡『散策』ではないはずだ。広い道をひたすら歩くだけでは意味が無い気がする。
「…………とりあえず、奥まで行く。そこから出口に向かって、各部屋や道を探索する。それで満足だろ!」
「――っ!」
投げ付けるような言い方に、エドはカチンときた。満足なはずがない。それが分からないはずはないのだ。
「わかりました」
しかし、エドが口を開こうと、息を吸った瞬間、フェイス遮るように、割って入った。
「では、さくさくと奥へ行きましょう」
にこりとほほ笑むフェイスに、そうだな、とマテーウスは答え、再び一行は歩を進める。
「おいっ!」
行きましょうと促すフェイスを、エドは引き留めた。彼女は琥珀色の瞳に落ち着いた光を湛え、彼を見る。
「……行きと帰り、同じ道でも同じではない可能性があるのは分かります」
フェイスが声を潜めた。そっと、彼女はエドの背を押す。不審に思われないように、歩けと言っているのが分かったから、エドは歩きだした。
「班長は――いや、彼らは何かを隠しています」
「その一端が、この行動?」
フェイスは頷いた。
「一部の者にしか教えられていない、別の目的が、この仕事にはあるのかも知れません」
考えられないことではない。別の目的のために、彼らが予めここを調査していたということも、ありえる。それを教えてくれないのは、少し水臭い気がするが。
「隠しているものを暴くのは、もう少し慎重にやりましょう」
「……警戒しているのか?」
春風のようなフェイスの声が、心なしか堅い気がする。エドは腰をかがめ、フェイスを覗き込んだ。琥珀色の瞳が、驚きで大きく見開かれる。
「懸念があるなら、教えてくれ」
彼女は、覗き込んできたエドの瞳を見つめたまま、数回瞬きをした。そして、ふっとエドから視線を外したかと思うと、肩を震わせた。声を立てず、笑っている。
「俺、変なこと言ったか?」
姿勢を正して、エドは首をかしげる。真剣に心配したのに笑われてしまった。だが、それに対して、不思議と腹は立たなかった。笑ってくれて良かったという気持ちが、はるかに大きい。
「すみません……エドがとても呑気だったので」
「呑気って……」
「わかりませんか?」
フェイスがすっと目を細めて前を見る。
「ほぼ、一本道。多少曲がっていますが、ほぼ南へ真っ直ぐ、一刻も進んでいます」
「それは……」
言われなくても、分かる。
この道は、南々東へほぼまっすぐ進んでいた。かなりの坂道を下るかたちで。このまま進むと、間もなくアウラ川だ。道は、アウラ川の下を渡るだろう。
その先にあるもの。それは――
「まさか――!」
ある予想が、頭をよぎった。
長年人に知られていなかったはずの洞窟。
磨かれた壁。欠けることのない石畳。
清浄な空気。魔物のいない空間。
そして、この道の行く先……
エドは、口が渇いているのを感じた。
彼らはそれを、知っているのだろうか? 止めた方が、いいのだろうか?