勇者のための四重唱


勇者と40人の盗賊 5

「なあっ!」

 エドの声が、遺跡内にぐわんぐわんと響いた。前を歩いていた三人が足を止めて振り返る。エドの後ろにぴったりと付いていたソールも足を止めた。

「この先は、やばくないか?」

 黙って見過ごすことができなくて、エドは声を上げた。頭上から微かに音が聞こえてきたからだ。遂に川にまで至ってしまったのだ。

「音が、聞こえる……水の流れる音だ。空気も、湿っている」

 エドが指さす方向を見たのは、フェイスだけだ。残りの四人は、じっとエドを見て、続きを待っている。

「川がある。渡り切ってしまったら『遺跡探索』が『城内進入』になるぞ。危険だ」

 そこにあるのは、人命の危険ではない。社会的な危険だ。

「この先は、王城だ。おそらく、誰も知らなかっただけで、この遺跡は国が管理している。王城の一部だったんだ!」

 だから、遺跡は綺麗だった。魔物はおらず、壁は輝き石畳は揃っている。ここに住まう神がいて、神を祀る住人がいる証拠なのだ。

「戻ろう。そして、深入りする前に皆に知らせよう」

「少年。君は、城が怖いのですか?」

 尋ねてきたのは、アヒムだ。彼はふわふわと先行させていた光の球を、両者の間へと移動させる。光球は向かい合うマテーウス達に、不穏な陰影をつけた。

「そういう問題じゃない」

「何も得ていないのに、しっぽを巻いて、逃げろ、と?」

 険のある声を出したのは、いつも陽気なナータンだった。

「逃げるとは違うだろう? ここの正体が知れただけの話だ」

「……エドの勘違い、と言う事はないのですか?」

「え?」

 さっき、この先にあるものを仄めかしていたのは誰だ?

 エドは、フェイスの質問に驚いて、振り返る――その視界に、大きな腕が見えた。それはエドを目がけて振り下ろされる。迂闊にも気付かなかった。フェイスの言葉に反応しなければ。

 上体を反らすことで、なんとか腕をかわしたエドは、態勢を整えながら叫んだ。

「ソール!?」

 無口な大男が、太い腕を再び振り上げる。彼の動きは、エドにとっては緩慢に見えるが、手加減している訳ではない。本気でエドに襲いかかってきている。当たれば、ひょろ長いエドは吹き飛び、壁へと叩きつけられるであろう。エドは困惑して、周囲を見回した。

「勘違いじゃないだろう?」

「っ!」

 その声に宿る冷たさに、声にならない叫びを上げて、エドは跳び退る。

「君は、優秀だ……本当に」

 灰褐色の瞳に冷酷な光を浮かべ、マテーウスはほほ笑んだ。その横には、今まさに得物を抜こうとしている魔法剣士がいた。

「ただ残念なことに、善良すぎる」

 エドは小さく飛び上がった。エドと地面の間を、足が通り過ぎる。腰を低くしてエドに足払いを試みた男の茶色の瞳には、いつもの陽気さはない。

「……知っていて、やったのか?」

 マテーウスは、口の両端を吊り上げた。肯定の笑みだ。

「俺達の十八番は、お宝探しだ。これは、所有者の有無にこだわらない」

「盗賊!?」

 歴史に打ち捨てられて、忘れられた宝を見つけ、無断で自分の者とする事は、冒険者の中にも、専門とする者がいるくらい、一般的だ。対して、その存在を認められ、誰かの所有物となっている宝を無断で得る者を、盗賊と呼ぶ。彼らはその双方を行っていたのだ。

「……つまり、ここにいる本当の目的は、城にある『何か』を盗む、盗賊としての仕事なんだな?」

「にわかに有名になった冒険者の名を真似て『勇者の四重奏』としてから入った新参者は、知らない。それは結構、良いカモフラージュだった。考えたウーヴェは流石だ」

「盗賊が、本業だった、ということか……」

 ぎりっと歯を噛み締める。

 エドは、盗賊が喉から手が出るほど欲しがる技術を幾つも持っている。だが、決して盗賊になりたかった訳ではない。どんなに飢えていても、盗みだけはしなかった。なけなしの誇りが、許さなかったのだ

 なのに、流されるままに、盗っ人の一味の中にいた……

「知ってしまえば、ここにはいられない。そういう表情だな」

 いつの間にか、仲間だった者達の攻撃は止んでいた。代わりに、逃がさぬようにと前後を塞ぐように、立っている。

「お前の探索能力は買っていたよ。どんなことも、疑問を抱かない無関心さも――本当に、残念だ」

「俺を、どうするつもりだ?」

「夏の出来事を覚えているか?」

「夏?」

 一瞬エドは考えたが、すぐにそれが何を指すのか理解する。

 夏、仲間が一人死んだ。エドはその時を見ていない、仲間の言葉でしか、知らない。

「まさか」

 彼は、エドより先に入ってはいたが、そう時期は変わらないと本人に聞いた。つまり、彼も知らなかった。

「そうだ。お前の洞察力も買っている。なのに、その力をあえて使おうとしない鈍さが、また良い」

 そうだ。

 彼は事故で死んだのではない。なんらかの形で彼らの正体を知り、殺された。

「真実を知って抜けるというなら、逃がす訳には行かない――そうだな」

 この発言。先ほどの不意打ち、そして、知らぬ間に消えた仲間――いやな予感しかしない。エドは翠の瞳を細めて、腰を屈めた。

「ここに永遠にいてもらうことになるだろう」

 ナータンが、素早く剣を抜き放ちながら襲ってきた。ソールが斧を振りかざす。アヒムの光球がはじけた。

「フェイス……」

 エドは残る一人を探す。きっと、正体を知らなかったもう一人。歌を作る冒険者パーティに憧れて、やってきた人。


 ここは、違っていたのだ。

 いつかの夜に、抱いていた不安は的中した。

 歌がないのは当然だ。このパーティは、エドの心を強く打った、フェイスが憧れたパーティではなかったのだから。

 そのパーティの名を理由した、偽物のパーティ。偽物の冒険者だったのだから。

 エドは、自分に対して危機感を抱いてはいなかった。

 ただ、フェイスの心中を思うと、心が痛んだ。

 エド達の、やりとりに、さぞ、絶望するだろう……


 しかし――

 エドの視界に、金色の髪が入る。フェイスは、絶望に打ちのめされてはいなかった。彼女は静かな表情を浮かべて、後方に佇んでいる。動揺することも、彼らを止める素振りも、エドを助ける気配もない。

 大きな琥珀色の瞳は、静かに様子を眺めているだけだった。

「くっ……」

 なんでこんなに悲しいのだろう。

 エドは前方へ突進し、呪文を唱えているアヒムの腹を蹴飛ばして、そのまま駆け去った。背後から怒声と、追いかける足音がする。

 エドは、自分の身の上に起こっていることに対し、危機感を抱いていない。

 エドを包囲するのに、この人数では少なすぎる。



 マテーウスが先頭となり、ナータンとソールが、真実を知ったエドを追う。フェイスは、エドの見事な蹴りを食らって噎せ混んでいるアヒムへ駆け寄った。傷ついた仲間を癒すのが、彼女の役目である。

 すぐさま駆け寄って、癒しの呪文を唱えようとしたら、手で制された。

「あなたは良いのですか?」

 咳の中からの問いに、フェイスは笑顔を浮かべて頷く。

「知っていましたから」

「……破戒僧ですね」

「内側から改心させようとしているかも知れませんよ」

 フェイスの答えに、アヒムは鼻で笑う。

「小娘一人でどうにかなるような、俄か仕立てではありませんよ、我々は」

 アヒムの中には、自らが属する集団に対する誇りがある。かつて、超一流の盗賊団として、その道では有名だったと言う誇りが。

「ミヒェル・ターゲル」

 フェイスの口にした名前に、アヒムは目を眇めた。その名は、数年前に彼らが捕らえた悪徳商人の名だ。先日の話で、彼女にこの名を教えた記憶はないが。

「盗品を売り捌く窓口である彼を、裏切り、捕らえたのは別の、もっと儲かる窓口を見つけたからですか?」

「どこまで知っているんですか……恐ろしい娘だ」

 体を起こしながら、アヒムは苦笑した。

「仲介だったんですよ、奴は。仲介料でだいぶ儲けていたようでしたので、排除しました。直接やり取りするうまい方法を見つけたのでね」

 それが、冒険者と言う肩書だ。自分たちの正体を隠すための蓑とするために、彼らはギルドに登録した。

「取引相手は?」

「目星がついているのでしょう?」

 フェイスはコクリと頷いた。

「ベッカータ家、ヤルマル男爵ですね」

「そう」

 今度はアヒムが頷く。

 ベッカータ家。聖都の北西に位置する地域の領主だ。彼らが住まう砦があるのもこの地である。

「悪徳商人であるミヒェル氏を、領主であるヤルマル男爵の依頼で捕まえる。そのよしみで、両者に交流ができる――不自然ではありません。これが『うまい方法』ですか?」

「……驚いた」

 アヒムは声を上げる。

「ぽやんとした娘だと思っていたのに、意外と頭が切れる」

「お褒めの言葉、ありがとうございます」

 フェイスは律義に頭を下げた。

「売るための子供を提供していたのも、貴方達ですか?」

「そう」

 もう、全く隠す気のないアヒムは、素直に答えた。今までも、こうしてきた。真実の一端を知った仲間「候補」の問いには、正直に答える。このパーティの真実を知っても、中にいるというのなら、正式な仲間として、この『盗賊団』へ迎え入れるのだ。もし、エドのように反発するのであれば、事故に見せかけて消すだけだ。本当は、撃ち漏らしのないよう、真実は複数人で語るものだが、小娘一人程度なら、アヒム一人でも十分だろう。

「それで、どうするんですか?」

 ついにアヒムは、選択を迫る言葉を放つ。

 返答次第では、腰にある細剣を再び抜き放つしかない。呪文は強力だが、時間が必要なのと、『そう』だとわかってしまうので、暗殺向きではない。

「言いませんでしたが?」

 アヒムの緊張とは対称的に、フェイスはいつも通り、ほわほわとしている。

「知っていました。知っていて、ここに来ました」

 ほわほわとしているが、言葉に迷いはない。

「自分の所属したい冒険者パーティの事を調べるのは、基本ではありませんか? スカウトされて、二つ返事で入ったエドが迂闊なんです」

「手厳しいですね……」

 アヒムは苦笑する。彼の目には、この二人はとても仲良く映ったのだが。

「知識や情報を生かす術を知っていても、それを得ることができないのは、その逆と同じくらい無能な証拠です」

 ……受け売りですけど、と、付け足すように呟いたフェイスの声は、小さすぎてアヒムには届かない。彼は至言だ、と言いたそうに頷いてから、立ち上がった。エドに蹴られた腹の痛みが、治まったのだ。

「お待たせしました。行きましょう――だいぶ、先へ行ったようです」

「そうですね」

 フェイスも立ち上がった。

「それにしても、愚かな子です。逃げるなら、出口なのに、入るべきではないと自ら言った奥へ進むとは……」

 アヒムは闇に包まれた前方へ視線を向ける。

 視界に彼らはいないが、駆ける足音が二人分、響いていた。マテーウスとエドは足音を立てない。二人だけの鬼ごっこだったら、彼らに追いつくことは難しかっただろう。



 背後に意識を集中しながら、エドは駆けた。

 二つの足音が、三つの気配が追って来る。二つ足りない。アヒムを強く蹴り過ぎたか? と少し心配になった。

 体力に物を言わせて走り続けるだけで簡単に撒けるとは、そもそも思っていない。それでも彼らは、エドの予想以上にしつこく追っていた。流石盗賊である。一般兵士から逃げ続けるだけの体力は持っていると言うことか。

 どうしてこうなった、とは考えない。考えても、起きてしまった事が変わる訳ではないのだ。

 変えるのは、ここから先である。彼らが望むような未来を、エドは望んでいない。だからと言って、エドが何を望んでいるのか。それは彼自身も知らない。


―― 生きなさい! 何を捨てても、生き続けなさい。生きることに、意味があるのだから。

―― 生きていてはいけないのよ。生まれたことが、罪なのだから。


 二つの矛盾する声が、心の奥底にこびりついている。

 もしかしたら、エドが本当に逃げようとしているのは、常に追ってくるこの二つの声からなのかもしれない。


 エドは遂に川を越えた。さらに少し走り続けたら、空気の流れが変わる。踏み締める地面の感触も、変わった。それ以上の、変化もあった。濃い闇から、いきなり解放されたのだ。

「なんだ?」

 そこは、円形の広場になっていた。

 石畳と言うには高級すぎる石の床は、青みがかった白である。頭上には、バルコニーのようなものが壁に沿ってぐるりと造られていた。正面には上下に出入り口があった。バルコニーに出る口は、豪奢な鉄扉で閉ざされている。下は、ぽっかりと闇が口を開いていた。

 足音が迫っている事を理解していたが、エドは足を止めてぐるりと周囲を見回した。エドが入ってきた入り口と、その正面にある口以外に、6つ出入り口がある。そのそれぞれから、人の気配がした。気配の数と足音の数が一致しない。おそらく『七つ』の入り口が行き着く先が、ここなのだろう。

「おや、エド?」

 マテーウス達より先に、別の入り口から、左右がひどく片寄った男が姿を現した。足の不自由な、半白髪の男は、遺跡の砦で待機しているはずのウーヴェだ。

「どうした、班長は?」

 同行していたウーヴェの片腕が、じろりと睨む。エドは自分が進むべき道を気にしながらも、真っすぐウーヴェを見た。

「別に……」

 どう答えるべきか迷い、曖昧な返事をしたら、ウーヴェはにやりと笑った。

「俺が来たことを、驚かなかったな」

「そんな気がした」

「どうして、そう思ったんだい?」

 ウーヴェは穏やかに問う。

「遺跡の作りが良く似ていた……やはり、あの遺跡も、ここの一部だったんだな」

 エドは、じりじりと気配のない唯一の出口へ近寄りながら、答える。ウーヴェの口調はあくまで穏やかだが、ピリピリと嫌な気配を肌で感じた。

「石畳の質、壁の造り。等間隔に並んだ柱と、そこに掘られた像。俺に考古学の知識はないが、似ている、と思った――あと、入り口の、数」

「入り口?」

「六つではなく、七つではないか、と」

 現代は、4と3が様々な事象の基本となる数である。それと同じように、この遺跡が建ったころは、7が基本となっていたのではないかと、エドは住家の遺跡を見て推測していた。例えば、神の数、部屋の数などだ。

 今回探索する遺跡に入って、最初に分かったのは、この遺跡は住処と同じ時代のものだ、と言うことだけだった。同じ遺跡の一部とまでは、考えなかったのだ。しかし、すぐ、入り口が六つしかない事に疑問を抱いた。もう一つあるのではないかと。もう一つあるとしたら、それはこの遺跡と同年代の建物と言うには似過ぎているアジトではないか、と。

「大当たりだ」

 さすが、俺が見込んだだけある。パーティに入って以来、会話をすることがなかった勇者――いや、盗賊の頭領は、拍手してエドを褒めたたえる。

「エドは、先行して偵察かい?」

「……」

 エドは、今度は返事をしない。わずかに眉をひそめ、じりっと後退さった。そんな事はありえないと、分かっているくせに。

 偵察など、必要ないのだ。彼らはここを知っていたのだ。だから、マテーウスは驚くほど遺跡の突入に対して無防備だった。そして、迷わなかった。

「まさか、裏切るとか?」

「裏切りの定義が分からない」

 聞いたことのない、冷たい声に背筋を凍らせながら、エドは平静を装って答えた。足は、また一歩、じりりと下がる。腰が自然と低くなった。

「エドっ!」

 そこへ。違う方向から声が響いた。マテーウス達が追いついたのだ。

「愚かだな。奥へ向かって逃げるとは……」

「あえて、奥へ逃げたんだ」

 軽く息を弾ませながら、マテーウスが凄む。エドは睨み返しながら、じりともう一歩後退さった。アヒムとフェイスがいない。だが、遠くから足音が聞こえる。

「どうした?」

 両者の間に割って入った声に、マテーウスは顔を向けた。

「こいつが、俺達の『仕事』を知って、逃げ出した」

「ふむ……」

 ウーヴェは頷いてから、エドへ視線をやる。エドの言い分を待っているようだった。

「冒険者のパーティに入るとは言ったが、盗賊になるとは言っていない、一言も」

「確かにな」

 ウーヴェは頷いてみせる。

「裏切りの定義が分からないと言ったな?」

「そうだが?」

 いきなり戻った話に、エドは警戒を強める。確実に近づいてくる足音が、エドの耳に届き始めた。残り五つの出入り口からやってきた者達がたどり着いたのだ。

「お前みたいに、ここから抜けたい。と言い出す奴だよ」

 ぽつり、ぽつりと五つの入り口から人が現れた。エド達の様子を見て、緊張が走るものの中に、状況がつかめずキョトンとするものがいた。ここが、純粋な冒険者の集まりだと信じている者も、いるのだ。一つの班に、1、2人程度か? と、エドは素早く把握する。

「そういう卑怯な奴が、どうなるか知りたいかい?」

「いや」

 改めて言われなくても、マテーウス達が、もう教えてくれた。教えてもらっていなくても、殺気で分かる。ウーヴェのではない。彼を囲む大多数の仲間達の、だ。

「君の能力は買っていたのにな」

 ふぅと、ウーヴェは本当に残念そうな表情で溜息を吐く。


「やれ」


 静かな、静かな声だった。

 その声で、殺気が爆発する。

 エドは回れ右をして、奥へと駆け出した。



 50人近くの人が、一斉にエド一人を追って駆け出す。その姿を俯瞰したら、さぞかし滑稽だろう。エドは想像して思わず吹き出した。足音が人数より少ないのは、エドと同じく足音を立てないで動く癖のある者達が少なくないからだ。

 広間でウーヴェと話している間に、多少疲れていた体は回復した。エドの目算だと、十分体力を残したまま、たどり着けるはずだ。

 エドがあえて奥――城内へと逃げたのには、理由がある。

 出口が、引き返すよりも、先に進んだ方が近かったからだ。どこにあるかは知らないが、城内に続く道がないとは思えない。必ずあるはずだ。

 理由はもう一つある。これは、広間でのんびりウーヴェと話していた理由でもあった。エドは、およそ50人の盗賊を引き付け、城内に逃げ込むつもりなのだ。大挙して城に入れば、兵士が気付くだろう。

 エドは仲間を兵士へ引き渡すつもりだった。

 売るのではない。正体が知れ、決別するとしても、一年以上、一緒にいた仲間だ。それなりの情がある。エドは、これ以上罪を重ねてほしくなかった。捕まって、罪を償って、そして盗賊をやめてほしかった。

 だって、彼らには養っている子供だっているじゃないか。


 エドは、その子供たちも彼らの商売道具だということに、気付いていない。


「……おかしい」

 撒いてしまわないように、適当に速度を調整しながら走っているうちに、エドは違和感を覚えた。

 足音が、減った。聞こえない音を考えても五人くらいしか、いない。

 道も、おかしい。見覚えがあった。この道は、さっきまで歩いていた道そのものだ。暗くてよく見えないが、間違えない。

「まさか」

 エドは先を急ぐ。八分刻ほど走ると、明かりが見えた。

「やはり……」

 エドは光へ飛び込む。

 そこは、円形の広場になっていた。

 石畳と言うには高級すぎる石の床は、青みがかった白である。頭上には、バルコニーのようなものが壁に沿ってぐるりと造られている。正面には上下に出入り口があった。バルコニーに出る口は、豪奢な鉄扉で閉ざされている。下は、ぽっかりと闇が口を開いていた。

 足音が迫っている事を理解していたが、エドは足を止めてぐるりと周囲を見回した。エドが入ってきた入り口と、その正面にある口以外に、6つ出入り口がある。そのそれぞれから、人の気配がした。気配の数と足音の数が一致しない。

 追っ手達は、それぞれやって来た入り口から、姿を現した。道理で足音が減っていたはずだ。彼らはいつの間にか、エドとは違う道を走っていたのだ。エドを正しく追えたのは、彼と一緒に行動していた五人だけだった。

 彼らも予想していなかったのだろう。広間に出てきた盗賊たちは、頭領のウーヴェを含めて、皆呆然としている。

「無限回廊?」

 誰かの声が、広間に響いた。

「そんな、馬鹿な!?」

「そうだ。この広間の先には『あれ』があった筈だ」

 なぜだ、どうしてだと、盗賊たちは騒ぎだす。エドの事を忘れて。

 この隙に逃げ出すことを、エドは一瞬検討した。しかし、彼らから逃れた後、どうする? この無限回廊を抜ける術をエドは知らない。物理的な罠なら一人でもどうにかなるが、ここのような魔法的なものになると、お手上げだ。エドは魔法の才能がない。

 身を隠して、盗賊たちが活路を開くまで待つ事を検討し始めた時、盗賊の一人が息を切らして飛び込んだ。

「戻り道は、ある。逆走すれば、外に出られるぞ!」

 ……退路確保。エドは心の中で呟いた。

「まさか、一方通行?」

「だから、あんなに無防備だったのか!」

 盗賊たちの声が怒声に変わる。その瞬間。大きな音を立てて、鉄扉が閉まった。

「何っ!?」

 盗賊たちは、驚愕の声を上げて周囲を見回す。無限回廊へ入る道を含めた八つの出入り口が、繊細な図柄の重厚な鉄扉で閉ざされていた。

「開きませんっ!」

 ソールを含めた大男が、扉を押したり引いたりするが、びくともしない。魔法に長けた者達が、鉄を溶かす熱を呼ぶが、扉は熱を帯びすらしなかった。

「そもそも、扉など、なかったはずだ!」

 ウーヴェが初めて、狼狽した声を上げた。

 そうだ。ぽっかり空けた口に、扉などなかった。扉があったのはただひとつ。頭上のバルコニーへの出入り口のみ……

 エドが視線を上に向けた時、唯一最初から閉まっていた扉が、ゆっくりと横へと動いた。

「押しても引いても開くわけないよ。引き戸だもん」

 扉の奥から苦笑交じりの声が聞こえる。女性にしては低く、男性にしては高い。大人にしては初々しく、子供にしては静かさのある声だ。

 いや、そうではなくて。

 エドは、その声に釘付けになった。

 胸が騒ぐ。今まで眠っていた、エドの中の全て感情が覚醒しようとしているような。

「ア……」

「まぁ、鍵をかけたから、横に引いても開かないけどね」

 開いた扉から現れたのは、赤い髪を持った長身の少女と、空色の髪を短くした小柄で可憐な少女だった。いや、空色の方は、こんな顔だが少年だ。エドは知っている。うっかり性別を間違えて女性扱いをすると、それなりの報復を受けるということも。

 ラクスラーマを思い出す深い蒼の瞳と、エドの碧色の瞳が合う。知的な輝きを持つ瞳が、悪戯っぽく光った。


「やぁ、エド」


 全てのギャラリーを無視して、彼はエドに向かってにこりとほほ笑んだ。



 物心つく前から磨き上げないといけない、エドの持つ技術を「悲しい」と言った人がいた。

 分別を持ち過ぎる子供を、哀れんだ人がいた。

 その姿が、声が、光景が、エドの脳裏にはっきりと蘇る。

 幼い顔だ。エドより一つ年下の、遠い空の髪と深い湖の瞳を持った幼なじみ。

 自分よりも幼いながら、こいつについていけば問題ないと思わせる『何か』を持っていた奴。

 思い出さなかった事が、不思議でたまらない。


 今、そう思う。


「アドル……」

「久しぶりだね。なんで君が、こんなところにいるんだい?」

「うっ……」

 一年ぶりとは思えない気楽な口調だが、エドは返事ができない。なんと答えても、鼻で笑われる顛末に、間違いなかった。

「大方、誘われたからと禄に調べもせずに、二つ返事で入ったんだろう? そして、その実態を知って、抜けようとしたが、うまくいかない」

「……見てきたように言うな」

 いや、答えなくても鼻で笑われた。

 その小憎たらしく笑う顔が、腹立たしくも、懐かしい。エドは、懐かしさで笑い出しそうになるのを、我慢するだけで精一杯だ。

読んでいただきありがとうございます。もしよろしければ、Web拍手で応援してください。