勇者のための四重唱


せかんど らいふ 2

「いらっしゃ……」

「助けて下さいっ!」

 シリィの声を遮って飛び込んできたのは、20代前半の若者だった。ふわりとした藤色の髪が乱れている。

「洞窟の妹が、魔物で。貢ぎ物が、生贄にっ!」

「……とりあえず、お茶でもどうかい?」

 慌て過ぎていて、単語が意味をつくっていない。まずは落ち着けと、お茶を出すシリィの対応は正しいだろう。しかも、青年をカウンターに座らせてから、すぐに持ってきた暖かなお茶の香りは、心を落ち着かせる効果があるハーブだ。

 セバスチャンは『紅茶』『ハーブティ』『ワイン』の項目にチェックをつけながら、青年の様子を、主越しに伺った。彼は、ギルベルトの席をひとつ空けた隣に座っている。

 煎れたついでに、と出された同じハーブティに舌鼓を打ちながら、ギルベルトは口を開いた。

「洞窟に住まう魔物が、貢ぎ物にと貴殿の妹を要求してきたのかね? 生け贄として」

「そうです」

「何で分かるんですか!?」

 声を上げたのは、カウンターの向こう側でずっと書類を整理していた事務員だ。死角に入っていたので、すっかり忘れていたが、彼はまだ居たのだ。

「青年は、ちゃんとそう言っていたではないか。なぁ、セバス?」

「そうですね」

 セバスチャンは頷く。彼のこの読解力に驚くのも今更だ。

 彼は、領主になってから40年、山ほどの直訴を聞いてきた。興奮で意味のある言葉を成していない者、涙で言葉が上手く出て来ない者、貴族の前で緊張して言葉を忘れてしまった者などを、沢山相手にしてきたのだ。ちゃんと必要な単語を発する者ならば、その構成が多少おかしくとも意味を汲み取ることくらい、彼にとっては難しいことではない。

「深呼吸をして……うん、いい子だ」

 ギルベルトは、そっと青年乗せに手を置いて、優しく語りかける。シリィのハーブティとギルベルトの声に安心した青年が、小さく取り乱しました、すみません、と言う。もう大丈夫そうだ。

「どうしたんだい」

 カウンターの向こうで、ギルベルトが青年を落ち着かせるのを待っていたシリィが口を開く。

「僕は、レブスのニコラス。ニコラス・レヴィです」

「レブス村のレヴィと言えば、村長の息子さんか何かかい?」

「よく、知っていますね……」

 ニコラスが驚いて赤毛の少女を見上げる。それも知らないで、受付なんて勤まる訳がない、と彼女は当然のように言った。

「村からの依頼かい?」

「場合によっては、レヴィ家個人の依頼になります」

「言ってご覧」

 落ち着いたニコラスは、シリィの大雑把なすぎる促しに、しっかりとした口調で語り始めた。


 ボース領内には、同名の街のほかに、大小の村がある。レブス村は、その一つだ。ボースの街が背にする山の途中にある高原に、その村はあった。レブスは山を祀っている。高原を見下ろす休火山シイ山だ。

「レブスでは、毎年山へ収穫物を備えています。そうやって、山の神を鎮め、シイ山の怒りを抑えているのです」

 シイ山は大きい。過去、何度も山は怒りを爆発させ、レブスはもちろん、そのさらに下にあるボースへも危害を与えていた。

 山の怒りは、ボース領土全体の脅威。そのため、領主はレブスへ科す税を他の地域よりも軽くし、その分を山の神へ捧げるように指示した。凶作などで足りない時は、補助すらしてくれる。

「そうやって、記録では5代、山は穏やかなまま過ごしてきました」

 一つの世代で20年と考えて、100年、彼らはうまくやっていたのだろう。

「だけど……」

「そうではなくなった?」

「はい」

 ニコラスは頷く。

「巫女が、御山の声を聞きました。生贄を出せ、と。祭司の娘を差し出せ、と」

 祭司は代々村長が勤める――逆だ。祭司の家系が、村長を務めているのだ。

「初めてです。巫女が御山の声を聞くのも。御山が人を贄として要求するのも」

「嫁が欲しいのでは?」

 ギルベルトの問いに、セバスチャンもそうだ、と頷く。

 神は、気に入った人を伴侶として求めることもある。人に近い神ほど、その傾向がある。彼らが祀るシイ山の神が、山にいた神なのか、人が成った神なのか、ギルベルトもセバスチャンも知らないが、それが、珍しいことではないことは知っている。

 しかし、ニコラスは、それは違うと首を振った。

「シイ山の神は夫婦神だった筈です……」

「それが生贄とは、珍しい話だね」

 シリィが、カウンターに肘をついて、首を傾げた。ニコラスは、そうなんです。と彼女に同意する。どういうことなのか分からない老人二人に、シリィが説明した。

「夫婦神は、荒れにくいんだ。夫神と妻神でうまくバランスを取っているからね。たまに、不仲な夫婦神という例外もいるけど……」

「シイ山の神は、仲睦まじいです。近隣では縁結び、家庭円満を願う神様と親しまれてもいます」

 そもそも、と彼は顔を上げた。

「あの神は、荒れるシイ山を鎮める神なんです。供物は、山を鎮める力を強めてもらうためのもの。神自身は、おとなしかったはずなんです」

 なのに……と、青年は顔を曇らせる。

「生贄を要求してきた。それは、過去の記録にもありません。父はショックで倒れてしまいました」

 生贄を必要とするほど山が危険な状態なのか、自分の祈りが足りないが為に要求したのか、それとも他の何かか。神が生贄を要求してきたこと自体に、そして、それが最愛の娘だったことに、ショックを受けて、村長であるニコラスの父は倒れてしまった。

 ニコラスは、村長の代わりに、また、妹のために、ここに来たのだ。

「妹を、助けてください」

「だけど……」

「よし、儂が引き受けた!」

 シリィの声を遮って、ギルベルトが立ち上がる。

「本当ですかっ!?」

 ニコラスも立ち上がった。彼はがっしりとギルベルトの手を握り、ありがとうございます。と叫ぶ。

「いや、待て。ちょっと待ってくださいって!」

 手を取り合う二人に、セバスチャンは慌てた。

「相手、神様ですよ? 初めての仕事にしては、ハードル高すぎません?」

「駄目ですか?」

 しょん、と肩を落とす。止めてくれ、こんな明らかな落胆するのはっ!

「いや。困っている人を助けずに、何が冒険者だ!」

 案の定、ギルベルトは、躊躇なく、力いっぱいニコラスの不安を否定した。

 いやな予感がした。

 領主時代、必死になって抑えて来た悪癖が、再び姿を現している気がする……

「手立てはあるのかい?」

「直談判」

 シリィの問いに対する答えが、早い。

「いつもなかったことがあると言うことは、それなりの理由があるはずだ」 

「神と直談判する手段があるんだ?」

「努力と根性」

 これまた、即答である。

 セバスチャンは頭を抱えた。

 この人、変わっていない。領主時代の40年間、一度も領民に対して言わなかったから、油断していた。単に、領民に強要しなかっただけだったのだ。

「努力と根性でどうにかなるものじゃないでしょう!」

 出て来た声は、予想以上に悲痛な叫びとなった。

「巫女を通してしか接触出来ない神と、どうやってコミュニケーションを取るんです? あなたは覡子じゃないんですよ?」

「……いや、意外といけるかもしれません」

 口を挟んだのは、書類の整理を終えた事務員だった。

「領主や神殿に頼まず、ここに来たのには理由があるのでしょう?」

 事務の男は視線をニコラスに向ける。ニコラスは、そうです、と頷いた。

「神殿に様子を見に行った者が、確認しています。二匹の魔物がいた、と」

 ニコラスは沈痛な表情で瞳を閉じた。

「神は荒れ、魔物となりました」


 神は色々な分野で分類できるが、分け方の一つに、和と荒というものがある。

 世界の輪の中にあり、輪の中に居るモノへ恩恵を与える和神。そして、和の外にあり、和の中に居るモノへ災厄を与える荒神だ。しかし、それらは最初から決まって居るものではない。荒神は、きちんと祀れば和神となり恩恵を与える。和神は一つ転じれば荒神と化す。

 荒れた神は、神自身の強さや性質にもよるが、魔物となり、具現化する事もある。こうなってしまったら、力で倒すしかない。力尽くで荒れ狂う力を殺ぎ、滅ぼしてしまうか、弱った御霊を再び祀り上げて鎮めるのだ。

 では、魔物と化した神をだれが倒すかが、問題になる。そこで出てくるのが冒険者である。元が何でも『魔物』となれば、一番頼りになるのは冒険者、と言うのが一般人の常識だ。ニコラスがここに来たのは、当然の選択だった。


「依頼内容は、魔物の討伐。という事だね」

 シリィのまとめ方に、ニコラスは思わず、といった風に、苦笑した。少し明るくなった表情に、彼が初めて笑ったのだ、とセバスチャンは気付く。

「平たく言い過ぎると、そうです」

「その後は?」

「できれば鎮まってもらい、再び御山を鎮めていただきたいです」

「あいわかった」

 ポンとギルベルトが手を叩いた。

「ギル様!?」

「何そんな表情をしておる、セバス。儂は言ったはずだ、引き受けた、と」

「……途中で気が変われば、と思ったんですけどねぇ」

「本当に、そう思っていたのか?」

「いいえ」

 セバスチャンは、きっぱりと否定した。

「あるわけないと思っておりましたよ、はい。だって貴方は、その粘り強さに定評のあるお方。裏を返せば『しつっこい』『頑固な』お方。えぇ、そんなこと、思っちゃいませんでしたよ。淡い夢を見ていただけです。人の夢は儚いんです」

「セバスは、いやなのか?」

 一気に言い放ったら、ギルベルトは太い眉をハの字にした。

「いいえ」

「…………」

 ギルベルトが黙り込む。セバスチャンは、主を無視してカウンターへと視線を移した。

「アタクシ達に出来るんですか?」

「やってみるかい?」

 シリィが、挑むような目で問い返す。


 予想は確信に変わった。


 彼女が来ると言った直後に、飛び込んできた依頼。ギルベルト依頼人との話に口を出すのを、止めない事務員。口を挟んで来ない周囲の冒険者。そして、新人で老人な冒険者には、手に負え無さそうな仕事を受けたいと言うギルベルトを、止めないシリィ。

「受けてもいいようですよ、ギル様」

「よしきた!」

 ギルベルトは、嬉しそうにもう一度手を打った。やりがいのある大きな仕事が舞い込むと、まず喜ぶのが、この元領主である。

「なら、ニコラス殿は、すぐに帰って、祭りの準備をしていただきたい」

「え。一緒に行かないのですか?」

 ニコラスは驚いてギルベルトを見上げる。

「少なくとも、体裁として『魔物を倒すもの』と『神を鎮めるもの』は分けておいた方がよかろう。レブスの民がシイ山の神を害したとなれば、後がやりにくい」

「そうですが……」

「汚れ役は、冒険者の役目だ」

 冒険者を使い、力ずくで問題を解決した経験もある元領主は言う。

「お主らは、とにかく平穏を祈り、神を祭るんだ」

 ニコラスは呆然と、ギルベルトを見る。

「…………ありがとうございます」

 その表情を見て、セバスチャンは、ギルベルトの傍らで、うんうん、と頷いた。ニコラスの浮かべる表情を、セバスチャンは何度も見ている。直訴して来た領民の殆どは、彼の真摯な対応に、こんな表情を浮かべて頭を下げた。

 そんな時、セバスチャンは主を誇らしく思う。

 冒険者として外に出ても、そんな彼を見れたことが、セバスチャンは嬉しかった。


 ギルベルトは依頼「妹を助けて!」を請けた!



「あの従者は気づいたかね?」

 事務員の問いに、じゃないの? とシリィは返す。

「もの言いたげな顔をしていたよ。まぁ、あの主人の前で、下手なことを言えば、すぐにばれるだろうから、確認のしようもないけどね」

「全くそうだ」

 笑って、事務員はティーカップに口づける。

「本当に、お茶をいれる事だけは上手いな」

「おいしいだろう?」

 シリィはまんざらでもない表情で、何度も頷く。褒められて、嬉しくないものはいない。

「しかし、何であれから、あんなファンタジーな物語が作れるのかね?」

「それはアタシじゃないよ。フェイスに聞いておくれ」

「真相知れば、怒り出しそうだ」

 村人も、老人も。

「文句はアドルに言えば良い」

 しれっと責任を仲間へ転嫁して、シリィも自分のカップに口をつける。

 彼女はカウンターのこちら側にいた。本来彼女が居るべき、正しい位置だ。

 先程までここに座って居た初老の二人は、ここに宿を取って、街へと出ていた。流石に領主がこっそりと領内で準備をするには、限界があったのだろう。資金だけは十二分に用意している二人は、ここで必要なものを買い込むつもりなのだ。

 レヴィの伜は既に帰路へと着いている。彼の話は嘘ではないから、やるべきことが多いのだ。

「さて」

 シリィはカップを置いて、立ち上がる。椅子の側に置いてあった荷物と杖を、手に取った。

「アタシは次の持ち場へ行くよ。忙しい中、世話をかけたね」

「いやいや、楽しませてもらったよ」

 お世辞か、本心からか。カウンターの本当の主は手と首をおおげさに振った。

「で、次の予定は?」

「アタシは、山に直行だね。道中は、エドがついている」

 彼なら、潜むことが難しい広い街道でも、存在を悟られずに二人を守ることができる。それに、彼らの味方は自分たちだけではない。

「そうか。暇があったら、顛末を教えてくれ」

「皆で、歌いに来るよ」

 彼――いや、彼だけではない。ポーカーフェイスで老人たちの様子を見ていた冒険者連中も加えた全員は、今回の仕事の協力者である。シリィ達には、彼らに顛末を報告する義務がある。

 シリィの言葉に、男も、周りで楽しそうに見ていた冒険者も、

期待に満ちた表情を浮かべた。彼らは、シリィが、最近急速に名をあげたパーティ『勇者のための四重唱』の一人だということを知っている。知っているからこそ、彼女達が紡ごうとする物語に、協力したのだ。

「愉快な物語を、期待しているよ」

「愉快……ね」

 それは期待してもいいかもねれ、とシリィはおかしそうに笑った。



 年を取ると、太陽とともに起きるようになる。それがまた、楽しくなる。

 ギルベルトとセバスチャンは、ギルドに泊まる冒険者の誰よりも早く起き出した。夜明けは遅くなっていると言っても、まだ、秋分前だ。日の出とともに起きても、街が目覚めるにはいくらか早い。

 街が起き出す様子を、二人は散歩しながら眺め、ぽつりぽつりと集まりだしたギルドの食堂で朝食をとる。若者たちが眠い目を擦りながら出立の準備をしている姿を尻目に、二人は元気一杯、ギルドから出た。

「じいさん!」

 出る時に、気安い声がかかる。セバスチャンは、それが自分たちを呼ぶ声だと、すぐには気付かなかった。

「あんただ、あんただよ、デコボココンビ」

 驚いて振り返れば、大男が、にかっと笑って手を振った。見渡せば、その場にいる誰もが、彼らを見ている。

「頑張れよっ!」

「レブスの山は、老体に堪えるぞ」

「ほどほどになっ!」

「素晴らしい、セカンドライフを!」

 冒険者達の馴れ馴れしすぎる言葉に、セバスチャンはきゅっと眉が寄った。領内では、領主に対してそのような言葉は許されない。彼は、領主に対して無礼な輩を、諌める立場にいた。

 しかし――

「声援、感謝する」

 当のギルベルトは、明るい表情で、自分を見送る冒険者に手を振った。

 そうだ。

 ギルベルトは、男爵でも領主でもない。年老いた新米冒険者なのだ。そして、彼の主は、このような気安い関係を、第二の人生では求めていた。

 馴れなくては――

 先を行く主の背を見て、セバスチャンは拳を握る。生まれてから60年かけて染み込ませた、ギルベルトに対する価値を、変えなくてはならない。領主ではない。貴族ではない。ただの人である、と。

 それは彼にとって、途方もなく難しいことのように思えた。




 ボースからレブスへは、北の道を進む。それは、曲がりながら、ゆっくりと上る山道だ。エクウスからボースまでのような、広くて安全な街道ではない。山へ入れば入るほど、緑は深く、道は狭く、暗くなる。魔物が出ることも、珍しくなかった。

 普通の人は、冒険者が護衛する定期馬車を利用する。金のある者なら、個人的に冒険者を護衛に雇う。これが、魔除の結界が張られていない道の、一般的な移動方法だ。そんな中、ぽつりぽつりと歩いているのは、馬車を利用する金を持たない者や、根性のある者。そして、冒険者くらいだ。

 当然、ギルベルトとセバスチャンも、徒歩である。この道は、レブスとシイ山にしか続かないから、歩く人もほとんど見当たらない。通り過ぎた幌の無い定期馬車も、乗客がまばらだった。

 ギルベルトは、ボースで買った大剣と楯を背に、揚々と歩く。その後ろを、セバスチャンは追った。彼は、腰に剣をはき、大きな楯を左に持つ。背中には、旅に必要な道具が、二人分詰まっていた。主に大荷物を持たせる訳にいかない。それに、セバスチャンが荷物を持ち、ギルベルトが身軽でいた方が、魔物に対処し易い。カルーラ聖王国の貴族は、一般的に、「嗜み」の域を越えるほどに剣が使える。ギルベルトも例外ではない。

 ぴく。

 前を歩くギルベルトの様子が変わった。生まれてから、ずっと彼の後ろを歩いていたセバスチャンだから、分かる変化だ。

 彼は前方にある、セバスチャンが気付かない何かに、気付いたのだ。

「どうしました」

「殺気」

 臨戦態勢に入ると、主は言葉数が少なくなる。

 手が、背中にある大剣の柄を握っていた。既に楯は手の中に有る。

「魔物ですか?」

「助ける」

 言うと同時に、彼は駆け出した。

「ああっ! ギル様ーっ」

 セバスチャンは背負った荷物を揺らしながら、慌てて後を追った。



 エドは木の上にいた。

 彼の目の前で、エドと同じくらいの年頃の少年達が、大騒ぎしながら魔物とどつきあっている。

「…………」

 どつきあい、という言葉が似合う稚拙な戦闘は、微笑ましさすら感じる。普通の新米冒険者は、こんなものなんだろうな、と、のんびり彼は見ていた。彼は志して冒険者になったわけではないし、仲間とも『新米』の域を脱してから出会っている。なので、こういう稚拙な冒険者は、新鮮だ。

 エドは、この戦闘に手を出す必要はないと判断していた。少なくとも、相手の魔物も『どつきあい』に相応しい戦闘力だ。万が一を考えて、手には得意の弓矢を持っているが、構えていない。

 あまりに拙い戦いに、やきもきしだしたころ、エドは別の気配を感じた。近づく気配に反応して、エドの視線が動く。視線の先には、目前の冒険者よりも、はるかに様になる格好で剣を構えた長身の老人が、走って来ていた。その後ろから、アドル並に小さい小太りの男も。

 

「やっと来た……」

 主役の登場に、エドはほっと息をついて、木の中へ気配を消した。



「ギルベルト・ヒサムル、助太刀に参る!」

 年を取れば取るほど深みを増す声が、凛と響いた。御丁寧に名乗りを上げた長身の老人は、躊躇なく戦闘を繰り広げる人間と魔物の中に突っ込み、身長ほどある大剣を振りかざす。ブンッと剣が唸り、刃が的確に魔物の胴を薙いだ。ギルベルトの標的となった魔物は、それと気付かないうちに体を横に真っ二つにされ、どうと倒れ込む。

 元が群れをなす猿だった魔物は、仲間を殺されて、いきり立った。猿にしては凶暴な叫び声を上げて、鋭い爪でギルベルトへ襲いかかる。それをギルベルトは楯でがっしりと受け止めた。

「今だっ!」

「は?」

「呪文を」

「は、はいっ!」

 いきなりかけられた声に、意味を捉えられず、きょとんとした冒険者の一人へ、セバスチャンは短く主の意図を伝える。魔法使いらしい少年が、前方で仲間が戦う間に準備をしていた呪文を、あわてて放った。

 か弱い火球が、ひょろひょろと飛ぶ。残念だが、この軌跡ではわずかに逸れるであろう。それは、呪文を放った本人も気付いているようだ。気の弱そうな少年魔法使いは、真っ青になった。

「あぁっ! ごめんなさい。やっぱり当たらない」

「大丈夫です」

 セバスチャンが、福々しい表情で、ぽんと少年の肩を叩く。え、と少年が、自分よりも視線の低い老人へ目を向けると、彼は、見てご覧なさい、と促した。

 少年が視線を戻せば、頼りなく飛ぶ炎の球の先に、なぜか居るはずのなかった魔物がいる――気付いた瞬間、魔物が燃え上がった。獣の魔物が持つ毛皮は脂っぽい。炎をつければすぐに燃え上がる。火に焼かれ苦痛の声を上げる魔物は、のたうちまわり、すぐ隣に居た魔物へとぶつかった。炎はぶつかった魔物にも引火する。こうなると、魔物にとっては最悪のドミノ倒しだ。放っておけば、全て焼け死ぬ。

「当たらなければ、当ててしまえば良い」

 炎を背に、ギルベルトはぶんと大剣を振って血を飛ばす。そのまま剣を鞘へ納めた。それを見て、エドは慌てて矢を弓につがえる。

 音もなく、ギルベルトの背後を二本の矢が通り過ぎた。それは、熱さで暴れている魔物の急所に深々と刺さった。猿の魔物は数度痙攣をして、静かになる。

 え、という表情をして、4人の新米冒険者とセバスチャンは、視線を木の上へと向けた。矢のやってきた方向だ。目を凝らすと、そこに銀色のなにかがかろうじて見える。見ているうちに、音も無く、銀色の周りの枝葉が揺れ始めた。間もなく、ぬっと真っ白な顔が現れる。

「ひっ!」

 エドが隠れていた木から顔を出したら、セバスチャンが驚いて引きつった悲鳴をあげた。驚かれるのは本意ではないが、今は気にしない。

―― 火っ! 火を消せっ!

 エドは音を出さずに必死に叫ぶ。エドがそこにいる事を知っていた新米冒険者は、エドが顔を出したこと自体に、執事ほど驚いてはいない。が、エドが慌てている理由が理解できなくて、焦る彼をきょとんと見ていた。彼らは、エドの頼もしい仲間とは違う。口だけで意思を伝える事が出来ない。

―― っ!

 エドは、空いた手で魔物の方向を示した。動かなくなっても、脂ぎった魔物はメラメラと燃え続けていて、火が鎮まる気配はない。このまま放っておけば、山の木々に炎が移るだろう。山が燃える。それは、絶対行ってはいけないミスだ。

「ああっ! 火っ!」

 エドの指し示す方を見て、魔法使いの少年が、真っ青になった。

「何!?」

 少年の叫び声に、ギルベルトが目を眇める。ポーズを決めた後ろで、炎が上がり続けている事に初めて気づいたギルベルトは、素早く行動に移した。

「延焼物を避けるんだ! 枯れ木を除けろ。引火しそうな枝を切れ!」

「は、はいっ」

 セバスチャンと4人の冒険者は、逆らう事を許されない声に、反射的に返事をする。

「魔法使いは、水だ。出せるな?」

「は、はい」

 魔法使いの少年は、かくかくと頷いてから、魔法を紡ぎだす。その間に、ギルベルト達は、延焼を防ぐための行動に出た。

 魔法使いの少年は慌てて呪文を紡ぐ。だが、焦っているせいか、言葉が回っていない。見ているだけで気の毒になるくらいうろたえていた。

 少年の様子に気付いた年嵩の男が、仕事から抜け出してくる。彼は半泣きになっている少年の両肩をぽんと、叩いた。

「テオ、落ち着け」

「兄さん……」

 同じ色の髪と瞳を持った二人は、兄弟だ。

「大丈夫、慌てるな――呼吸を整えて」

 兄の言葉に合わせて、弟は瞳を閉じて、ゆっくりと深呼吸をする。よし、と言う兄の言葉に頷いて、テオは再び呪文を紡ぎだした。

 細い歌声が、今度は正しい音を紡ぎ、ようやく水を呼ぶ。水は、術者の求めるとおりに火を鎮めた。

 エドはほっと息をつき、木の幹へと体重を預けた。

 流石元領主。緊急時に対する判断力と指示の的確さが、常人離れしている。野外に対する嗅覚は、鈍いようだが。

「よくやった!」

 その領主は、大きな拍手をして若い冒険者達を褒めたたえた。

「詰めが甘くてすまなかった。獣の魔物は良く燃えるのだな」

 覚えておこう、と彼は何度もうなずき、どこからとも無くメモ用紙を取り出す。そこへ、ペンで何かを書き始めた。

「……何をやっているんです?」

 茶髪の戦士が、青い瞳に好奇心の光をたたえて、ギルベルトを覗き込む。ギルベルトは戦士と同色の瞳を和ませて答えた。

「メモじゃよ。物を忘れないためと、覚えるためには、メモを取るのが一番よい」

「へぇ……」

 戦士がメモを見たそうにしているので、ギルベルトは、ほい、とページを見開いて見せる。それを見て、戦士は眉をひそめた。

「達筆すぎて読めないよ……」

 ハハハとギルベルトは大笑いする。どれどれと、戦士の仲間たちも寄って来た。

「そりゃ、躊躇なく見せるよな」

 メモを見た濃い緑の髪の男が、失笑する。

「アール、これ、暗号化されているよ」

「何っ!?」

 魔法使いのテオの指摘に、アールと呼ばれた青年は驚く。全くそうと気づいていなかった戦士に、笑いがはじけた。


 セバスチャンは、和気あいあいと騒いでいる彼らを見ながら、それとなく木の下へと移動した。

「アドルさんの仲間ですね」

 どこへともなく呟くと、そうだ、と答えが、頭上から落ちてくる。見上げれば、銀が有った。銀の髪を持った、すらりとした少年だ。彼は、エドだ、と名乗る。

「新米冒険者だが、連れて行ってほしい」

「これも、ストーリーのひとつ?」

「だ、そうだ。俺はよく分からない。彼らとギルベルト氏を引き合わすように言われただけだ。彼らも――」

「彼らも?」

「あいつも困った悪戯好きなんだよ」

「あいつ? 誰です?」

 かさりと葉が擦れる音がする。エドが肩をすくめたようだった。

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