少年剣士と貴族の坊ちゃん 5
立て付けの悪い雨戸から差し込んだ日が、ミロの顔に当たる。ミロは小さくクシャミをして、目を開けた。
何日振りかの屋根のある寝床は、予想以上に快適だった。冒険者達は、旅馴れないミロの為に、野宿でもたっぷりの藁の上に寝かせてくれたが、その比ではない。平らな地面は何物にも変えられないのだ。
ミロは寝袋からはい出した。意外なことに、冒険者達は、まだ寝ている。彼らも、久々の平らな寝床で、熟睡しているのだろう。
「……いない?」
その時、寝袋の数が足りないことに気づいた。一人、既に起き出しているようだ。残りの固まりを見るに、居ないのは……
「アドル」
ミロはそっと、音を立てずにあばら屋から出た。
抜けるような青空だ。山以外は晴れが多く湿気の少ないカルーラでは、そう珍しくない天気である。太陽が、半分ほど東の山から顔を出していた。
「おはよう」
ミロの気配に気づいたアドルが、背を向けたまま声をかける。彼はあばら屋に背を向け、湖を見ていた。
「湖面がキラキラしている。きれいだ」
「うん」
ミロは誘われて、彼の隣に立った。確かに湖は太陽の日を受けて、キラキラ輝いている。遠くに行けば行くほど彩度を落とす空は、湖の果てへ溶け込んでいた。
「あのな。昨日は……」
「足、大丈夫?」
昨日、負ぶってもらった礼を言おうとしたら、遮られた。
「うん。痛くない」
ミロはぴょん、と飛んでみせる。エドの薬草としっかりと巻かれた包帯のおかげで、今日は歩けそうだった。
「それはよかった……少し、歩こうか?」
「うん」
ここから先は、整えられた街道だ。人も多く、二人きりになる機会も少ないだろう。
ミロは、アドルだけに用事があった。
「実は、霧の季節のラクスラーマが一番好きなんだ」
そう言いながら、アドルはミロと並んで湖畔沿いを歩く。街道ではない。湖際の砂浜だ。この辺りは遠浅らしく、湖岸が浜になっている。その浜を、二人は歩く。
「湖から立ちのぼる靄は、神秘的だ」
「ふーん」
はっきり言って、ミロは景色に興味がない。ただ、今日は晴れ過ぎている、と思った。
アドルは波打ち際にしゃがみこむ。ミロに背を向け、手を水に浸けた。
「湖の水は、まだ暖かい。流れ込む川はあんなに冷たかったのに……」
「あれは、心臓が止まるかと思った」
野宿初日の朝を思い出して、渋面になる。顔を洗えと言われて軽い気持ちで水に突っ込んだ時の、冷たさ。そして、アドルの笑い声。
あの時と同じ笑い声を、アドルがあげた。
「なにそれ、本気で驚いたんだ」
「……どういう意味だよ」
ぴたりと、笑いが消えた。
「私に用事があるんじゃないか? 最後の機会だぞ」
「!」
背を向けたまま軽く聞くアドルに、ミロは戦慄する。
まさか……
「で、伝言を……」
「伯爵への? それとも、伯爵からの?」
アドルの問いに、ミロはほっとする。杞憂だ。相手は、たかが16歳の子供じゃないか。
「違うよ」
ミロは、ゆっくり歩いてアドルの背後に立つ。無防備な小さな背中で、彼の視界が埋まった。彼は、旅に出てからずっと隠し持っていたものを、手に取る。
「じゃあ、君を伯爵の元へ届けるように頼んだ、使用人から?」
「いいや」
ミロはアドルの左腕を掴んだ。
「っ!?」
軽く捻ると、アドルが声を殺した悲鳴をあげた。出会った時に捻っておいた腕は、予想どおり、まだ完治していなかったようだ。
「動くな」
腕の痛みで態勢を崩したアドルの首筋へ、ミロは隠し持っていたものを突き付けた。
エドは、特に意識しなければ、太陽と共に起きる。
雨戸の隙間から挿し込む日差しを受け、エドは目を覚ました。秋分間近のこの時期、太陽が昇る時間は、人々の営みが開始する三の刻より幾分早い程度だ。
エドは大きく伸びをして布団から這い出した。よく眠れた。エドはどこででも眠れるし、少しの時間でも疲労を取ることが可能だ。だが、良い環境で眠れる事に越したことはない。野宿でも、夜空を仰ぎながら地べたに眠るのよりは、天井と平らな床の上に眠るほうが、良い。
寝袋から抜け出して、エドは薄暗い部屋を見回す。中の入っている寝袋は二つしかなかった。二人、エドより早く起きたものがいたらしい。
「アドルと……ミロ?」
部屋にいない人物の名を挙げて、エドは首をかしげる。
違和感があった。
具体的に、何が。という訳ではない。あえて言うなら、勘である。心がざわつくのだ。
「おい、起きろ!」
エドは、自分の勘を信じる。大声をあげて、寝ている二人を叩き起した。
「……なんだい、大声で。そんな怒鳴らなくても起きるよ」
シリィが愚痴りながら起き上がる。フェイスも、大きな目を半分閉じた状態で寝袋から顔を出した。
「アドルと、ミロがいない」
「先に起きたんじゃないか? 湖に映る朝日は綺麗だろ」
確かにそうだ。だが、その言葉でもエドは納得しなかった。
「嫌な予感がする」
ぴくり。女性二人が顔をあげた。
「探したほうがいいね」
「そうですね」
二人は頷き合って寝袋から出た。
彼女達は、アドルの理屈と、エドの勘を信じている。
二人の姿は、すぐに見つかった。
湖の際に立っている。二人で湖に向かって。
一見、仲良く二人で朝日を眺めているように見えたが、何かがおかしい。エドは目を眇めて、彼らを見る。
なぜ、背の高いアドルの背後にミロがいる?
なぜ、二人はこんなに近づいている?
アドルの首元で、朝日を反射して光る物体は何だ!?
「アドっ……」
「待ちな」
その正体を知って、駆け出そうとするエドを、シリィが腕を掴んで止めた。
「姐さん!」
「黙りな」
有無を言わせぬ声が、エドを打つ。しかし、とエドはアドルの方へ視線を投げた。
アドルは囚われていた。ミロによって。そして、その首元につきつけられているのは、どう見ても刃物だ。ミロは、刃物を持っていない方の手で、アドルの左腕を抑え込んでいた。エドは知っている。ミロと出会ったときに捻った腕が、まだ治っていないことを……あの体勢では、下手に動くと激痛が走るだろう。そもそも、首元に当てられた刃物が、彼が動くことを許さない。
絶体絶命だ。
「ミロ……なんで」
フェイスが呆然と呟く。
そんな理由は知らない。分かるのは、どんな手段を使ってでも、アドルを助けださなくてはいけない。それだけだ。
「止めるな、姐さん。アドルが、アドルがっ!」
「大丈夫だよ」
「何がっ!?」
「アドルが、いつも通りだからね」
「へ?」
いつも通り?
指摘されて、エドは改めて湖を背にした光景を見る。
首筋に刃物を当てられた少年。その横顔を。
「……本当だ」
その青い瞳は、同色の湖を静かに見つめていた。知性の光を湛えて。その口が、ぽつりぽつりと何かを語っている。
逆に、アドルより僅かに低いミロの表情のほうが、余裕がないように見える。明らかに優勢であるというのに、だ。
「静かに、近づくよ……様子を見る」
「ああ」
「そうですね」
シリィの言葉に、フェイスとエドは頷いた。
ミロが発した声は、高く澄んだ子供のものではなかった。高めだが、明らかに男のものだと分かる声だ。
手には、よく磨かれた、手のひらサイズの小刀が握られていた。アドルの首を掻き切るには十分なサイズである。
「地声も、随分高いんだ」
首筋に小刀を突き付けられながらも、アドルは平静な声を出す。瞳は、同じ色の湖を見ていた。日の光を浮けて輝く湖面よりも、静かな光をたたえて。
「驚かないのか?」
「君が、ラーマ伯爵家のお坊ちゃんではないことは、知っていた」
アドルの耳に彼の息を飲む音が聞こえた。
「いつから」
「最初から」
ミロと名乗った子供の姿をした大人は、舌打ちをした。我が儘な子供を演じていた自分が、単なる道化でしか無かったことに気付いたのだ。
「なら、なぜ仕事を請けた?」
「私は断ったよ」
請けることに積極的だったのは、仲間たちだ。
「最初に、偽物であることを言えば良いじゃないか」
「……考えなかったな」
そういえば、と答えれば、男は白々しい、と吐き捨てる。
「真意は、何だ?」
彼が『ミロ』で無いことを、歴とした大人だと最初から見破っておいて、なぜ放置したか。彼の演技に合わせて、一緒に踊ったか。
なぜ、偽物の坊ちゃんが、アドルに刃物を突き付けることを許したか。
「君の目的を知りたかった」
「オレの?」
「私が、君をミロではないと見破ったのは、本当のミロを知っていたからだ。セザールの親バカ振りを、見誤ったな。懐に忍ばせている絵を知っているか? それを、どれだけの人に見せているか」
「知っていても……見破られるとは思わない」
確かに、見た目はミロそのものだ。貴族の坊っちゃんらしい軟肌は、感嘆ものだ。体格も、顔立ちも、髪の毛や瞳の色までも同じだったのは、恐らく、魔術師に頼んで強引に変えたのだろう。幻の類なら、一目見てすぐに分かる。
「見た目や、性格じゃないよ。それ以外の全てが、おかしかったんだ」
「そんなはずない!」
調査は完璧な筈だと彼は怒鳴った。自らのリサーチに自信があるのだろう。実際、ラーマ家の奥深くに入り込んで調べつくしたのかもしれない。
「ミロが、何かあった時には冒険者アドルに頼れと、父親に言い含められていた事も、英雄ガイアを尊敬している事も、冒険者たちが好む物語を知っている事も、事実だ」
違うのは、彼がラーマ家の嫡男ではないことだけ。
「うん。一緒に旅している間、何度か私の勘違いじゃないかと思ったことがあるくらい、子供らしかった。本気で苛ついたもん」
アドルは思い出して笑う。会って早々から、彼は子供特有の頑固さで、アドルを苛つかせてくれた。彼が本当の子供じゃないと知らなかったら、断固として拒否しただろう。
「なら、どこで……」
しかし、もっと根本的なところで間違えていることに、彼は気づいていない。
「いない人間までは、正確に把握できなかったんだろうね」
「どういうことだ?」
「言ったはずだ。セザールの親バカ振りを見誤った、と」
アドルは思い出して笑う。あの溺愛ぶりは、病的と言ってもいいだろう。
「可愛すぎて、一人で外に出す事が出来ない程なんだ、あの人は。そんなミロを、使用人が冒険者だけに任せて旅に出すか?」
「…………」
「どんなにミロが駄々をこねても、無駄だね。セザールに雇われている使用人達が、出す訳がない」
「だが……」
彼は、反論を試みた。
「オレの見たミロは、奔放だった。いつも屋敷を抜け出して城下に出ていた」
使用人が、それを許していたのだろう。しかし、それは彼が見た時だけのはずだ。おそらく、背後にいる小さな男は、一年も調査をしているわけではないだろう。
あの屋敷の主は、ここ一年ほど家に帰って来ていない。留守は、しっかり者の夫人が守っていた。
「父がいる時には、絶対外に出る事が出来ないからね……伯爵がいない間は羽を伸ばせるよう、不憫に思った夫人が手配したんじゃないかな。伯爵に内緒で」
「まさか……そんな」
彼は天を仰いだ。
彼は、伯爵を知らなかった。アドルは伯爵を知っていた。この差が違和感となり、アドルへ疑問を与えたのだ。
「他にもいろいろ要素はあるけど、決定打はそこだね。ミロが、一人で来る訳がない。ミロを選択したこと自体が、失敗だったんだ――ちなみに」
アドルは、さらに追い打ちをかける
「ミロが私を頼る『万が一』って言うのは、一族が滅ぼされて、ただ一人残った時の事だ。そうなった時に子供を頼む、と言われたことは、ある」
その頼みに、首を縦に振った記憶はないが。だが、ミロが一人でアドルの元に来る時は、その時以外にないだろう。
「ミロであることに拘る必要があったなら、強盗か何かに見せかけて一家を殺しておけばよかったんだよ」
「……依頼以外の殺人はしない」
さらりと恐ろしいことを言ったアドルへ、彼は憮然と答える。
雇われれば人殺しでも何でもするが、彼は決して殺人狂ではない様だ。
「他人を巻き込まずに仕事をするのが、オレの方針だ」
ならば恐らく、彼が名前を利用した事をラーマ伯爵家は、知らないだろう。彼をククルに託した使用人だって偽物なのだろう。彼の同族かもしれない。彼にとって、ククル達を巻き込んだ事すら、不本意なのだろう。
「依頼以外の、殺人……ね」
つまり、この状況が、彼の仕事の内容を意味していると言うことだ。
「私の暗殺を依頼された?」
「……答えるとでも?」
左肩に衝撃が走る。推定・暗殺者がアドルの左腕を捻ったのだ。苦痛で息が漏れる。
「め、冥土の土産って事じゃだめかな?」
「………………」
「最初は、私達をシャフロンへ行かせないためかと思った。子供の格好をしていたから」
「足を引っ張り、間に合わせないように、か。それは、依頼にない」
「じゃあ、私を殺す、それだけか……」
アドルは視線が落とした。だが、落ち込んでいる訳でも、覚悟を決めている訳でもない。
「今の状況だと、フラビスか……でも、なぜ私?」
「知らん」
男は、遂に答えた。
「オレは、考えない。だが、雇い主は考えた。アドルの存在の不気味さを」
「私の、不気味さ?」
「そうだ」
暗殺者は頷いた。
「一介の冒険者と言うにも幼すぎる冒険者の存在を、依頼主は知った。その冒険者が、英雄ガイアの子供だと言うことを知って、一時は納得したらしい」
「一時……ね」
アドルは呟いてから、暗殺者へ問う。
「なにが、引っ掛かった?」
「それ以外の全てだ」
アドルの真似をして答える。
「王弟の息子と言うだけで、王女も、王も頼りにしている事。なのに、王位継承権をもっていない事」
それだけではない。『ミロ』として語ったアドルの謎の部分が、依頼主には不気味だったのだ。
そして、その存在を消すべきだと判断した決定打が――
「その冒険者が、王女『アドルフィーネ』と同じ名で呼ばれている事」
「そうか……」
アドルは、湖を見つめた。急に、背後の気配が気になった。狼狽をしているのか、暗殺者は気づいていないようだが、背後では彼の仲間が息を殺して二人の会話を聴いている。
「…………そりゃ不気味だっただろう。従兄弟同士で同じ名前など、普通つけない」
彼らには、聞かれたくなかった。
「でも、なぜそれが、私を殺す決定打になるんだ?」
「オレは、考えない」
「考えない方が良い」
アドルは声を低める。
「その理由を考えるのなら、私は貴方の持つ小刀を奪って、貴方の首筋を切りつけるだろう」
「脅しか?」
「うん」
首筋に刃物が突き付けられているのに、アドルは躊躇なく頷く。
驚いたのは暗殺者の方だ。彼は思わず力を緩める。
今だっ!
「なっ!?」
「なに、その、予想外って間抜け面!」
アドルは暗殺者の目の前で小刀を掲げ笑う。彼は、暗殺者が拘束の手を緩めた瞬間に、小刀を盗み取り、抜け出したのだ。
今、彼が持っていた小刀は、アドルの右手にある。その切っ先は、真っ直ぐ持ち主へと向けられていた。
「当然だっ!」
男は怒鳴る。
「お前はスリかっ!」
男の言葉に、アドルは笑う。少なくとも貴族様の技ではないのは、確かだ。
「私を『貴族の坊ちゃん』と見るから、意表をつかれるんだ――で」
アドルは、憎たらしくなるくらい可愛らしく首を傾げる。すっと小刀を突き付けた。
「チェックメイト?」
「くっ」
子供に化けた暗殺者は、舌打ちをした。
アドルは湖を背に悠然と立って、彼の背後に隠れている仲間たちに目配せする。
「そこまでだ」
エドの声が響く。
振り返った暗殺者の目に、姿を現したアドルの仲間たちが映る。
小さな男は、くっと唸って砂浜に膝をついた。