小さな大平原 3
「『無我の境地』『既熟の果実』『無音の円環』は、ラニエロ隊と合流」
グンターの豊かな声が陣幕に響く。彼の指示に従って、名前を呼ばれた冒険者のパーティが散っていく。
冒険者達は、実績と名声のあるパーティを中心とした部隊に分けられた。中には、正規兵の部隊に組込まれるパーティもいる。だが彼らはそれを不満に思っていない様だ。どうやら、配属された部隊と友好的な関係を築いてるパーティらしい。彼らはむしろ笑顔で正規兵の待つ場所へ駆けて行く。
この采配を誰がやったのか知らないが、それぞれのパーティをよく把握していなければ出来ないだろう。そのくらい、烏合の衆をうまくまとめる方向に、冒険者たちは割り振られていた。
「……『一瞬の風』『星屑の煌き』は、ジュスト隊だ」
そこで、グンターは言葉を途切る。集まっていた冒険者たちが殆どそれぞれの部隊へと分かれ、広場にはいなかった。閑散とした広場にいるのは、グンターとその副官達、そして三人の冒険者だけだ。
グンターは、仕事が終わったとばかりに人の割振りが書かれた紙をしまい始める。副官が、冒険者達が集まるために作られた広場を片づけ始めた。
「……えっと」
残された三人の冒険者は、所在なさげに互いの顔を見合わせた。自分達が忘れられている訳ではないと思うが、指示が無ければどうすればいいのかもわからない。
「俺たちは、どうすれば?」
広場で立ち尽くすしていても気まずいので、残された三人パーティの一人――エドはグンターに問いかけた。紙の束を懐にしまって副官に何らかの指示を出していたグンターが、彼らへと振り返って、あぁ、と笑う。
「しばし待っていただきたい。迎えが――来た」
グンターが天幕の方に向かって敬礼する。誰が来たのかと振り返れば、緩く波打つ濃紺の髪を持った軽薄そうな軍服の男が、笑みを浮かべながらやって来た。
ドゥーシス公爵家の次男坊フォルトモーラだ。
「『勇者のための四重唱』マイナス1、数日振りだね」
「どうも」
エドはやって来たモーラにひょこんと頭を下げる。
「アンタと行動するのかい?」
「結果的にそうなるかもしれないけど、正確には違うかな」
シリィの問いに、モーラは笑みを浮かべて首をかしげた。
「指揮系統としては、俺の下に着くことになるけど、やる事は別だ――待たせているから、歩きながら説明するよ」
誰が待っているのか、という質問をする間もなく、モーラはさっさと歩き始める。
エド達は、互いに顔を見合わせてから、困惑したようにグンターへと視線を向けた。三人同時に視線を投げられたグンターは髭面に苦笑を浮かべる。
「健闘を祈る」
「グンターさんも」
フェイスが返して、一行はモーラの後を追った。
モーラは、兵士たちが張る天幕の間を縫って奥へと進む。人は疎らだった。一般兵の天幕は寝起きするためにあるもので、日中は見張り以外はいないのが普通である。日中でも賑やかな天幕と言えば、一つだ。指揮官達が作戦会議を行うための、最も大きな幕である。
彼の足は、明らかにそちらの方へと向かっていた。
「なんで、本陣なのでしょう」
フェイスが不安を小声で訴える。
「俺等、問題でも起こしたか?」
「起こすとしたら、アタシ等じゃなくて、アドルじゃないのかい」
「……あ」
シリィの指摘に、フェイスが口を開けて足を止めた。エドも足を止めて低く唸る。
「ありうるな」
「ありえますね」
「ぶっ!」
エドとフェイスが深刻な表情で頷いた瞬間、前方で公爵家の次男坊が噴き出した。
「き、君たちは……っ!!」
モーラは足を止めて、腹を抱えて笑いだす。だが、何がそんなにおかしいのか、エドにはわからない。アドルの知り合いであるこの貴族の御曹司は、彼と同じく笑い上戸だったりするのだろうか。
「あ、ある意味正しい。君達の予想は、間違っていないっ……ぶはっ」
笑いを堪えながら、モーラは言う。いや、全然堪えられていない。
「……確かに、アドルが原因だね、この役目は」
「役目?」
モーラはふぅと息を吐く。どうにかして、笑いを収めることに成功したようだ。
「子守だよ、君たちの仕事は」
「……また?」
思わず出てしまった言葉に、モーラは再び噴き出した。
子守と言うのは流石に何かの比喩だろう。だが、具体的に何をやるのかエドには見当がつかない。不安を抱きながら、エド達はモーラの後に付いて行くしかなかった。
「アドルが面白可笑しく旅の様子を語るからね、すっかり興味を持ってしまったんだ」
モーラは歩調を緩めながら、話し始める。
「そもそも、あの人が戦場に出ることに、聖王は反対していた。信頼できる護衛を付けると言う条件で、渋々承諾したんだ」
「その『信頼できる護衛』が俺ら?」
「……ほう」
モーラは驚きの声を上げて振り返る。灰色がかった青い瞳が、エドを見た。
「鈍いって聞いていたけど、そんなことないじゃないか」
「……馬鹿にされているのか、俺は?」
「いや、感心している。やはり、直接会ってみるものだな」
自分たちの事を、彼は良く知っているらしい。恐らく、アドルの話で。だから、初対面の時の紹介が簡単だったのだろう。興味がなかった訳ではないようだ。
その内容の何割が正確な情報なのかは、アドルしか知らないだろうが。
「君たちの仕事は、護衛だ。対象者が、戦場に君たちが来ていると知ってね、それで是非に、と言う話だ」
「アドルちゃんも一緒ですか」
「アドル……ちゃん?」
何気ないフェイスの質問に、モーラはきょとんと彼女を見る。
「どうしました?」
完璧に足を止めてフェイスを見るモーラに、彼女は首をかしげた。
「いや……アドルが『ちゃん』付けを許していることに、驚いた」
モーラの驚きは理解できる。女に間違われることを屈辱とするアドルが、主に女の子の呼び名に使用する『ちゃん』付けを許しているのだ。
「言っても直さないから、諦めたんだよ、アドルが」
「……それも驚いたな」
シリィの説明に、更に驚いたモーラが、フェイスのそばに歩み寄る。
「なにか、弱みでも握ったのかい?」
彼女の耳元で、そっと尋ねた。
「え?」
「そうじゃないと、アドルがそれを許すとは思えないんだ」
何か不穏な相談を始めている。彼等にとってはナイショ話かもしれないが、耳の良いエドには筒抜けだ。
「出来れば、俺にそっと教えてくれないかい? 彼の弱みを握っておくと、色々やりやすそうだ」
「何を対価に?」
「一つにつき、俺とのデート一回。全部おごるよ」
「……正直、魅力的な条件ではありませんね」
フェイスが一蹴する。モーラはふらふらと数歩後退り、頭を抱えた。
「そんな、あっさり……」
「また、振られたみたいだね」
「姐さん、それ止め」
シリィとエドの言葉に、国有数の剣の使い手らしい男は、すぐ前にあった天幕の壁に向かってしゃがみこみ、地面に落ちている小石をいじり始めた。その姿に題名をつけるなら『モテない男の哀愁』あたりだろうか。
「……陰気な気配を感じたと思ったら」
モーラがしゃがみこんだ天幕から、聞き覚えのある声がした。
エドは、作品『モテない男の哀愁』から視線を外す。他のよりも大きく、しっかりした造りの天幕から、小柄な人影が姿を現した。
「また、誰かに振られたの、モーラ?」
「アドル……?」
女性にしては低く、男性にしては高い、その声の持ち主の名を、エドは思わず呟く。そして、その姿を見て思わず息をのんだ。
「っ! スカート!?」
エドは、現れた人物の足元を指さし、全力で後退ってしまった。フェイスも、ぽかんとその人物を見つめる。
天幕から出てきた人物は、エドよりも若かった。春の空色の髪を秋空になびかせ、静かな湖面の瞳に呆れたような光をたたえ、公爵家の次男坊を見下ろしている。藍色の軍服は、国軍の軍服だ。ただし、下がズボンではなく、膝より少し短めのスカートである。白いタイツを履き、軍服と同色の長いブーツを履いたその姿は、言い訳の仕様もないほど、明らかに、少女だった。
「……アドルフィーネ殿下、だね?」
動じるという事を知らないシリィが、現れた女版アドルに問う。少女は顔をこちらへ向け、にこりと微笑んだ。
「初めまして、シリィ、フェイス。私はアドルフィーネ・カエルレウス。カルーラ王国の第一王女です。フィーネと呼んでくれればいいわ」
そして、と彼女は微笑を浮かべたまま、距離の離れたエドへと向ける。
「久しぶりね、エド。何年ぶりかしら?」
「あぁ……」
ぼんやりと浮かんでくるのは、安らぎと言う言葉を知ったあの時。
逃亡と放浪の果てに辿り着いた山奥の小さな村は、カルーラ聖王国の領地だった。そこは聖王の直轄地で、黒の民とカルーラの民が共存していた。
その村には王族の療養地があって、エドの母ドゥーシャはそこで働くことになった。彼女がそこに雇われたのは、知り合いの紹介があったからだけではない。その療養所である城に住む子供と歳の近い子供、エドがいたからだ。
エドとアドルは、その王族の療養地で出会った。
そして、エドはその城の主人とも出会った。
「……久しぶりだな、フィーネ」
それが、彼女だ。
しかし、彼女との思い出が、エドには殆どない。彼女は本当に体が弱くて、外に出ることが出来なかったからだ。外で遊ぶことを好んだエドが主に遊んでいたのは、アドルとだった。
実際、先日話が出るまで忘れていたくらいだ。
だから、エドの中には最近与えられた情報の方が色濃く残る。同じ名前を持った従兄弟。同じ髪、同じ瞳、同じ声、同じ顔……
「『アドル』は、本当にお前の『影』だったんだな」
「エドっ! それはっ……」
焦ったように声を荒げたのは、モーラだ。それを押しとどめるように、フィーネ王女は一歩前へ出る。
「驚く事じゃないでしょう。魔法を良く知るフェイスとシリィが居るのだから、そういう答えが出て当然よ。それは、私も、アドルも覚悟していた事」
「そうだけど……」
十六の小娘に諭され、モーラは黙り込む。それを確認してから、フィーネは天幕の出入り口を開け、エド達へと振り返った。
「秋と言っても、日差しはまだ暑いわ。中に入りましょう」
そう言って、一人天幕の中へと入ってしまった。
気を取り直したモーラが、三人を招く。エド達は言われるがままに天幕に入った。モーラが最後に入り、出入り口を閉める。
すでにフィーネは最奥の椅子に座って、四人を待っていた。
大きな天幕は明り取りの窓が開いていて、思ったほど暗くはなかった。
「とりあえず、座って。人払いしちゃったから、お茶は……」
「俺が用意しますよ、王女様」
モーラが慇懃に答えて外に出る。その背に王女はありがとうと声をかけた。
この天幕は王女の私室だろうか。彼女が座る椅子の前には丸いテーブルと椅子が五脚ある。うち三脚はテーブルや他の二脚のデザインと違って無骨なものだったので、恐らくエド達と話をするために別の所から持ち込んだのだろう。
エドたちは、質素な方の椅子に座る。
「アドルにあなた達もここに来ると聞いてね、是非会いたいと思ったの」
アドルと同じ声が、アドルとは全く違う調子で話し始める。
「折角だから、私の護衛をお願いしようと思ったの。お固い貴族のおじ様達だと、息が詰まるでしょう?」
「……はぁ」
エドは曖昧に相槌を打つ。正直、反応に困っていた。
「あなた達の事はね、アドルに沢山聞いているのよ。アドルの話はとっても面白くて、もし私が王女じゃなければ一緒に旅をしたいくらいだわ」
そこで、彼女はふぅと息を吐いて、なぜか苦笑を浮かべた。
「無理ね……王女じゃなくても、もっと身体が頑丈じゃなければ」
「御体が弱いのですか」
「敬語は使わないで。肩が凝るから」
フェイスの質問に、そう断りを入れてから、フィーネは答えた。
「まだ生きているのが、不思議なくらい」
「アドルがいるから?」
「そうよ」
フィーネはあっさりと頷いた。
「私は、彼の命を吸って、生きている」
彼女の言葉に、エド達は互いに顔を見合わせる。
「アドルと……フィーネ」
エドは、思わず彼らの名前を呟いていた。
名前は、最初に与えられる祝いの魔法だ。名前と言う『祝』を与えられる事で、人は個として定義される。定義される事で、世界から降りかかるあらゆる災厄から守られるのだ。
だから、親は、生まれてきた子供へ、沢山の祝福を込めた名前を送る。尊敬する英雄の名前や、それに近いもの。ただ一つの名前を捻りだすもの。美しい意味や響きを持つものなどだ。
アドルの本当の名を知った時、それが、従姉と同じ名前だと知った時、フェイスとシリィは深刻な表情を浮かべた。
「意図しないと、ありえません」
そりゃそうだろう。
そのくらいは、エドにもわかる。分からないのは、その意図だ。
「フェイスには、見当がつくのか?」
彼女の想像力は、凄い。エドの発想では到底たどり着けないことを考え出す。しかも、凄いとしか言えない想像が、的を射ていることもしばしばあった。だから、エドは彼女の奇説に期待した。
しかし、彼女は渋い顔で首を左右に振るだけだった。
「デリケートな事柄すぎて、想像したくありません」
エドは驚く。彼女が、想像を放棄するとは……
「デリケートって?」
「主に、家庭の事情ですね。名づけは基本、親族か、親族に頼まれた神官が行いますから」
「そういう事か」
エドは納得した。冒険者は、家庭の事情を迂闊に触れてはいけないものと考える。本人が言わない限り、深く追求しないのが、冒険者の不文律だ。実際、エドはフェイスのフルネームを聞いたことがない。出身については想像できるが、彼女の口から直接は聞いていない。
「違うだろう」
しかし、シリィがすぐに、それを否定した。
「一番ありそうな可能性が、考えるのも恐ろしい事だからだろう」
あ、とフェイスが顔を上げる。
「シリィも?」
「そりゃね」
シリィは頷いた。知っている者は、それを考えるだろう、と。
「な、なんだよ?」
エドは知らない。蚊帳の外に放り出された気がして、少し焦った。
「心当たりでもあるのか?」
「……あると言えば」
シリィがフェイスへと視線を落とす。フェイスも、シリィを見上げた。
「あります。でも」
二人の表情を見て、エドは漠然とした不安を募らせる。
豪快で、臆するという言葉自体を知らないようなシリィすら、言葉を濁らせるとは、いったい何事だ。聞くのが恐ろしい。
だが、それ以上に、知らないのが恐ろしい。
だって、それは幼馴染の話だ。
エドにとって、アドルも、彼の従姉フィーネも、一緒に穏やかな時を過ごした、幼馴染である。
「エドには聞いてみた方が良いかもしれないね」
シリィが視線を上げて、エドに問いかける。
「幼馴染なんだろう?」
「一応、そうだな」
エドは頷いた。それに、フェイスとシリィが、神妙な顔つきで、頷き返す。
「なら、話します」
彼女達の真剣な瞳に、思わずエドは、ゴクリと喉を鳴らした。
「これは、あまり知られていない、でも結構有名な魔法なんです」
「なんか矛盾していないか?」
エドの問いに、そうですね、とフェイスが苦笑した。
「そういう方法があるのは、魔法使いの間では有名だけど、具体的な方法を知っている者は少ないんだよ」
シリィの説明に、なるほどエドは相槌を打った。
「それが、人形の魔法」
「ひとがた? にんぎょう?」
「うーん……ちょっと違うかね」
シリィが苦笑しながら首をひねる。無知で悪かったな、と膨れたら、そんなことありません、とフェイスがフォローを入れた。
「身代わり、という意味です」
「身代わりの呪文?」
「魔法」
大雑把なシリィだが、魔法に関する事になると、妙に細かくなる。呪文に親しみのない者にとって、魔法と呪文の違いなど判らない。どちらでもいいじゃないかと、エドは思う。
「むかーし、むかし。四国ができる前に、よく使われていた魔法だよ」
「北のカルーラ聖王国、東のフラビス王国、西のビリディス帝国、そして、南のオストルム。これらの建国神話はご存知ですか?」
「一応は……」
戦乱の世を治めるために、湖の中央にあるカリーゴ島へ行き、そこに住む大陸の神に、力を求めた四人の勇者の物語だ。彼らは神より貰った聖なる武器を手に、大陸を統一し、四つの国に分けた。現在の各国王は、四人の勇者の末裔である。
彼らが大陸を統一し、平和をもたらした直後に魔王が復活するのは、何とも皮肉な話だと思った。それで、このおとぎ話はよく覚えている。
「その戦乱の世、たくさんの国が出来たり消えたりしていたんだよ。そして、その王様達がよく利用していた魔法が、これさ」
「で、結局なんなんだよ」
エドは、やきもきして聞いた。
どうのこうの言いながら、薀蓄が好きなのは、アドルだけではない。類が友を呼んだのか、彼女たちも自分たちの分野については、良く語る。語りすぎて結論までが遠いから、興味のない者にとっては、うっとおしいことこの上ない。
「対象の人間と同じ日に生まれた子供に名を付けず、対象の名を呼ぶことで『影』として全ての災厄を請けさせる、身代わりの魔法――呪だね」
人によって人が死ぬ時代、国と国の戦いで勝利する条件は、国のトップを殺す事だった。国のトップが死ねば国も死ぬ。だから、国王やその子供の身代わりとなる『影』が必要だったのだろう。
『影』の存在は、あの時代の物語に良く出てきているから、エドも知っている。『影武者』と呼ばれる存在の事だ。フェイスたちの言っているのは、その『影武者』を魔法で作ることなのだろう。
「影となるものは、血が近ければ近いほど良いと言います」
「だから、王は世継ぎを生む正妻のほかに、影を生むために妾が居たんだよ。同時に子を産ませたんだね。で、妾の腹から生まれた子は名前も存在も、人生すら認められない――正妻の子の影となるんだね」
「なんか、気持ち悪いな……」
子供の身代わりを作りるために、別の女に子供を生ませる、と言う行為に、エドは生理的な嫌悪感を抱く。
それ以上に、名前も、存在も、人生すらも認められない子供の事を考えると、胸がえぐられるようだ。エドは子供を産んだことがないから、子供を産む母親よりも、生まれた子供に対しての想像の方が簡単だ。だから、考えてしまう。その子供は、それからどう生きていったのか……
エドの様子に、シリィは苦笑する。
「まぁ、今の時代の価値観だと、信じられない話だね。でも、400年以上前は、それが当然だったんだよ。もっと言うと、身代わりの子供を産ませるため、娘を王へ売る親もいたという話だ。身代わりでも、名を与えられなくても、王の子供だし、娘は王の妻になるんだよ。一家はそれなりの待遇を受けることができる」
「……俺、その時代に生まれなくてよかったと、心の底から思う」
今だって、人類の敵と言われる魔王が居て、それが統括する魔物が人々の生活を脅かしている。決して、良き世とは思えない。しかし、今の話を聞くと、魔王が居ない世の中だというのに、今の方が良い世のように感じる。
「非人道的としか言えない魔法です……だって」
フェイスは、眉間にしわを刻んで、瞳を閉じた。
「一人の子供とその親の人生を否定する魔法ですから」
シリィの言った『考えるのもおぞましい事』の理由が分かった。
エドは、決して両方の親に望まれて生まれた子供ではない。だが、名前は親からもらった。それに『エドマンド』と言う一個体として認められていたからこそ、あの辛い幼少期があったのだ。
エドですら、その存在は認められている。
でも、その魔法は、存在自体を認めないのだ。
「話がずれたね」
エドは、はっと顔を上げた。そうだった。本題は、大昔の非人道的な習慣についてではない。
「カルーラ王妃って知っているかい?」
「へ?」
「カルーラ王妃……確か名前は、クリスティーネだったかね。知っているかい?」
シリィに重ねて問われ、エドは首を左右に振った。
「会ったことはないし、見たこともないな」
「八年前に亡くなっています」
「そりゃ、知らなくて当然だな」
国境近くの村にいる十に満たない子供が、聖都にいるお偉いさんを知っている方が異常だ。
「アドルちゃんのお母様は?」
「……そういえば、知らないな」
言われてみれば、父親は良く知っているが、母親の事は全然知らない。あれだけアドル達と一緒に居たのに、両方の母親に会ったことがない事に気付いた。
「アドルの親族は、父しか知らないんだね」
「フィーネも知っていると思う……」
エドは、自信なさそうに補足する。穏やかな日々の記憶。その絵の中に、確かにもう一人、女の子がいた気がする。
フィーネと呼ばれていた。あのころは、二人の関係に興味が無かったから知らなかったが、恐らくアドルの従姉、件の王女だ。
「けど、よく覚えていない」
そうかい、とシリィは頷く。
「今の情報だけじゃ、普通の従兄弟である可能性も十分にあるね」
「そうだといいですけど」
「何の話だ?」
二人の会話に、いきなりついていけなくなった。
「先ほどの話の続きです」
フェイスが、分からないエドが理解できない、とばかりに、きょとんとして言った。だが、そう言われても、何が続いているのか、エドにはわからない。
「アドルちゃんの話です」
「あぁ」
確か、それが本題だった。すっかり忘れていた。
「人形の魔法は、血が近ければ近いほどいいんです。完璧を求めるなら、双子」
でも、それは人にどうにかできるものではない。
「次善策は異母兄弟。そして、両親が兄弟同士の従兄弟」
「従兄弟……!」
ようやく、繋がった。
従姉と同じ名前の理由として、フェイス達が思い浮かべた予想。それは、名前が同じなのではなく、別人の名で呼ばれている可能性だ。
「アドルが、王女の『影』? 魔法によって作られた……」
「身代わりの魔法によって『影』になった者は、オリジナルとそっくりの姿になるんだよ」
生まれ持った姿ではなく、呼ばれる名前の本当の持ち主の姿に育つ。そうでないと、身代わりである理由がない。
「王女を見たことはありませんが……アドルちゃんは女性と見紛う姿をしています」
「そうだな」
本人は、それを自覚し、気にしている。彼は性別を間違えた者を許さないが、それが理不尽だと思うくらい、彼は少女に間違えられてもしょうがない容姿をしている。
「呪のせいである可能性があります」
「むしろ、呪のせいと考えた方が、自然だね」
「そうか……」
エドは頷くことしかできなかった。