勇者のための四重唱


小さな大平原 4

「私は生まれた時、産声もあげることが出来なかったらしいわ」

 フィーネがモーラの入れたお茶を優雅な所作で一口飲む。

 肌は白いが蒼白という訳ではない。明るい色がほんのりついた、健康的な白肌だ。頬もふっくらとしている。首筋は細く、ガッチリとした軍服を着ているにも関わらず、肩幅も狭い。華奢な体格なのだろう。アドルもそうだ。彼はそれも気にして、いつも体型の分かりにくいゆったりとした服を着ていた。

 エドが見たところ、彼女は病弱のようには見えない。アドルの方が余程ひ弱そうだ。もっとも、女性は化粧で顔色の悪さなどを誤魔化してしまうから、見た目ほど健康でない可能性は否定できない。

「すぐにでも死んでしまいそうな私を見た父は、同じ日に母の妹であるエヴェーリンが生んだ子供を欲しいと頼み込んだ」

「アドルは母方の従弟? いや、ガイアさんは聖王の弟じゃなかったか?」

 そう、とフィーネは頷く。

「私達は、どちらの親から見ても血の繋がった従姉弟なの」

 人形は、血が近ければ近い程良い。同じ従兄弟でも、両親がそれぞれ兄弟であれば、血の濃さは実の兄弟と大差ない。

 これは、仕組まれた婚姻、出産なのか。それとも偶然か。

 エドには、その疑問を口にすることが出来なかった。この国の王家が持つ闇に、必要以上に触れたくない。どの王家にも問題があるという事すら知りたくなかった。仲間であるアドルが深く関わっていても、だ。

 どちらにしろ、カルーラ聖王家は、禁忌と呼ばれる魔法を使い、王女を生かすために従弟の人生を犠牲にしたのだけは確かだ。

「彼は、その立場に不満を抱いていない」

 フィーネは溜息を吐いてから、顔を上げた。アドルと同じ顔が、切なげな笑みを浮かべる。

「でも、私は嫌だった。彼は彼であるべきだと思ったわ。だから、彼に名前の半分をあげたの」

 そして、王女の人形は『アドル』となり、アドルフィーネは『フィーネ』となったのだ。


「嫌だと言って、アドルちゃんに名前を分けることはしても、呪を解こうとはしないのですね」

 フィーネの告白に対し、フェイスの視線は冷たい。口調もフィーネを責めているようだ。いつもふんわりと穏やかな彼女にしては、珍しい。

 それだけ、アドルを想っているのだろう。彼の境遇を知れば、怒りたくなるのもわかる。

 しかし、なぜかエドはそういう気分になれなかった。フェイスよりもフィーネの事を知っているからだろうか。

「解き方を、知っているの?」

 そんな彼女の視線を受け止めて、フィーネは聞き返す。

「私が死んでも、彼が死んでも解けない魔法よ?」

「解き方がわからない魔法は、『呪』の中でも悪質な邪法です! そんなものを使うだなんてっ」

「フェイス」

 低く落ち着いた声が、激昂する少女の名を呼ぶ。

「それをこの子に言うのは、お門違いじゃないかね」

 シリィは、いつもよりも 幾分優しい口調で、彼女に言った。

「この子が望んでやった訳じゃない。怒りをぶつけるなら、この子とアドルの両親だよ」

「……で、でも」

「アンタのそれは、八当りだ」

 フェイスは、真っ直ぐに責めを受け止めるフィーネと、静かに諭すシリィの顔を、交互に眺める。そして、視線を落とした。

「…………そうですね。シリィの言う通りです。申し訳ありません」

「気にしないで。私は嬉しいのだから」

 軽い口調でフィーネは応える。ふわりと浮かんだ微笑みは、確かに嬉しそうに見えた。

「アドルの事、本当に哀れんでくれる人がいるのが、私を真正面から責めてくれる人がいるのが、嬉しいの」

 フィーネの言葉に、フェイスの瞳から完全に怒りが消えた。

 彼女は、この魔法を解く方法が分かれば、本当に解呪していただろう。たとえそれにより、自らの命が亡くなってしまうとしても。

 それが解ってしまえば、フェイスに怒る理由などない。

「私達の関係を知っている人達は、私達の関係が当然の事だと思っている。誰もが――アドル本人すらも」

 あぁ、と彼女は視線を移した。ずっと入り口に待機している青年へ、と。

「モーラは、ちょっと違ったわね。しょうがないとは言ったけど、アドルを哀れんでくれた」

「……えっと、確か、モーラとの関係って」

 元婚約者。フィーネが破談にした、許嫁。

 それなのに、今、この場に居ることが許されている存在。

 エドの言葉にフィーネがニヤりと笑った。アドルの笑みにとても似ている笑い方で、エドを警戒させる。

「今は、同志。共犯者」

 モーラがフィーネの言葉に続く。

「アドルを可能な限り自由にするための」

 余計なお世話だと言われた挙句、ひどく嫌われたけどね、と肩を竦めながら。

「共犯者を増やすのも、今回貴方達にこの役目を与えた理由よ」

 アドルには絶対内緒だけどね、と笑う姿は、スカートを履いていなければ、アドルと間違えてしまいそうだ。


「私は彼を自由にしたい」

 アドルの存在のあり方は間違えている、と誰よりも思っているのは、王女自身だった。

 生まれた直後に掛けられた呪を解くことは出来ないが、可能な限り彼を彼らしく生かしたいとフィーネは切望していた。

「だから、この戦いが終わったら、彼が望む『魔王を倒す勇者探し』をしてほしいと思っているの。世界を飛び回って欲しいの」

「アドルは、やはりガイア父さんの遺志を……」

 勇者を探して歌にするのが目的だと言っていたが、やはりそれだけではなかった。

 フィーネの影としてではない、あの少年自身の望みは、偉大なる英雄ガイアの遺志を継ぐこと。彼は、自分を『王女の人形』に仕立て上げる片棒を担いだ父を、恨んでいない。むしろ、頻繁に彼らの城に来ていたガイアを慕ってすらいた。

 それを考えれば、アドルの本当の目的が父の遺志を継ぐことであっても納得できる。

 彼の後を継いで自分自身が勇者になるのではなく、ふさわしい勇者を探すと言う、変なところで分を弁えているところが、アドルらしいが。

「私達は、父――聖王に約束を取り付けたの」

 聖王リヒャルトは、身体の弱い娘に甘いらしい。そして、甥に対して多少の引け目もあるらしい。だから、彼は二人の頼みを聞いてくれる。フィーネの身代りであるアドルが『ガイアの息子』として、冒険者として二年間、国を歩き回っていたのを許していたのも、二人が頼み込んだからだと、フィーネは説明した。

 そして、二人のアドルフィーネは、更に王と約束した。

「この地――シャフロン平野を取り戻したら、勇者探しの旅に出てもいい。国外に出てもいい、と」

「そして、その時が今、という事なのですね」

 すっかり怒りと苛立ちが消えたフェイスの言葉に、そう、とフィーネは嬉しそうに頷く。

「やっと、彼が、彼として旅立てるの」

 カルーラの王女は立ち上がる。

 何をするのだろうと様子を見ているエド達に対し、彼女は深く頭を下げた。

「アドルを――私の半身を、よろしくお願いします」

 一国の王女に頭を下げられて、流石のエド達も慌てたのは、言うまでもない。



 秋の夜空を、金と紅の月が眩しいほど照らしている。夕日が落ちた後の色のまま夜が更けていく。

 エド達は大きな天幕の横にある小さな天幕を二つ与えられた。そこは主に、寝るために使用する。

 それ以外は、王女の居る大きな天幕の前でぼうっとしていた。それが仕事らしい。しかも、最低一人いれば良くて、後は自由にしていていいと言うのだ。


「外で良いのですか」

 具体的な仕事内容を聞いた時、フェイスが驚いて確認した。

「暇潰しの雑談なら歓迎だけど、四六時中監視されるのは、どうしても慣れないの。子供の頃に、自由にしすぎたせいかしら」

 王女は生まれて間もなく、田舎の療養所に行き、そこで『影』と二人でのんびりと過ごして来た。世話役は大勢いたが、一人ベッドの上で過ごす時間も多かったので、一人でいることに慣れている。王族と言う存在から思い浮かべる像に反し、彼女は身の回りの事を一人ですることができると言う。小銭を持ったことがあるし、市井で買い物だってできると胸を張られてしまった。

「せっかくここに来て、人の視線から解放されたのだから、独りで居させてくれたっていいじゃない」

 そんな彼女にとって、王城は人の目があり過ぎて窮屈だったらしい。

 そういえば、アドルも城が苦手だったのを、思い出す。

「ここは陣の最奥で、人も沢山いるわ。私がこの中にいる限りは、安全よ」

 だから、声を掛けたらすぐに来られる位置に、最低一人、待機していればいいと、王女は言う。それに対し、モーラも何も言わなかった。了解していることなのだろう。

「一応、彼女一人の時は、出入りを見張っていてもらうけどね。あと、外に出た時の護衛だ」

「大丈夫。ちゃんと護られるから」

「本当だろうね?」

 シリィが訝しげに尋ねる。これは、護衛と言う仕事の上で、重要なことだ。

「もちろん」

 フィーネは可憐な笑みを浮かべて頷く。この笑みが胡散臭いと思うのは、アドルの浮かべるこの種の笑みが、信用できないものだからだろう。



「エドは、フィーネ王女とも幼馴染だったのですよね」

 天幕前の篝火の横で並んで立っているフェイスが、そう尋ねた。砂色の髪が火に照らされて、夕焼け色に輝いている。

「アドルと一緒に居たんだ……すっかり忘れていたけど」

「フィーネ王女とアドルちゃんは、生まれてすぐに山奥の静養地へ行ったのですよね。エドはそこの生まれなのですか?」

「いや、違う」

 フェイスは、アドルと幼馴染だと彼女は知っていたが、どういう経緯で知り合ったかまでは知らなかったらしい。過去を詮索しないのが決まりである冒険者だから、不思議ではない話だ。むしろ、こうやって聞いてくる方が珍しい。恐らく、好奇心に負けたのだろう。

「俺が、アドル達の居るところにやってきたんだ」

 言いたくないと突っぱねる事も可能だろうが、隠すようなことでもないから、話す事にした。

「このシャフロンと反対側、ビリディスとの国境の小さな集落で、アドル達は過ごしていたんだ」


 フラビスと違い、ビリディスとの国境は山だ。ルクシスと、それに連なる山々が、ラクスラーマまで続いている。コッコリオとチェルトラの間にそびえる山の様に。違うのは、両者を分断する山の深さだけだ。

 河という明確な線ではないため、国境線は曖昧だった。かろうじて一番大きな峠道のみ門が作られ、両国の兵士が行き来を確認している。人々の認識は、この山を越えたらビリディス、程度だ。

 その集落は、クーラルと言う名の村だった。国境の山脈の北西よりに位置する。西と北にルクシスの高峰が迫る、小さな高原だ。

 そこは、昔からカルーラ聖王が直接治める土地だった。

 そこではカルーラの民とルクシス山脈に点在する黒の民とが共存していた。二つの部族が共存するこの地の特産は、薬草だ。高い場所でしか育たない、珍しい野草の栽培に、彼らは成功していた。

 珍しい野草の生える高原は、澄んだ空気と、美味しい水を持つ地でもあった。また、ルクシス山脈に点在する火山の一つが近くにあり、湯治に最適な温泉が湧いている。冬の寒さは厳しいが、夏は涼しく、避暑地にもってこいの地だ。

 この地に、カルーラ聖王家の療養所となる城がつくられたのは、何代も前の王の時代である。身体の弱い王女の為に、当時の王がこの地を見つけ、先住であった黒の民と話をつけて、カルーラの天領としたと言う。

 それ以来、クーラルは、身体が弱かったり、病を得た聖王家一族の療養地となった。

 身体の弱いアドルフィーネ王女が生まれてすぐにクーラルに移ったのは、当然と言えよう。そこに、彼女の『人形』が同行するのも。

 クーラルの城に来た王族は、名目上この地の領主となる。実際には、この地に来る王族は、小さな村すら統治などできるような状態にはないので、自治は保たれたままだ。ただ、クーラルの人々は城に住まう領主の世話をする必要が生まれる。カルーラの民、黒の民問わずに。その分、国から金銭的、物質的な恩恵を受ける事も出来た。

 彼女たちも例外ではなく、村の住人達に世話をしてもらっていた。


 エド親子がこの地にたどり着いたのは、彼が八つの冬だ。

 それは今までで最低最悪の道のりだった。これを上回る酷い道を倍以上の年齢になった今でも、まだ知らない。山に慣れた黒の民でも倦厭する、真冬の北ルクシス越えだ。いくらエドが同じ年齢の子に比べて大柄だったとしても、それは無謀な行動だったと言える。

 しかし、彼らにそれが必要だった。

 それしか、この親子に生き残る術がなかったのだ。


「山の向こうと言う事は、エドはビリディスの出身なのですか?」

「生まれはな」

 フェイスの問いに、エドは苦々しく答える。

「だが、あそこを故郷だと思ったことは無い」

 シャフロン出身の冒険者が言ったような、フェイスが同意したような、そんな思いを抱くことは出来ない。懐かしがりたいような出来事など、全くなかった。

「生まれてから、ずっと母と逃げていた」

「逃げて?」

 そうだ、とエドは頷く。

 エドが一歳の頃、母ドゥーシャは夫の家から逃げ出した。エドの存在を快く思わない者達がエドの命を狙っているのを知ったからだ。

「この髪を見れば、俺が黒の民の血を引いているのはわかるだろ?」

 エドの髪は、彩度を持たない銀色だ。これは、黒の民と他の種族の間に生まれた子供の特徴だった。漆黒の瞳と髪を持つ黒の民と、多種多様な色を持つほかの人々の間に生まれた子供は、彩度を持たない色を持つ。

「ビリディスは、四国で一番黒の民に対する扱いが悪い」

「フラビスよりも……ですか?」

「フラビスは、一応仕事に対する報酬を支払うだろ?」

 先日のアドルへの刺客の話を聞けば、踏み倒されたり、失敗すれば殺されたりするらしいが、一応仕事を受けるときには対価の交渉が出来るようだった。

 ビリディスではそれすら不可能だ。あの国は、黒の民を人だと思わない。便利な道具、使い勝手のいい動物と同じ扱いをする。

 そんな国の人間との間の子をなぜ持ったのか、エドは幼いころ母に聞いたことがある。ドゥーシャは豪快な彼女に似つかわしくない、弱々しい笑みを浮かべただけで、何も答えなかった。

「今なら、なんとなく想像できるが――正しい答えを知る気にはなれないな」

 フェイスは両手で口元を押さえ、エドを見つめる。琥珀色の大きな瞳が、戸惑いに揺れていた。

「まぁ、それで、逃げて、逃げて、ようやく国境を越えたんだ」

 湿っぽくなるのも嫌だったので、エドはあえて明るい口調で言う。

 国境を越えれば、追手は来ないとドゥーシャは考えたのだろう。実際、クーラルでは、刺客の心配もせずに生きることができた。

「クーラルには、黒の民がいる。母さんは、そこを頼ったんだ」

 山に点在しているが、同族意識が強いのが黒の民である。困り果て、冬のルクシスを越えてやってきた親子を、彼らは歓迎した。

 そして、クーラルの人々は、母と幼い子供に、安息の地を与えたのだ。

「クーラルの人は、母さんに領主の世話役を斡旋した」

 別に、世話役が足りなかった訳ではない。村の人々が望んだのは、母ではなく、エドだった。

「すっげー田舎で、過疎地でさ。子供いなかったんだ、そこ」

「……ご学友?」

 そんな大層なものではない。なんせ、隣国から逃げてきた怪しい親子だ。

「遊び相手が、必要だったんだろうな」

 その時、二人は六歳だった。二人だけの世界を抜け出し、少し、大きな世界を知る必要になる年頃だ。エドは、彼女たちに必要な、世界を大きくするための存在となった。


 出会いは、そんなに劇的なものではない。

 エドは、薬草の匂いが染みついている城の一室に案内された。

 そこは豪華な部屋だった――そもそも、まともに家と言う場所に住んだ記憶のないエドにとっては、どんなあばら屋も豪邸にしか見えなかったのだが、それでも、今までにない豪華な部屋だと思った。

 南と西に、簡単に蹴破って侵入できそうな大きな窓がある。西の窓からは、ルクシスの白銀の山並が見えた。南の窓からは、村が一望できる。全ての窓には、糸を細かく編んで作った布が掛かっていた。部屋の北側の壁に二つの大きな台がある。それらの名前を知ったのはこの後だった。あの頃は、レースも、カーテンも、ベッドすらも知らなかったのだ。

 西の窓に平行に二つ並んだベッドに、子供が一人ずつ寝ていた。

 二つのベッドの東――通路側に寝ていた子供が、体を起こす。

 エドよりも小さく、細い少年だった。

「ベッドの上で、ごめん」

 長く伸びた髪を気だるげに掻きあげながら、彼は言った。

「エドマンドと申します。この度城に仕える事になった、ドゥーシャの息子です」

 彼の横に立つ、ここまで案内してくれた男が、頭を下げて説明する。

「お二方と歳も近いので、遊び相手として、連れて参りました」

「エドマンド? エド?」

 少年は首を傾げて、彼を見る。大きな瞳が、揺らめいている。

 そしていきなり、ふわりと笑みを浮かべて、ベッドから飛び降りた。

「僕はアドル。向こうで寝ているのはフィーネ」

 そして、呆然と立っているエドの前まですたすたと歩いて来て、右手を差し出す。エドは思わず半歩下がって警戒の体制を取った。刺されると、思ったのだ。

 しかし、差し出された手にはなにもなかった。手のひらを上にして、エドの目の前に差し出される。

「フィーネは今、ちょっと起き上がれないけれど、二人分、よろしく」

「よろしく……」

 差し出した手の意味が分からずに、エドは警戒態勢のまま、頷き返した。


 それからの日々は、今までの生活を考えると天国のようだった。

 雨風を凌げる家の中で、ふわふわの布団にくるまって眠れる幸せ。人目を気にせず堂々と歩ける幸せ。椅子に座って、暖かなご飯を警戒することもなく食べられる幸せ。殺気を感じない日々を過ごす幸せ。

 何よりも贅沢だったのは、アドルとフィーネと言う友人を得たことだろう。

 アドルは屈託なく、フィーネは優しく、二人の世界にエドを迎え入れてくれた。

 小さい頃は、殆ど薬臭い部屋の中で遊んでいた。他愛もない手遊びや言葉遊びで異常に盛り上がったり、どちらかが寝込んでいる時は、そのベッドの傍らで大人しく本を読んだり。

 一緒に勉強もした。もっとも、二人とエドとの学力は全然違ったから、エドは教えてもらうばかりだったが。


「教えると言えば、フィーネは人に教えるのが上手だったな」

「そうなのですか」

 フェイスの声に、驚きが混じるのは、彼女の『影』は人にものを教えるのが下手くそだからだ。

「アドルはその手の根気がないし、蘊蓄たれだからな」

 エドは苦笑する。

「昔から?」

「――確かに、会った時からそんな感じだったかも」

 エドは思い出す。


「魔法と呪文の違い?」

 最初に説明をしてくれるのは、アドルだった。

「魔法は現象だ。魔法を発動させるための手段の一つが呪文。あの、歌みたいな奴だね。他にも魔法陣とか、呪物とかある。ちなみに『呪』と『祝』は同じ物を、ヒトの基準で善悪に分けた呼び方だ。人に害を与える魔法が――」

「アドル、エドはそこまで聞いていないわよ」

 止まらないアドルの薀蓄を止めることが出来るのは、フィーネだけだった。

「で、わかった?」

「手段が呪文で、結果が魔法?」

「乱暴な言い方だな……魔法と呪文、どちらが先にあるかといえば」

「アドルうるさい」

 細い声でぴしゃっと言い、彼の言葉を封じる。

「その理解でいいと思うわ。実際、その辺りをきちんと区別して言っている人なんて、学者くらいよ」

「魔法使いも?」

「そうね。結構適当」

「そんなものなんだ……」

「僕はそんな適当じゃいけないと思うよ。それじゃ、危ない」

「アドルうるさい」

 二度目は、最初よりかなり口調が冷たい。

 しかし、エドに説明する口調は、柔らかかった。

「使えれば、別にそれに対する言葉の定義なんて、どうでもいいっていう人が多いわ。使えない人にとっては、更にどうでもいいの。私は、魔力のないエドが興味を持ってくれただけで、嬉しい」

 フィーネの隣でアドルがまだ、なにか言いたげに口をもぐもぐしているが、フィーネが本に視線を戻したら、彼も諦めて本を読み始めた。


 フィーネはこの城で最も立場が強かった。それは単に、この城の主が彼女だったからだろう。城で働く大人は、病弱な王女様を良く立てていた。まだ子供のエドにも、それは感じられた。城の大人達は、一番フィーネの事を大事に思い、尊重していると。

 二人の力関係も、僅かにフィーネの方が上だ。だが、アドルとの関係は大人のそれとは違う。彼がフィーネに勝てないのは、女子に男子が口で勝てないという一般論から外れたものではないように見えた。

 フィーネとアドルの関係は、仲の良い従姉弟にしか見えなかった。姉弟みたいに仲の良い従姉弟。フィーネが時にアドルを邪険に扱うのが、証拠だ。あんな態度、アドルにしか取らない。気を許している証拠だ。そういう関係は『家』を大切にするカルーラでは珍しくない。

 曖昧な記憶ではあるが、どんな思い返しても、二人の関係は『本体と身代わり』と言うものには見えなかった。

 もっとも、幼少期のエドの感覚が、どの程度当てになるかは疑問だが。


「仲の良い姉弟の様に見えたのなら、本当にそうなのかもしれませんね」

 フェイスは、幼い頃のエドの主観を肯定した。

「そのころ、二人は幾つだったのですか? 十に満たない子供が、自分達のあんな関係を正しく理解できると思えません」

「あのアドルと、それに勝るフィーネでも?」

「そんな分別持っている子供だったら、むしろ哀れです」

 そうかもしれない。

 だが、アドルは子供のエドが一人で生き抜くための技術を身に着けていることに対し、哀しいと言った。凄いとか、うらやましいとかではなく、そんな技術を身につける必要があった事情を、哀しい、と。

 あれは、いつだったか? 最近の話ではない。子供の頃だ。アドルはそういう発想のできる子供だったのだ。

 そんな賢い子供だから、自分の存在を正しく認識し、だからフィーネの望むように対等な関係を築いている『フリ』をしていたとしても、不思議ではない。

 フェイスの言うとおり、哀れではあるが。

「ん?」

 エドはそこで思い返す。

 その言葉は、アドルが言ったものだっただろうか。フィーネだったような気もする……

「嘘だろ……」

 エドは愕然とした。

 次第にアドルとフィーネ、二人の区別がつかなくなっていた事に気付いて。


 会った頃は、確かに二人いた。

 エドと山を駆け回って、翌日寝込んでいたのはアドルだと思う。ドゥーシャに『普通の歌い方』を教えてもらっていたのも、多分、アドルだ。

 では、遊んだあと、二人の寝室でしゃべっていた時、ベッドで寝ていたのはどちらだ? 花畑で母と一緒に歌っていたのは? ガイアがふらりと様子を見にきては、社会見学だといって連れ出していたのは?

 王弟殿下に連れ回され、疲労困憊で帰ってきたのは、本当にアドルだったか?

 改めて考えてみると、確信が持てない。あれが全てアドルだと思っていたが、今はそれに違和感がある。記憶違いで、その一部がフィーネとの思い出だとしても、しっくり来ない。

「それが、この『呪』なのかもしれませんね」

「記憶が曖昧になるのが?」

「二人の区別がつかなくなるのが」

 確かに、最近の記憶になっていくに連れ、区別がつかなくなるのはおかしい。逆ならわからなくもないが。

 フェイスは大きな瞳を僅かに伏せて、考え始める。

「フィーネ姫とアドルちゃんはそっくりですが、生まれた時からそっくりだったわけではないでしょう?」

 エドは、そうだと頷いた。出会ったばかりの二人は、仲は良かったが、全然違った。髪の色も目の色も声も背格好も。

「アドルは、小さい頃の面影がない」

 思い返せば、明らかに。今まで気づかなかったのは、エドが鈍いからだけだろうか。

「長年かけて、自然に姿を似せるのでしょうか?」

 フェイスは、はっと顔を上げた。

「……まさか、似る方向に成長させる?」

 人の成長を曲げる魔法?

 幻覚でも、変幻でもなく、そう育てる魔法?

 確かに、変装でも幻でもなく、実際に同じ姿の者は理想の影武者だろうが。

「そんな、不自然な成長して、身体は大丈夫なのかよ?」

「知りません。でも、身代わりだから良いと考えているのでしょうね」

 フェイスの声に、嫌悪が交じる。

 彼女の推測通りなら、やはりこれは禁忌とされるべき魔法だ。人のあるべき姿を捻じ曲げるだなんて、『呪』以外の何物でもない。

「わたくしも、あの呪の詳細は知りませんでしたが、姿形を似せて、互いの存在の区別をあやふやにするものと考えていいのでしょうか」

「まあ、そんな感じだね」

「シリィ」

 ふらりとどこかへ行っていたシリィが現われた。

「どこに行っていたんだ?」

「そこら辺をぶらぶらと」

 マイペースなくせに短気なシリィは、ただじっと待っている、という事が苦手だ。フィーネの天幕の前には最低一人いればいい、と言う事を真に受けて、エドかフェイスがここにいる時は自陣をふらふらとしている。

「シリィは、アドルちゃんの呪を知っていたのですか?」

「言ったじゃないか。そっくりの姿になるって」

 シリィはふっと笑って答えた。

 確かに彼女はそう言った。どういう過程で同じ姿になるのか想像しなかったのは、エド達だ。フェイスも今まで思いつかなかったのは、やはりあまり考えたくない魔法だからだろう。

「……ちゃんと、アドルを覚えておくんだよ」

 彼女は青緑色の瞳に、珍しく深刻な色を浮かべた。

「どういう事だ?」

「説明は面倒くさい」

 そう言って、魔女は口を閉じた。

 なら、最初から言わないでほしい。気になってしまうではないか。


「アタシからも、ひとつ聞いていいかい、エド」

「なんだ?」

 エドは、首を傾げてシリィを見る。あの二人に関してわかることなら、何でも話すつもりだ。

 エドは沢山の情報を持っているのに、一人では何も気付けなかった。それどころか、忘れてすらいた。アドルの言う通りだ。エドは、情報を使うのが下手くそである。だが、この二人は違う。エドの情報から、様々な事を導き出せる。エドが抱かなかった疑問も、だ。

「なんでアンタは聖都に出てきたんだい?」

「……へ?」

 彼にとってその問いは予想外だった。

「なんでって、アドルが村から出ていったから」

 多分、そうだ。

 成長して、呪が完成して、フィーネが今みたいに元気になって、聖都に呼び戻された。当然影武者であるアドルも一緒に。

 それに付いて行ったんじゃないか?

「え、なら、なんで――」

「そうかい」

 シリィはフェイスの言葉を遮り、頷いた。

「そうなら、別にいいんだよ」

 呟いて、彼女はもう一度頷いた。

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