勇者のための四重唱


渓谷の街 7

 光と影のコントラストが強すぎる廊下は、人気が無くて、打ち合わせに最適だった。

 合流した二組は、互いに得た情報を交換し合う。

「商人は、根っからの商人なんだな……」

 前領主の元で、最大の利益を得ていた商人の疑惑は晴れた。彼は、安定したティリアでも、そこにあった方法で稼いでいる。領主は彼の商売を認めており、取引相手の一人だ。殺す理由が、なかった。

「伯爵夫人さんは?」

「あぁ、あれは単なる魔性の女」

 ヒオリの問いにベルドはあっさりと答える。

「来るもの拒まず、去る者追わず。ヘンリックが勝手に溺れて、勝手に破滅しただけだろう。彼女は、ティリア前領主に対して何も思っちゃいない」

「にべもない言い方ですが、その通りですね。根拠は?」

 ベルドに同意しながらも、フェイスは理由を聞いた。

「『傾国の美女』『魔性の女』って言われるタイプは、その魅力を悪用し始めたら、すぐ魔へ堕ちるだろう?」

 人の中にも魔物へとなりやすい人となり難い人がいる。極端に才能が偏っている者は、堕ちやすい。彼女の場合、魔性とも言える魅力がそれだ。

「だが、彼女はしっかりと人間だった」

 彼女がその力を使って男を破滅へと追いやっているのなら、すでに魔に堕ちている。そして、そうであれば、ベルドは分かった筈だ。そのくらいの経験は積んでいるという自負がある。

 彼女は、なにもする気はない。フィルマン伯爵の妻でしかなかった。

「隣村の名主は単なる不平屋。文句だけで何も行動を起こさない。この別荘を建てるための土地を取られた果樹園の地主は、ヴィクトルに喜んでこの城を提供していた」

 ベルドは指を折りながら、容疑者を減らしていく。ヒオリとフェイスは、実に多くの人に話を聞いてくれた。

「ヘンリックの娘は、最初から領主側。ヴィクトルの甥は、領主の後継者で片腕」

 一番有力だと思ったローゼは、あっさりと候補から消えた。おそらく、アドル達の中では候補に挙がってすらいなかっただろう。

「で」

 折った指を、ベルドは広げる。

「……全部消えた」

「そして、一人増えた」

「やっぱりそうなるか」

 アドルの指摘に、ベルドは大きく溜息を吐く。

 本当に、なんて仕事を引き受けてしまったんだ。時を渡れるのであれば、迂闊な二日前の自分を殴り倒したい。

「で、どうする?」

「良い時間だね」

 窓の光が鋭く短い。太陽が高い位置に昇った証拠だ。パーティの開始まで、もうすぐ。

「厨房へ行くぞ」

「うんっ!」

「はい」

「了解」

 ベルドの一言に、三人が三様の返事をした。



 厨房はあいかわらず忙しなかった。

「フェイス」

 厨房から死角になる場所で様子をうかがいながら、アドルが仲間の名前を呼んだ。

「厨房の人に、見覚えは?」」

「初めて見る方達ですね」

 琥珀色の大きな瞳を厨房に向けたまま、声を潜めて答える。

「少なくとも料理長は、いません。お弟子さんたちも」

「そうなんだ?」

 アドルは知らなかったが、フェイスは知っていたらしい。

「アドルちゃんはお会いしていなかったですか? ……あぁ」

 フェイスは尋ねかけて、自分の中に答えを見つける。

「厨房に入れるなって厳命が出ていましたね」

「全く失礼な話だ」

 何をやらかしたんだ、この男は。

「城の使用人事情は最新だよね。料理長は、あの時から変わっていない?」

「アドルちゃん、お土産しっかり食べたじゃないですか」

「あぁ」

 アドルが明るい表情を浮かべる。

「あのケーキ! 確かに、味は変わっていなかった」

「お元気でしたよ。料理長も、お弟子さんも」

 つまり、事前調査として城へ行き、顔見知りの使用人たちに挨拶をして回ったという事なのだろう。そのとき、料理長からお土産にとケーキを貰った、と。

 英雄の仲間であるなら、城内の情報集めなど容易いだろう。彼らの素性を知っていれば、納得できる。

「彼らがいるのに、あのお菓子をこのパーティに出さないなんて、信じられない!」

 アドルが真剣に驚く。うん、なんか論点がおかしい気がするが、突っ込むべきなのだろうか……ベルドは少し悩んだ。

「そんなにおいしいの?」

 ヒオリの好奇心に満ちた質問に、アドルは大げさに頷く。

「仕事が終わったら、どうにかして貰ってこよう。食べてみるべきだよ」

「へぇぇぇ……」

 アドルの絶賛に、ヒオリの瞳が輝いた。

 場違いなお菓子談義に、ベルドは苦笑いする。彼らは緊張感が無さ過ぎる。

「甘いもんが好きだよな、女の子ってのは」

「男だって、好きだよ」

 皮肉だったのだが、あっさりと訂正されてしまった。

「しかし、ここにいるのが、あの人達じゃなくて、良かった」

「そうですね」

 フェイスが頷く。

「あのお菓子が二度と食べられないなんて、世界の損失だ」

「それは、言い過ぎだと思いますが……」

「じゃあ、国の損失」

「――お前が、城の料理を高評価していることは、よく分かった」

 だが、それはあまり関係ない事ではないか。

「結構重要なことだと思うんだけどな」

 アドルは不満げに呟く。

「彼らが使われず、あの人たちが厨房を仕切っているという事は、この場は悪意を持って開かれたって事だろう?」

 確かにそうだ。そうでなくては、あんな怪しい『モノ』がここに居るわけがない。

「招いた料理人が、たまたま『そう』だったのかもしれないぞ」

 だが、ベルドは敢えて反論してみた。

「そうだね。それなら話はここだけですんで楽なんだけどな」

 それが希望的観測でしかない事くらい、ベルドもわかっている。

「厨房の人たちは、誰が呼んだのかな?」

 ヒオリが、首をかしげた。

「それは……」

 ベルドは言いながら、視線を背後に向ける。それと同時に、別の声がした。

「ベルドさん、ヒオリさん?」

 ベルドは視線だけでなく、体ごとゆっくりと振り返った。

「やあ、ナタリー」

 彼女が来ているのは、気配で分かっていた。声を掛けてくるのを待っていたのだ。

 全て消えた容疑者の中から浮かび上がった、新たな容疑者を。


「……誰?」

 彼女は真っ先に、アドルとフェイスについて誰何した。つまり、彼女は彼らを知らないと言う事だ。彼女の父も従兄弟も知っている、この二人を。

 それが、この家での彼女の立ち位置なのだ。

「協力者」

「協力者?」

「あ、別に人数増えたからって報酬の引き上げは要求しないから、安心しろ」

「……そう」

 幾分不満そうではあるが、彼女はそれで一応は納得した。

「で、こんなことろで何をしているの?」

「質問があって、探していた」

 探してはいない。彼女がここに来るのは予想していたから。だが、質問があるのは本当だ。

「料理人は、どこから呼んだんだ?」

「わたしの知り合いよ。知り合った方が、旅の料理人だったからお願いしたの」

 ナタリーは、警戒することも無く答える。

 疑問はあっけなく解消された。横目でアドル達を見ると、拍子抜けだ、と言う表情をしている。

「話がしたい」

「もうすぐパーティが始まるわ。今、厨房はご覧の通り、一番忙しい時なの……申し訳ないのだけど」

「あんたは、なんでここに来た?」

「え……」

 ナタリーは、ベルドの質問に困惑する。

「なぜ、そんなことを?」

 ベルドにそんな質問をされるとは思ってもいなかった様だ。だが、ベルドが無言で答えを待っていると、腑に落ちない様子で口を開いた。

「わたしは、父が使う杯を持ってきたの」

「乾杯に使う?」

「そう。こういう時に必ず父が使う杯があるから」

「こういう時……ねぇ」

「初耳ですね」

 アドルとフェイスの小さな呟きがベルドの耳に入った。耳の良いベルドだから聴こえるくらいの小声だ。ナタリーには聞こえなかったようである。

「それに、乾杯に使うお酒を注ぎに来ただけよ」

「それ、見せてくれないか」

「ええ、どうぞ」

 ナタリーはあっさりと彼に杯を渡した。ベルドが受け取った杯は、カットグラスのだった。淡く色が入っている。それの価値をベルドもヒオリも知らないが、綺麗な意匠の杯だと思った。

「――あ」

 思わず、といった感じでフェイスの声が漏れ聞こえる。視線だけで二人の方を見ると、彼らは意味深な視線を交わしていた。

「何?」

 今度はナタリーの耳にも届いたようだ。彼女は不審そうにフェイスを見る。

「綺麗な模様のグラスだと思いまして。感動したんです」

「そう」

 ナタリーはそっけなく返事をして、ふいっと彼女から視線を逸らす。

「ついでに、俺達も一緒に厨房に入っちゃ駄目か?」

 ベルドはきれいに磨かれたガラス製品をナタリーに返しながら、尋ねた。

「だから、今一番忙しくて……」

「料理人の邪魔はしないさ」

 ベルドはおどけた表情で肩をすくめて見せる。

「会場内で見ていないの、ここだけなんだ。話を聞くのは諦めるが、一応確認しておきたいんだよ」

「…………そうですね」

 今度は、しぶしぶと言った様子で承諾した。


 金魚の糞の様にナタリーにくっついて、ベルド達は、一度は阻まれた厨房へ入った。彼女が言った通り、今が一番忙しい時なのだろう、料理人たちは入ってきたナタリーたちに目もくれない。

 改めてみれば、厨房はそれなりの広さだった。働いているのは八人。彼らが動き回っても狭い印象を請けない程度の広さだ。彼らの入ってきた扉の対角線上に、もう一つ厨房から外へと出る扉がある。おそらく食堂へつながる扉なのだろう。今日の料理は中庭に運ばれるので、その扉は使われない。そのためか、ぴったりと閉じられていた。

 中央のテーブルには、後は運ばれるのを待つだけの料理が並んでいた。冷めても問題が無い、オードブルの類だ。乾杯の後に運ばれるのだろう。

 ベルドたちを門前払いした、屈強な使用人らしくない男もいた。彼は、高いコック帽をかぶった若い男の指示を受けている。

 この男が厨房のボスだ。

 すぐにわかった。

 飲み物は別の棚に、グラスと一緒にまとめて置かれていた。例の袋は見当たらない。代わりに、小皿に乗った茶色の物体をみつける。予想通りだ。あれは、気化してどうこうなるものではないから、ああやっておざなりに置いてあっても問題はない。触ったり口に入れたりしなければ。

 ベルドが入口の前に立って厨房を見回している間、ナタリーはさりげなさを装って厨房をうろうろしていた。料理人たちは、自分の雇い主すら相手にしない。明らかに不自然に『自然を装う』ナタリーを無視している。

 いや、黙認か。

 もしかしたら、ベルド達の侵入すら、黙認しているのかもしれない。

 そんな中を歩きながら、彼女は例の皿の前に来た。手に持つ杯をそっとテーブルの上に置く。もう片方の手は、皿を挟んで反対側に。

 彼女は、厨房の様子を見るふりをしながら、テーブルに着いた手の幅を徐々に狭めていった。

 あまりにも白々しくて、傍観しているのも申し訳なくなる。ベルドは思わずヒオリの様子を見た。彼女も戸惑った様子で依頼主のやろうとしていることを見守っていた。

 彼女の意図は丸見えだった。

 そんなベルド達の様子に気付いていない彼女の両手は、茶色の物体を盛っている皿にまで届いていた。そして、無理に体をひねり、どうにかベルド達に見えないようにして、杯を皿へと傾ける――努力空しく、丸見えなのだが。

 ナタリーは、ベルド達が見ているのを知らないまま、茶色の物体を杯の口へ付けることに成功した。

 決定的だ。

 ベルドはヒオリと顔を見合わせた。続いて、背後にいるアドル達と。アドルが、ゆっくりと頷いた。彼らもそれを、しっかりと見ていたのだ。


 容疑者と思っていた人たちの容疑は消えた。

 同時に、一人、新たに容疑者として浮かび上がってきた。

 ベルド達は、その新たな容疑者の動向を知りたくて、厨房に来たのだ。


「――はい、ストップ」

 ぱぁん! と手を鳴らして、声を上げたのはアドルだ。打ち鳴らした手の音よりも、明瞭な声の方がよく響いた。

 ビクりと、ナタリーの肩が上下する。彼らを無視し、せわしなく動いていた料理人たちも一斉に動きを止めた。思わずそうしてしまうだけの力が、その声にはあった。

「な、何、突然」

 ナタリーが上擦った声を上げる。

「ナタリー姫……で、いいんだよね? ――今、なにしました?」

 アドルがちょこんと首をかしげる。

「何って?」

「その、背後にあるもの。『お父様の杯』に、何を盛りました?」

「何をって……わたしは、何も」

 ナタリーが明らかにうろたえる。まさか、あの演技で見透かされないとでも思っていたのだろうか。それならば、舐められたものだ。

 その時、数種の草の名前を読み上げる声が響いた。

 それはアドルの声ではなかった。当然、フェイスの声でもヒオリの声でもない。間違える余地もない、完璧な男の声だった。低くかすれ気味の甘い声。掠れている癖に、よく響く。

 声のする方を向くと、いつの間にか食堂側の扉が開いていた。そこに二人の男女がいる。

 見た顔だ。一人は声も交わした。

「バイトの、事務員さん?」

 ヒオリの声に、大柄な赤毛の女性はにやりと微笑む。彼女よりも一歩前に立つ痩身の色男が、口を開いた。

「あぁ、いた」

 さっき、草の名前を読み上げたのと同じ声だ。

 男は空気を全く無視して、ずかずかと厨房に入る。その動作にもかかわらず、足音が一切しないことにベルドは気付いた。

「ちょっと早いが、半金を貰いに来た」

 銀髪の色男は、茶髪の男の前に立ち止まり、手を差し出す。

 いきなりの展開に、屈強な男は呆然とその手を眺めていた。その目が、隣にいる料理長へ、そして領主の娘へと動く。

 音を出さずに歩くような奴が、その視線に気付かないわけがない。

「雇い主は、あんたか?」

 手を差し出したまま、顔だけをナタリーの方へ向け、男はにこりと笑った。やっていることは無作法だと言うのに、なぜか紳士の風格がある。色男だからだろうか。

「な、なんの話?」

 色男の青緑色の瞳に見つめられ、ナタリーの深紫の瞳が泳ぐ。料理長と自らの手にある杯、そして背後の皿へと。なんと、嘘を吐くのが下手なのだろう。

「……また、物騒な組み合わせだな、色男」

「あっ」

 アドルと突然現れた色男に気を取られている隙に、ナタリーの隣にまで移動していたベルドは、彼女の手をひねり上げる。あっけなく彼女の手から、杯が落ちた。床に落ちる前に、もう一方の手でそれを受け止めてから、ベルドは顔を上げた。

「その草を、あの男に売ったのか?」

「色男?」

 ベルドと同じかそれよりも年下に見える少年は、眉をしかめる。

「…………銀髪の兄ちゃん、あんただよ」

 なぜそこで不快な表情を浮かべるのだ。

「まぁ、売ったようなものだ。収集を依頼されたんだ」

「へぇ……」

 ベルドは、改めて男を見る。本当の依頼人を知らずに契約を結んで、ベルドとアドルに役立たずと八つ当たり気味に評されていた者が、こんな若い男だとは予想外だった。

「で、それの完成品が、これか」

 ベルドは目を細めて、皿に盛られた茶色の物体を見る。色男も同じように目を眇めてそれを見つめた。

「ち、違うわっ!」

 ベルドに片手を押えられたナタリーが叫ぶ。彼の手から逃れようと、必死になって身をよじっていた。その程度の力で、ベルドの拘束が緩むわけがないが、暴れた拍子に机の上にある物をぶちまけられても困る。

「ヒオリ」

 さっさと大人しくさせる為に、ベルドはヒオリの名を呼んだ。

「なあに?」

「あそこの棚から、好きなお酒もって来てくれ」

「うん」

 ヒオリは頷いて、棚へと駆ける。林のように立っている酒の瓶から、甘い果実酒を選んで、こちらに駆け寄ってきた。本当に『好きなお酒』を選んでくるあたり、彼女は冷静である。

「はい」

「瓶、開けれるか?」

「うん」

「これに注いでくれ」

 ベルドは、片手に持っているカットグラスを差し出す。ヒオリは手際よく瓶の栓を抜き、酒を注いだ。杯についていた茶色の粉末が、酒に混じる。この粉末が酒で溶ける事は無いが、量が少ないので、色つきのカットグラスでは入っていることに気付かないだろう。

「飲んでみろ」

 注がれた酒を、もう一方の手で拘束しているナタリーへと差し出す。

「え?」

「毒じゃないんだろう? 飲んでみろ」

「…………そ、それは」

 ナタリーがあからさまにうろたえはじめる。厨房にいる料理人たちの表情も、困惑の色が濃くなっていく。

「さぁ」

 ベルドがさらにナタリーに向かって、杯を差し出す。目の前に差しだされたそれを、ナタリーは受け取り――机の上に置いた。

「飲まないわよ」

 ナタリーが、低く、静かな声で拒否する。

「ええ。想像通りよ。わたしが、犯人。ヴィクトル男爵をパーティ中に暗殺する計画を立てた、張本人」

 真っ直ぐにベルドへと顔を向け、気品すら感じる態度で彼女は、堂々と言い放つ。

 ヒオリが、怯えた表情で数歩後退った。