勇者のための四重唱


渓谷の街 9

 わたしの方が似合うのに……

 いつも、くすんだの服を着ている自分が惨めでたまらなかった。

 ナタリーは、使用人の娘だ。年が近いからと、父が仕える貴族の娘、ローゼの遊び相手になっている。

 彼女が、いちいちナタリーの劣等感を煽った。

 この貴族の娘は自分より二つ年下の癖に、常にナタリーよりも頭一つ分大きい。大きくて骨太で、可愛らしさが微塵もない上に、何をするにもゆっくりで、イライラさせる。勉強で『ウドの大木』と言う言葉を知った時に、真っ先に思い浮かんだのがローゼだった。

 でかいだけの役立たずは、しかし、常に大人たちにちやほやされていた。貴族の娘。領主の娘。ただそれだけで、大人たちはローゼに猫なで声で、お姫様と語りかける。嘘だらけの甘い言葉を吐く。綺麗な服やアクセサリーを貢ぐ。

 彼女がそれを、本当に申し訳なさそうに受け取ったり、断ったりしているのが、更に気に食わなかった。


 ある日、ナタリーは、こっそりと城のローゼの私室へと忍び込んだ。

 ナタリーはローゼの学友で、城にいつも出入りしてはいたが、無断で彼女の部屋に入るほどの権限はない。だから、見つからないようにこっそりと忍び込んだ。

 目的は、溢れんばかりの服と装飾品。

 絶対、わたしの方が似合うのに……

 着させてくれとは、言えない。愚鈍なローゼに頼みごとをするのは、プライドが許さなかった。

 彼女は細い身体を室内に滑り込ませ、大きな衣装室の扉を開けた。開けた瞬間、息をのんだ。

 そこにあったのは、色とりどりの服。

 ローゼがよく来ている、似合いもしない可愛いふりふりの服は、まだ地味な方だった事を知る。ふわふわふりふりとした可愛い服。逆に、すらっとシンプルな大人っぽい服。たくさんの光る石のついた豪華な服。ナタリーの夢見た服が、そこに全部揃っていた。

 ナタリーは目を輝かせてクローゼットに入る。

 そして、目についた服を手当たり次第、着ていった。


 夢中になっていて、人が入って来たのに気付かなかった。

「ナタリー! 何をやっている!?」

 気付いたのは、生まれて初めて聞いた父の怒声によってだ。

 ナタリーは光の加減によって色の変わる生地で作られたカクテルドレスを着ていた。丈は長いがヒールを履くのであればこんなものだろう。胸から腰のラインにかけてが、まるでしつらえたかのようにぴったりだ。

「姫の部屋に勝手に入って、お前は……っ」

 穏やかでおとなしいイメージの父が、顔を真っ赤にして怒鳴る。そんなに怒るほど、ナタリーは悪い事をしたとは思えなかった。ただ、ちょっといつも行っている部屋に一人で忍び込んだだけだ。

「服を、着てみたかったのよ!」

 ナタリーは開き直った。

「だって、見て、このドレス。わたしにぴったり。あのデカブツに入る訳も、似合う訳もないじゃない」

「お前……」

 執事である父は、真っ赤な顔でそう言ったまま黙りこんだ。ナタリーは、自分が正しい事を言ったと確信した。

「わたしが着た方が、ここにあるドレス達も喜ぶわっ!」

「そうね」

 彼女に同意したのは、女のくせに低い声。

「わたしも、ずっとそう思っていたわ」

「ひ、姫様っ」

 まるで天井へ引っ張られたかのように、ヴィクトルはぴんっと直立不動になる。そして、腰から真っ直ぐに体を折った。

「申し訳ありません。うちの娘が……」

「いいの……本当、良く似合う」

 ナタリーは、ローゼのこういうところが特に嫌いだった。彼女は自分が可愛くないことを知っていて、ナタリーが可愛いことを簡単に認める。その姿勢に、どんなに顔が良くても彼女に勝つことが出来ないのだと、思い知らされるのだ。

「せっかくだから、好きなのを持っていって。どうせ、着ないのだから」

 そう言って、立ち尽くすナタリーのいる部屋へと入る。

「そうそう。ナタリー、あのドレス着た? わたし、貴方に絶対似合うと思うのよ」

 声を弾ませて、衣装室の奥へと入っていく。

 間もなく現れた姫が持っていた服は、ナタリーの好みにピッタリ合った、素敵な物だった。

「誰が……」

 しかし。それを見透かされているのが、気に入らない。

「誰が、貴方のお下がりなんてっ!」

 ナタリーは差し出された服をひったくり、床にたたきつける。鈍いローゼが呆然としている間に、くるりと踵を返し、部屋を飛び出した。

「ナタリー!」

 父が責めるような口調で自分を呼ぶ声が、彼女の背中を酷く叩いた。


 あの日から、何もかもがおもしろくなくなった。

 城にはいかなくなった。

 父は何も言わなかった。

 農家じゃないから、昼間にやる事もない。街に出れば、変な目で見られる。だから、家にいるか、自分を知らない隣の領まで行く。家で家事をやる気にはならなかった。召使の真似事はしたくない。

 数年後、父が従兄弟のフロランを引き取った。これがまた、身体も声も小さくて、何かにいつも怯えている様な冴えない男だった。

 フロランは、父に付いて城に仕えるようになった。城での評判はいいらしい。特に、姫様のお気に入りらしい。大きな姫と、小柄な従者、並べばさぞ滑稽だろう。


 父は、執事頭になった。

 従兄弟は正式に、姫の付き人になったらしい。


 二人はナタリーが寝ているうちに城へ行き、ナタリーが夜遅くまで飲んで遊んで帰ってくると、すでに寝ている。

 ナタリーは家族の誰とも会わない、話さない日が続いた。別に、あの男達と話す価値があるとは思えないのだけど。

 ナタリーは、家を出ることに決めた。


 聖都へ行こう。

 そう決めた。鞄にお気に入りの服と台所にあったパンを詰め込んで、夜遊びの勢いで家を飛び出した。

 まずは谷を出る。そして、ぐるりと道を迂回して、聖都へ行く。

 自分くらいの器量があれば、どこでもやっていける、そう信じて疑わなかった。

 実際、女一人では危険だと言われる旅路を、順調に進むことが出来た。隣の街で、良い男に出会えたからだ。

 彼は優しく、美しかった。旅の料理人で、ごつい用心棒と弟子たちを連れて谷に来ていたのだ。ナタリーは一瞬で彼に魅かれ、彼は彼女の思いに答えてくれた。

 ナタリーは彼と一緒に旅をした。彼が開く料理店はいつも繁盛していた。ナタリーは彼が働いている間は街で遊び、彼の仕事が終わったら、ずっと彼と一緒にいた。

 今までで、一番美しい日々だった。


 そんなある日、彼が言う。

「君は、僕みたいな平民と一緒にいてはいけない身分だったんだね」

「どういうこと?」

 いきなり言われた言葉は、全く理解が出来なかった。

「ヴィクトル・ブリュイエール氏は、君のお父さんだよね」

「一応ね」

 いつ縁を切られても、痛くも痒くもない関係だが。

「やっぱり」

 彼は、愕然とした。

「君は、貴族だ」

「貴族?」

 違う。父は貴族に仕える平民だ。人の下に立つ者の頂点にはなれても、人の上に立つものにはなれない運命の。

「ヴィクトル・ブリュイエール氏は、ティリアの領主として爵位を受けたらしい」

 先日来た貴族のお客さんから聞いたから確実だと、彼は教えてくれた。

 そして。

「君は、帰るべきだ」

 とんでもないことを言いだす。

「君は、もう、貴族の一人娘だ。ヴィクトル男爵の後を継ぐ者だろう?」

「男爵……貴族の、後継者?」

 わたしが?

 わたしが、あのローゼの立場に?

 大きな衣装室。そこにある色とりどりのドレス。それらに飾る無数のアクセサリー。自分に似合うドレスを持ってくる有力者たち。商人の進める美しい布を思う存分買って、聖都で有名なデザイナーにデザインさせて……

 それは。

 それはとても相応しい気がした。


 絶対、迎えを寄越すからと約束をして、ナタリーは彼と一旦別れた。

 突然帰ってきた娘を、似合わない貴族の服を着た父とその甥は驚きながらも、迎えた。

 なぜかその横に、放逐された前領主の娘がいたのが、気に入らなかったが……


 これで、ナタリーは当然の権利を得ることが出来ると思っていた。

 しかし彼女の期待は裏切られた。

 父は、領主になっても変わらなかった。やっている事が、執事頭の時と全く変わらない。いや、以前よりも遥かに働いていた。朝、ナタリーが起きるよりも早く起き出して働き、ナタリーが遊び疲れて寝ても執務室の明かりは消えない。

 そして、家族のナタリーに対する態度も変わらなかった。

 だが、それらは我慢できた。時が経てば、この城にあるもの、この地にあるものがすべてナタリーの物になると信じていたから。

 だから、すでに後継者がフロランと決まっていると知った時、ナタリーは決意したのだ。


 父を殺し、自分が後継者となる、と。


 派手な暗殺劇にしようと決めた。

 誰もが、領主が暗殺されたと信じて疑わないような、決定的な殺し方を。

 そして、その犯人を華麗にナタリーが暴くのだ。

 犯人を見つけ、父の敵を討つ。その姿を見て、ナタリー以外を領主としようとするものが、居るはずがない。

 暗殺者の濡れ衣は、適当に冒険者を雇えばいい。所詮は、道から外れたならず者だ。


 そして、暗殺の場を用意する。

 ナタリーは、普段は足を踏み入れる気もしない夕食の場に現れて、提案した。

「父さんの誕生日パーティをしない? わたし、旅先で出会った凄腕の料理人を知っているの」

 提案は、驚きと喜びをもって、受け入れられてしまった。


――え、そんなに、喜んでくれるの?

――そんなことで、よかったの?


 おとうさん……




 一発目に、鋭い回し蹴りを食らわす。狭くない厨房と言っても、障害物はたくさんあり、何もないところの方が少ないような場所だ。足をコンパクトに折り曲げて、膝蹴りのような形で、優男の腹に蹴りをぶち込んだ。

 足に感じた予想外の感触に、ベルドは目を眇める。と同時に、彼の目の前で、男は変化した。

 自分の魔力に飲み込まれ、道を踏み外した男の、真の姿が現れる。

 ベルドは、蹴った時の反動を利用し、一回転して距離を置く。大勢を素早く整えながら、その姿を見た。

「…………」

 白金に近い紫の髪が、風もないのにさらさらとなびいている。白磁の肌と、真っ赤な唇、黒茶色の切れ長の目は、その形も、位置も、色も変えていない。美しい、と言う言葉の似合う容貌である。

 その美しい顔を支える首は、細くて長い。

 しかし、その下に続く身体が、異様だった。

 胴体から下が、倍に膨れ上がっていた。肥満ではない。筋肉が発達しすぎているのだ。蹴った時の感触がおかしかったのは、この筋肉のせいだ。身体を覆っていた服は、膨れ上がった筋肉により、全て引き裂かれていた。鉄色に輝く肌に、白い布切れが紐のようにまとわりつくだけである。

 確かに、この肉体は、これで美しい。鍛え抜かれた筋肉が持つ、絶妙なバランスと形である。しかし、首から上と下とがあまりにアンバランス過ぎる。こうなると、逆に気味が悪い。

 そのアンバランスさが、魔物の証拠だ。

 ベルドは、厨房に入った瞬間から、わかっていた。

 この厨房の『ボス』は、こいつだ、と。

 伊達に、そこそこ有名な冒険者をやっているわけではない。魔物が化けた人など、ニオイでわかる。

 ベルドは、好戦的な笑みを浮かべる。武器は馬鹿正直に置いてきたから素手でやりあわなくてはいけない。だが、そう問題はないだろう。ベルドは重心を低くして構えを取った。同時に、ぞくりと背中の産毛が逆立つ。殺気を感じたからだ。四方、八方から。

「おっと、全員そうだったか」

 料理長を除いた7人が、立ち上がり、剣呑な眼でベルドを睨んでいる。あの、茶髪の男もだ。彼らはそれぞれ、両手に調理器具を持っていた。数種の包丁、麺棒、おたま、フライ返し、トング、アイスピック、計量スプーン、フライパンに鍋、そしてその蓋……それらが、見る見るうちに大きくなる。使いようによっては人を傷つけるかもしれない道具が、明らかに人を調理するための大きさに。

「嘘つくなよ。男の恋人もいるんじゃねーか、少なくとも七人」

 ベルドの口から、思わず皮肉が衝いて出る。

「おや、嫉妬かね?」

「俺が嫉妬するのはヒオリに対してだけだよ」

「それは残念だ」

 美しい男は、真っ赤な唇を開けて、変わらぬ美しい声を上げた。それを合図にに手下の七人が襲いかかってくる。

「ヒオリっ!」

 ベルドは、重心を下げ迎え撃つ姿勢を取りながら、愛する妻の名を呼ぶ。

「助太刀、待っているからな!」

 叫んで、再び魔物へ向かって飛び出した。




 絶望を、知らなかった。

 その状態を表す言葉を、知らなかった。

 だから、生きてこられたのだ。

 だけど、知ってしまった。

 絶望と言う言葉を教えてくれたのは、希望だった。


 喜びと言う忘れがたい感情を知った。

 今までの感情が悲しみであることを知った。

 笑う本当の意味を知った。

 自分も怒ることが許されると知った。


 そして、愛を知った。

 同時に、憎しみも知った。


 正しい感情を、心の動きを、在り方を知ってしまった。

 ――もう、戻れない。


「いやっ……」

 闇の中に現れた豪華な男が、お帰り、と語りかける。

「やめて」

 逃げたいのに、身体が動かない。

 幸せを知ってしまった元奴隷は、奴隷時代の全てが悲劇であることを知ってしまった。

「待っていたよ」

 忘れたかった声が、蘇る。封印してしまいたい男が、ゆっくりと近づいてくる。

 恐怖によって凍りついたヒオリの元に、一歩一歩。

 その時の絶望を、思いださせるかのように、ゆっくりと。


 タッ……タッ……タッ……

 ヒ……オ……リ……


 緩やかな、三拍子を刻んで。彼女の名を、呼びながら。

「え?」


 タッ……タッ……タッ……

 ヒ……オ……リ……

 タッ……タッ……タッ……

 ヒ……オ……リ……


 歩を進めるたびに、その姿が薄れていく。

 彼女を呼ぶ声に、涙が溢れる。

 愛おしさで。


 ぁー……ぁー……あー…………

 ヒ・オ・リ……

 LaーRuーLaー……


 足音が、ささやくようなワルツに変わった。

 そして、彼女を呼び続ける声の正体は。


 ヒオリっ!


「……ベルド!」

 ヒオリは、ぱちりと目を開ける。琥珀色の大きな瞳と合った。合った瞬間、ふわりと目が細められる。微笑んだのだ。

 その口から、細く、透明な音が紡ぎ出されていた。夢の中で聴こえてきた、あの美しいワルツだ。

「フェイスさん?」

「――はい」

 ヒオリを覗き込んでいたフェイスが、歌を止め返事をした。と同時に、ヒオリの耳に喧騒が戻る。

「大丈夫ですか?」

 彼女は、横たわったヒオリの傍らに正座し、覗き込んでいた。

「起きれます? 手伝いましょうか?」

「大丈夫」

 ヒオリは、床に手をついて上半身を起こす。フェイスはそれを見守っていた。

 ヒオリはそっと彼女の膝に手を伸ばす。フェイスは、さりげなくその手を握った。

 今気づいたが、彼女は決して自分からヒオリに触れようとしなかった。ヒオリが求めて、初めて彼女はヒオリに触れる。

「フェイスさん」

「何ですか?」

「もしかして、ボクが怯えるから触れないでいてくれた?」

「なんの話ですか?」

 手をきゅっと握りながら、彼女は首をかしげる。とぼけるのであれば、それでもいい。ヒオリが、勝手に彼女の気遣いだと思い込んで、勝手にこっそりと感謝するだけだ。

「それよりも、ベルドさんが危険です」

「え」

 深刻そうにひそめられた声に、ヒオリは顔を上げる。座り込んだ彼女の位置からは、倒れた領主しか見えない。耳は、ずっと響き続けている歌詞の無い合唱だけだ。ヒオリはフェイスと一緒に立ち上がる。視界を塞いでいた机よりも視線が上になったことで、状況が把握できるようになった。

 最初に目に入ったのは、中空に浮かんで悲鳴を上げている藤色の髪の女性らしきモノ。

「ナタリーさん……」

 面影から、それがナタリーだとわかった。

 アドルと途中から入ってきたバイトの事務員達が彼女を囲んでいた。アドルはヒオリ達に対して背を向けているからわからないが、他の二人は歌っていた。呪文だろうか。それにしては、言葉が違う。魔力は感じるが、それはナタリーの悲鳴なのか、彼らの歌声なのか、判断が付かない。そのくらい、彼らの歌声はナタリーの悲鳴と綺麗に重なり合っていた。

「彼女は、大丈夫です」

「え?」

「あの手の魔物は、十八番なんですよ、わたくし達」

「お箱? 箱が、何?」

 何か慣用句か何かだろうか? ヒオリの乏しい語彙の中にある『はこ』関連の言葉は、『箱入り娘』だけだが、それではおかしい気がする。魔物が箱入り娘なのもおかしいし、家出していたナタリーが箱入り娘とも思えない。

「……ヒオリちゃんは、あっちのベルドさんを手伝ってください。わたくしも、フォローします」

 微妙な表情を浮かべながら、フェイスが別方向を指し示した。そこに、青緑の髪を見つける。

 彼は、また別の魔物と戦っていた。一体ではない。沢山だ。魔物たちは大きな調理器具を振り回してベルドに襲いかかっている。その動きはベルドに比べて緩慢だったが、それでもあの大きな武器が一発でも当たれば、致命的だ。

「ベルド!」

「ヒオリ!」

 戦いの途中だと言うのに。

 彼は、ヒオリの方を向いて、笑った。

 にやりと唇の端を上げる、皮肉な笑み。だけど、それが彼の微笑であることを、ヒオリは知っている。